第四話 内輪
「ぷっ、くくっ、あっはっはっはっ……!」
ドン、と分厚い扉が閉まり切ったところで王は堪え切れないとばかりに吹き出した。脱力したように、腹を抱えてその場にズルズルと座り込んでいく。
「陛下、ここでお笑いになられては全て台無しにございます」
「ぷっ、ははっ、いや、言葉を違えたわけではないとはいえまさかあそこまで上手く丸め込まれてくれるとは思わなくてな。其方の気遣い、大義であった」
げんなりと、疲れ切った様子で王に近付こうと同じ高さまで身を屈めれば、王はまだくつくつと笑いながら触れるか触れないか、絶妙な加減で妃の頬に指を伸ばす。上機嫌の碧眼に、対照的な不機嫌な紫暗が写った。
「白いのは本当に上部だけ、ですか」
「何を今更。古老どももまたすぐ騒ぎ出す……
深い溜息を零しながら、妃は国王の首元に手を伸ばすとそっとマントを外していく。
「……絞め殺される、とは思われないのですね」
「相手が暁ならばこの命など惜しくないよ」
「肺腑までも真っ黒、と。窮屈な場というのはどこも同じですね」
「それも今更、だな……面倒なヤツに引っかかった、か?だが残念、もう離してはやれん」
固定するようにその指を顎に添えると、自身をぐっと引き寄せて妃の耳元に囁く。唇の片端を、軽くあげて。
そのまま指を滑らせ妃の手を握ると、力強く引っ張り上げながら王は身を起こした。
「ずっと
「そうだ、君は我のものだ」
存在でも確認するかのように頭巾の上から唇を寄せては、王は満足気に妃の手を捉えたまま私室へと歩き出した。その少しだけ後ろを、妃は続く。
「ところで陛下、後宮がそのままとの事ですが?」
「あぁ、それは君も聞いての通りだよ」
「では、私は……」
「暁。君は今言った言葉をもう反故にするつもりか?」
「……いえ。確かに、どちらにしろ都合が悪いことに変わりないのですが。だからこそ、陛下のお傍が宜しゅうございます」
前を行く、王の歩みは止まらない。
ただ少し試しているような物言いに、暗に傍というのが物理的に離れる事が無いということを示唆しているのだと悟った妃が慌てて同じ台詞を繰り返した。
「……君がどうしても後宮が良いと言うなら引き止めないけどね。あそこは内親王宮も近いし、我としては義母上にも姉上にも君を見せたくはないな」
入り組んだ王宮の奥の奥までやって来て、王は漸く妃と向き合いしゅるりと絹の頭巾を取り外した。王の甘言に頬をほんのりと朱に染め強く首を横に振る妃の、懇願するような紫暗が揺らぐ。
「……お取り込み中恐れ入ります、陛下」
「分かってるなら後にしてほしいなぁ……まぁいいや、来るとは思っていたから。早いけど。暁は、湯浴みでもしてくるといい。我も後で行くから」
漸く王の間に辿り着き中に入ろうとして、反対側から急ぎ足でやって来たのは血色の良い強面を眉間に寄せられた皺で更に仏頂面にさせた武官から声がかかった。
その姿に王も顔をしかめるも、仕方ないかと呟いて武官から隠すように妃を先に室内へと促す。足早に妃が国王専用の湯殿へと向かうのを一瞥してから、国王は武官を招き入れた。
「あの人事、陛下の考えを聞かせて頂きたい」
「あれ、不服なの? 国軍官長」
困惑を隠すように眉間に皺を寄せたまま話を切り出してきた武官に、国王は心外そうな、きょとんとして傾げた顔を向ける。
国軍とは、国王直属の正規軍だ。但し、対他国専用だが。
「いえ、位については至極光栄に存じます。が、これでは陛下と……遠い」
「あぁ、成程、親衛隊が良かったんだ。けど、瑛家の者が二人も中にいるのはバランス悪いから」
「それも、そうなのでしょうが……」
遠回しに告げた心の内をあっさりと暴露され、且つ、王宮という場所柄仕方ないとはいえ国王に文官を惑いなく選択されては心中穏やかではいられない。しかし、間違った選択をしているわけでもない事くらい武官も分かっていたので、その御前では言葉を濁らさざるを得なかった。
