第三話  新王

『もし、てっぺんの席が我のものになる時がきたとしたら、どんな風に上がれば良いだろうな?』

『そんなもの、華月あなた様らしく脇目も振らず堂々と歩いていけば良いのですよ』

『そっかぁ……』


 視界を閉ざさせた妃の手を引きながら、ゆっくりと議場に向かう国王の頭にはそう遠くない昔にした会話が再生されていた。


「いかが、なさいましたか?」

「いや……決まっていたことなのに、まだ実感が無くてな。伴侶を迎えておきながら、胸にポッカリと穴が開いている」

「お父上様を亡くされたばかりなのですから、当然の事かと。秘めなければならない感情ほど、辛いものはありませんから」


 議場が近づくにつれ遅くなり遂に歩みを止めてしまった王に、見えているはずもない兜巾の下から紫暗が向く。

 どこか躊躇したような問いかけに王は一瞬迷って、己を掻き抱く様に白状した。


—— 誰にも、見せられない姿。


 いくら押し殺そうとも、持って行き場のない感情を抱える王の背に、妃はそっと頬を寄せた。


「我が后には苦労をかけるな」

「どこまでもお供致します。そういえば、私の後継はどの様にお考えで?」

「あーー別に居ずとも問題はないのだが。まぁ姉上にまた、適当に見繕ってもらうとしよう」

「なかなか思いつきで仰られてございますね」


 仲睦まじくしていたかと思えば、途端、白い目を向けられバツが悪そうにする国王の、一度止まった足が再び動き出す。さすればあっという間に重そうな国王専用の鉄の扉の前まで辿り着くことになった。冷えきった冬の乾いた風に、金糸が靡く。


「待たせたな、右京」

「既に皆様お揃いにございますが、まぁ、許容範囲でしょう。しかし、良かったのですか? その方まで連れてこられて」

「なーに、じーさん供を丸め込む算段なら出来てるよ。取り敢えず、だけど」


 思わぬ連れとの登場にだろうか、驚きと困惑を隠せないでいる頭の回る側近の肩にぽんっと手を乗せて、国王は自虐的な笑みを向けた。

 通常、父である前王が崩御した、その日に妃を迎えたなどと国議で報告すれば不謹慎と非難されるだけである。けれど、国王は何もかも承知で、それこそその対処までも織り込み済みだった。世継ぎも王弟もいない今、一時いっときもすれば後宮に妃を、早く世継ぎをとどうせ騒がれるのだから……と。


「陛下……」

「案ずるな。心まではこの衣裳のように染まったりはしない……、で良いのだろう?」

「御意にございます」

「では、行ってくる。我が后はしばし此処で待て」


 ゆるりと頭を下げる側近から、襟元に羽があしらわれたこれまた白いマントを受け取るとバサッと豪快に広げ着用する。それはとても力強い動作だったにもかかわらず、全身が白く、色素も薄い新王はどこまでも儚い。


 ギィーーっと、重い扉が音を立てて開かれた。


「国王陛下、お越しにございます」


 ピンと張り詰めた緊張感と静けさが支配するその中心を、一心に上っていく新王の姿は鮮烈だった。文字通り、左右にひれ伏す官吏など目に入らぬかの様にただ前だけを見据えて歩いて行く。

 ストンと、最上階の座具に腰を下ろし足を組めばどこからかススっと官吏の一人が身を低くしたまま進み出て、御前に再度平伏した。


「まずは、先の王……陛下の御父君のこと、お悔やみ申し上げます」

「「お悔やみ申し上げます」」

「……黙祷」


 一同が低い姿勢を更に低くすると、見計らったように声が合わさる。それに対して王は、ただ一言、低い音で発した。慶弔ですら、形式的なものでしかないのだが。

 それでも命令に従う臣下達に、王は酷く冷めた相貌を向ける。その碧眼には、皆、同じ仮面をつけているように映っていた。


「前王の事は、誠に残念であった。が、悲しみに暮れてばかりでいられぬことは承知している。我は見ての通りの若輩ゆえ、執政には協力願う」

「新国王陛下に、一同心からお祝いを」

「「お祝い申し上げます」」


 そう、その澄まし顔に、あっさりと主君を乗り換える上部だけの忠誠心と抱えきれない程の欲を上手く隠している様が。


「まず、皆に了承しておいてもらうことがある。我が御世では、宰相はおかぬ。よって、まつりごとに関する事は全て我に報告をあげよ」

「なっ、陛下、それはっ……!!」

「前王の、お父君のやり方で支障などなかったではありませんか」


 ざわざわ、と。国王のいきなりの宣言で、議場にどよめきが起こった。


 宰相とは、国王を補佐する官吏のなかで最高位。王の意を周知させる一方で、官吏を取りまとめることにより王に対して物申す事も出来る役職である。それを置かないということは、官吏は最高権力者である王とサシで相対せよということに他ならなかった。


