15話 欲望を語る偽善者


 亜子と別れてから児童園に着く前に6時の鐘が鳴った。園に着く頃には6時半になっており、先生が入り口で待ち構えている。


 怒られるのを覚悟して園へ入ろうとすると、案の定先生に呼び止められた。


「啓太君、どうしてこんなに遅い時間に帰ってくるの? もうとっくに門限過ぎてるよ?」


「その......」


「もしかして危ない人たちと遊んでるんじゃないでしょうね?」


 僕は言葉に詰まってしまった。理由は児童園の先生たちも国会議員を恐れてるかもしれないからだ。


「あら、啓太君じゃない。珍しいね」


 そう言いながら園の中から松林先生が出てきた。


「珍しいも何も、最近では常習犯ですよ?」


「えっ? そうなのかい?」


 松林先生は僕に目をやって言う。僕は頷いた。


「友達できたの?」


「い、一応」


「そーなのかい! 良かったじゃない」


 松林先生は自分の事かのように喜ぶ。僕がずっと1人でいることを気にしていたのだろうか。


「田中先生、ここは許してあげましょ? この子ずっと1人だったから寂しかったのよ」


「あ、はぁ。松林先生が言うのなら......。今日のところは注意だけにします。だけど! 次からはちゃんと罰を受けてもらいますからね」


「わかりました。松林先生、ありがとうございます」


 僕は感謝の気持ちを込めてお辞儀した。それから自室に向かう。廊下を歩いているとたくさんの話声が聞こえた。


「ねぇねぇ、あいつさ豊野(とよの)総理の右腕と呼ばれる笠原議員の息子に喧嘩売ったらしいよ」


 うるさい。


「あいつのせいでこの児童園はもう終わりね」


 うるさい。いつものことであるのに腹が立つ。


「あいつと関わらなくて正解だったよ。俺まで標的にされるとこだったぜ」


 うるさいうるさいうるさいうるさい!


 この世は何もわかっちゃいない。




 この国が今のように危ない状況に置かれたのは前総理だけのせいじゃない。ずっと前からゆっくりと腐り、少しずつ崩れていったのだ。それなのに世間は全て前総理が悪いかったように言った。


 むしろ前総理は危なっかしい状況を立て直そうとしたのだ。その計画は失敗したが。


 僕は絶対に正しいことをしている。どうしてだいたいの人は表面上だけ見ておいて、中身を知ろうとしないのか。結果も大事だが、過程や目的も知ることは必要だと思う。


 これは恋愛でも言える。昔から『一目惚れ』というのがあり、最近ではこの『一目惚れ』をする人が多くなったらしい。新しくできた法律のせいでもあるだろうが。


 どうしてこんなにも単純なのか僕は理解出来ない。やはり僕は他人と仲良くするのは難しいのだ。


 部屋の前でため息をついて中に入る。中ではルームメイトの折本(おりもと)がベットに転がりながらゲームをしていた。今では小さい頃の馴れ馴れしさが無くなり、苗字で呼び合っている。


「おかえり」


 彼がこちらに気づいた。それに続けて彼は問う。


「おまえさ、どうして笠原議員の息子に喧嘩売ったんだ?」


 彼がゲームの画面から目を離すことはなかったので、机にランドセルを置いて椅子に座った。


「折本には関係無いことでしょ?」


 折本の方を向いて吐き捨てるように言った。それは、さっき耳にした会話のせいだろう。


「俺はずっと気になってるんだよ。最近帰りも遅いし。そのおかげで宿題も写せないし?」


 笑いを狙ったのだろう。しかし、笑える気分ではなかった。


「まず、僕が笠原に喧嘩売ったっていう噂が嘘だよ」


「え⁉︎」


 彼はゲーム機を放り投げ、僕の側に寄ってきた。


「マジか?」


 興味津々の目を輝かせる。


「当たり前だよ。僕はいじめられていた生徒を助けただけ。それで、いじめていたのが笠原だったわけ」


「でも何でそんな事した? 笠原が国会議員の息子だってことも、いじめっ子ってことも知ってただろ?」


 彼の目はいつもに増して真剣だ。それと同時に、いつの間か僕は折本に対して心を開いていたことに気づく。


 思い返せば彼を無視し始めて数日後には彼から話しかけてくることは無くなった。それは静かになったという点では良かったのだが、孤独を感じる時間が長くなった。


 淋しくて、哀しくて、辛くて、苦しくて......。


 そんな僕が、ふと折本に話かけると嬉しそうな表情で応じてくれたのを覚えている。それから彼も話かけるようになった。


 人間って本当に不思議だ。記憶や気持ちにまで干渉できるようになった現代でも、コンピュータは人の行動を予測しても、当たるのは50%未満。心情の変化も60%前後である。天気予報はほぼ100%なのに。


「そりゃあ僕だって知ってたさ。他人に興味が無いからって常識知らずじゃないからね」


「それじゃあどうして?」


「偽善ってやつだよ。自分は周囲の人から認められたかった。自分の存在をアピールしたかった。そして、1番の理由は友達が欲しかったんだよ。きっと」


 思っていることを洗いざらい話し、気持ちが落ち着いた。


「友達って、俺は友達じゃなかったのか」


「まぁ確かに、折本を友達と思ったことは一度も無かった」


「あはは、さすがにそれ言われると辛いな」


 折本は苦笑いしながら肩を落とす。


「でも、今は違う。折本のことは友達だと思っている。多分、少し前の自分は人との関わりに飢えていたのかもな」


 人間は何かを得たとしても、いずれそれだけでは満足出来なくなる。そして、欲望の連鎖に飲み込まれていく。いつか大切な物を無くしても気づかないほど狂ってしまう。


 今日もお風呂の時間を知らせる鐘が鳴る。

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