「ふふふ、そのように遠回しな理由ではなくハッキリ仰って差し上げれば宜しいのに。最戦前である国境を任せられるのは左京殿しかいない、と」
「
「ねーー戦争にならないよう取り図れるのは、万一戦争になった場合に背中を任せられるのは左京殿だけだ、と。相変わらず素直じゃありませんわねぇ」
「……
ただ、やはり素早く切り替えれるわけもなく黙りこくってしまった武官をどう説得しようか思案中の王の背後から、唐突に音が沸いた。招かれざる客に、武官が剣を抜くより早く扉の後ろからも声が降る。王の顔が驚くほど、それはもう最高に不細工に歪んだ。
「何者だっ!? 陛下に触れるとは無礼なっ!!」
「左京」
国王を後ろからふわりと抱きしめたり、指で頬を突いたりしている侵入者を排除すべく動いた武官の名を、されるがままの国王は酷く冷たく、低い声で呼んだ。
石にでもされたかのように武官の動きがピタリと止まる。
「しかし陛下、この装い、倭国の者では!?」
「そうか、初めて会うのだったな。お前の言う通り、この者達は
「なっ、陛下の母君の? 他国の者を何故……」
「姉上の計らいを、母上が望み、父上が許諾したからに過ぎない。まぁ母上は倭国出身であるし、父上も却下する理由などなかっただろうな」
頭を撫で回したり、頬を擦りよせたり、指を絡めたりと九ノ一の王を構う行為はエスカレートしていくが王が振り払うことはない。ただ、ひたすら耐えているということだけは、深くなっていく眉間に刻まれたシワが物語っていた。
「……陛下、大変申し上げにくいのですが」
「なんだ」
「先程の、その者達の言葉は誠なのですか?」
「……我の師なれば、その程度朝飯前であろうな? 我は戦は好まぬ。史京を超える働き、期待しているぞ」
「御心のままに」
「ふぅ、これで漸く我が后のところに……はまだ行けそうにないな」
「へーーーーかっ!!」
最後まで素直ではなかったが質問に対する応の答えに武官は納得をみせ、王に深々と礼をとって退出した。
王が大きく息を吐き、さて湯浴みにでもと一歩踏み出そうとした刹那、今度は側近がドタドタと部屋へ駆け込んでくる。再度、深い溜息が漏れた。
「……まぁ、来るとは思っていたが。早すぎるだろう、だから」
「さすが、ご兄弟。そっくり、ですわ」
「陛下っ、どういうことか説明して頂きたい!! 何故、祈年祭の許可を出されたんです?」
「なんだ、そんなことか。そんなもの、やりたそうだったからに決まっている。それより客前だ、少し弁えろ」
「やりたそうだったって……え? おやおや、亥織殿に巳織殿。これはとんだご無礼を」
バタンっ、と勢いに任せて机上に手をついて猪突猛進の如く身を乗り出してくる側近を、王はすっと掌を差し出して制す。それはそれは非常にくたびれた表情で。王の言葉に、我に返った側近はさっと居直る。
「全くだ。仕置としてこの場を任せる、夕餉の準備もしておけ。要件は後ほどまとめて改める故」
「あら、逃げられてしまいましたわ」
「陛下っ、暁様と仲良くされるのも結構ですが早めにお戻り下さい!」
状況を把握した側近に王は抑揚のない声で告げて、あっさりと九ノ一の腕から滑り抜けた。つまるところ、面倒を押し付けられた側近は、そそくさと湯殿へと向かうその背に慌てて声をかけたが、王はヒラヒラと手を振るだけであっという間に消えてしまう。
「つまらないですわねぇ」
「お二方とも……もうあの方は国王陛下となられたのです。お戯れも程々になさって下さい」
「「それは残念」」
オモチャを取り上げられた子どものような
王の母である国妃は確かに特別だが、国の最高位はやはり国王であるので、先程の武官の言葉通り気安く触れれる相手ではない。
「まぁ、仕方がないですわ……けれど、こうして孤独になっていかれるのですね。国にその身を捧げる方というのは」
「覚悟の上でしょう。他の誰でもないあの方が、ご自身で望まれたのですから」
「ふふ、右京殿は左京殿と違って案外冷たいのですわねぇ」