「ほぅ、仲介人が居た方が我の声がよく届く、と?」

「いや、それは、その……」

「お言葉ですが、そのようにしては陛下にかなりご負担がかかってしまいます」

「構わぬ。王はこの国全ての民を預かる者。それに例外はないと、自負している。故に、では堪らない……先の様にな」

はく宰相……何か、ご意見を」


 殺気を孕ませた眼光に、皆が皆、動揺までは隠しきれず口をむ。官吏達は漸く気がついたのだ、王が怒っていることに。


 さて、前王の死因に納得していない王に、物申せる強者つわものが此処にどれだけいようか。縋り付くような声が、当事者へと向けられる。


「元より宰相は、陛下が登用をお決めになるもの。陛下の御心は既にお固いご様子、ともなれば私から申し上げることは何もございません」

「決まり、だな。本日をもって、伯 杞莉きりの宰相の任を解き、翌朝より我が判官に任ずる」

「謹んでお受け致します、国王陛下」


 けれど、当の宰相は王の宣言をいとも易々と受け入れた。あからさまに落胆をみせる者はさすがにいないが、反論を期待していた一部の官吏達の顔色が僅かに曇る。国王の口元が微かに歪んだ。


「それから、国軍官長にえい 左京を指名する。現官長、瑛 史京しきょうは速やかに継承せよ」

「仰せの通りに」

「他官の決定は、司召徐目つかさめしのじもくにて行う。それまでは査定期間と心得よ……火急を要さなければ今後の事は明日の朝議でとするが、どうだ、げん大臣」


 未だ続く混乱の最中、国王の殺伐とした声だけがよく通る。歌でも歌うかのように振るわれていく采配には異議を唱える余地など与えない、そういった意思がありありとみてとれた。

 それは、若造の王はお飾りでよい、とする官吏たちの実権掌握の目論みなど一蹴するかの様な。


「私の方からは、今すぐ申し上げなければならないことはございません」

そん大臣は」

「本日は陛下もお疲れでございましょう。報告事項は翌朝までにお纏めすると致します」


 そんな王の心の内を知ってか知らずか参事官、外相官ともに、首をゆるく左右に振った。それを確認して王は、ならば終わりだといわんばかりにスッと座具から立ち上がる。


「陛下……その、急ぎというわけではないのですが」

「なんだ」

「先の王ではお許し頂けなかった祈年祭としごいのまつりについて、陛下のお考えを頂戴致したく」

「ふむ……我には特に却下する理由はない。それが必要なことで、今から間に合うのであれば、だが」


 足早に退去しようとしていたところでやや遠慮がちにあげられた声に、国王は殊勝な顔で告げた。


 祈年祭とは五穀豊穣を祈る宮中行事の一つで、前王の代ではその殆どが執り行われていなかったのだが。


「では、早速準備に取り掛かると致しましょう」

「任せる……あぁ、そうだ。最後に、皆に紹介しておく者がいる——入れ」


 何故取りやめになっているか等、全く、なんの興味も無さそうにあっさり許可を出すと国王は手をヒラヒラさせて退がれと合図を送り、自らも入室時と同じ様に一直線に階段を降りていく。そして、タイミングよく外から開けられた扉の前まで来て、まさに今思い出したというように、けれど当初の予定通り妃を招き入れた。


「本日、後宮にお部屋を賜ることになりましたれん 暁にございます」

「と、いうわけだ。皆、我が后には礼を尽すように」

「なっ! ちょ、陛下、何がというわけ、なのですか!?」

「そうです。何もこんな日にっ!! しかも勝手に……」

「それにこれは国議ですぞ。それなのに、陛下っ、どういうおつもりで……」


 控えめでありながらも貫禄ある妃の目礼に側近が危惧した通り、また国王の予想通り一斉に非難の声が沸き起こる。目を丸くしている者、眉間にシワを寄せている者、わなわなと震えさせた拳をどうにか抑えている者、と三者三様の様子に国王はすかさず、非常に、非常に傷ついた顔をしてみせた。


「前王が……父上が、長らく我に望んでいたことだったのだ。このように急に逝ってしまわれると思っていなかったから、突っぱねていたんだが。成程、親孝行したい時に親はなし、とよく言ったものだな」

「陛下……なんとおいたわしい」


 頭を抱え自嘲する。それでも決して涙をみせることなどない王の代わりに、妃が涙声を震わせる。


「うぅ、確かに前王も案じてはおられた」

「ですが陛下、後宮にはまだ……」

「あぁ、そうだな。義母上達もまだ落ち着かれてはおられるまい。我も後宮へ渡る予定は全くないゆえ心ゆくまで休まれよ、と」

「陛下のご配慮、お妃様方もさぞ深く感謝されることでしょう」


 さすがに、悄然しょうぜんとして俯き、遺言だ、と言い切ってしまわれては臣下達の毒気も抜かれてしまった。更に、前王の妃達までをも気にかける言葉が出れば事は丸く収まってしまう。


「皆の者も、よく休むといい」

「ありがたき幸せ」


 ギーーッと、開いた時と同じ音を立てた重そうな鉄の扉はゆっくりと王の姿を飲み込んでいった。

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