他国の者でもどうやらその認識はあったようで、それでも渋々ながら受諾する。次いで、九ノ一は口をついて出た様な馳せた想いの、温度の違いに目を丸くした。
「兄弟といえど、兄と私では陛下との関わり方が大きく異なりますからね……ところで、
「あら、上手く躱されてしまいましたわ」
「陛下の妹君でしたら、変わらずですわよ。まるで昔の陛下を見ているよう」
けれど、側近は答える義務はないとばかりに、侍女に食事の用意を申し付けながらツーンとあしらう。九ノ一の方も答えを求めていたわけではなかったのか、意味深に微笑むだけだ。
「お二人は他の王女様方とは違い完全に血を分けた兄妹ですが、お人柄は正反対ですよ」
「まぁ、それは
「ご忠告、痛み入るな」
含み笑いを浮かべたまま、無駄のない動きで側近に近寄り、今にも鼻がくっつきそうなほど顔を寄せる九ノ一の目前に、突如分厚い紙の束が立ちはだかった。条件反射か、九ノ一はさっと飛び退く。
「が、我もまだ落ちぶれてはなかろう?」
「相変わらず、気配を消すのがお上手なこと」
「人のものを口説くなら、我に背後を取られぬようになってからにしてもらおう」
「手厳しいですわね」
心配無用だ、といわんばかりに余裕たっぷりに目を細める王にやや強張った顔の九ノ一は両手を小さくあげて降参の意を示した。
「お帰りなさいませ。思ったより、早かったですね」
「お前達が手間を取らせるから、暁が逆上せてしまった」
「それは失礼致しました。にしても、そのだらしのない格好、もう少しどうにかならないのですか?」
「人払いはしてある。己の部屋で寛いで何が悪い」
そんなやり取りも全く気にとめていない側近のイヤミに、王は恨みがましく答えるもさらりと受け流された上、更なる小言を返されれば唇を尖らせそっぽを向く。
「目の保養、ですわね」
「寧ろ、目に毒です」
「……で、母上の要件は?」
これはもう、ヤケクソだった。
やや大きめの寝巻きにもかかわらず、腰紐が緩くしか縛られていないせいではだけたままの胸元はもはや羽織っているだけに近い。まだ半乾きの髪と、蒸気で俄かに朱を帯びた肌が無駄に色っぽさを引き立てていた。
「ご即位のお祝いにこちらをお渡しするように、と」
「……母上も、粋な事をして下さる」
ぶっきらぼうに問われて、九ノ一は苦笑をしながら美しい小瓶を差し出す。途端、王の眉間にシワが刻まれた。暫く訝しげな表情で睨めっこをしていた王だったが、一つ溜息をつくとひったくるように小瓶を受け取って蓋を開け、ぐいっと中身を呷る。
「陛下の、その潔さにはいつも惚れ惚れしますわ」
「では、私達はこれにて」
苦虫を噛み潰したような表情でグイッと乱暴に口元を袖で拭い、小瓶を押し付けてはシッシッと追い払う仕草をする王に、九ノ一は任務完了とばかりにニッコリと微笑んで音も無く部屋を後にした。
「ご存知のご様子でしたので口をはさみませんでしたが、一体何をお飲みになられたのです?」
「……端的にいえば毒、だな。薬とは呼べんだろうから」
「なっ!!」
「騒ぎ立てるな、別に死ぬようなものじゃない。厄介、に変わりはないが」
まるで他人事のように淡々と告げられた答えに、正常の反応を示しただけの側近へ理不尽な叱責が飛ぶ。鋭く細められた不機嫌な碧眼に、側近は頭を抱えた。
「陛下、夕餉の用意が整いましてございます」
「すぐ、行く……右京、出仕している官吏達をいますぐ全員下がらせろ」
「全員、ですか?」
「あぁ、初夜を邪魔されたくはない。ただ、後宮と内親王宮の親衛隊だけはそのままにしておけ」
「仰せのままに」
軽い頭痛を覚えながらも側近は礼をとって、王命を周知すべく王の間を機敏に後にする。王は再度大きく息を吐き、ほんと面倒だなと呟きながらどこか覚束ない足取りで隣の寝室へと消えていった。
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