14話 同じ痛みを知る者へ


「よし、じゃあ猫の飼い主探しに行きますか」


 改心したところで本題を提示した。もうすぐ門限だが、亜子を見捨てるという選択肢はもう無い。


 それは少しずつ罪の償いをしていかないといけないという使命感では無く、彼女と一緒に居たいという気持ちと純粋な善意があるからだ。


「そうだった! 完全に忘れてた」


 そう言って猫のいた場所に目をやった。そこにはおとなしく座る子猫がいる。


「よかった、どこにも行ってなくて」


 亜子は両手で子猫を抱え上げ、しっかりと腕の中に収めた。子猫は抵抗することなく捕まってミャーと声を出す。かわいいな、なんて思いながら猫を覗いた。首輪には住所が書いてある。


「ツグネ地区2丁目か。ここから結構離れてるけど、亜子は大丈夫?」


「もちろん!」


 そして目的地に向かって歩き始めた。何の会話もせずに黙々と足を動かす。さっき亜子を抱いた時の感触がまだ残っていて、どうしても意識してしまう。そのせいでいつも通りの振る舞いが出来なかったのだ。


 すごく恥ずかしいことしたな......なんて後悔しつつ、亜子の顔を覗き込んでみる。彼女は俯いて自分の足をじっと見ていた。やはり、彼女は気にしてなかったのかと思った瞬間、こちらの視線に気がついた彼女と目が合う。


 数秒時間動けなくなる感覚に襲われ、その間に抱いた時の事を鮮明に思い出し、全身が熱くなっていく。


 我に返ると恥ずかしさに耐え切れず、目を逸らした。亜子も同じくらいのタイミングで前に向き直る。僕はいつの間にか止まっていた足を進めると、亜子もそれに続いた。


「きょ、今日は暑いね」


「そ、そうだね」


 暑いなんて言ってしまった。今、冬です。はい。暑いわけないじゃないですか。それに明後日には16年ぶりの雪が降る予報......いや、絶対に降る。


「あ、その、今日は雲が厚いなと」


 そう言って空を見上げてみる。雲一つ無い快晴であった。


「あれ、僕の見間違いかな?」


「ふふっ、ほんとだ。雲無いじゃん。それに......今冬だし熱くないよ」


 彼女は笑い出した。大きな声を出して、涙も流している。緊張が一気にほぐれ、僕まで笑みが零れた。


 僕は生きているのだ。


 もうこの感情と出会うのは2回目である。1人じゃ知ることも無かったこれは僕が歩く理由なのかもしれない。そう確信した。


「多分ここだな」


 気づけば目的地に着いていた。宗田(そうだ)と書かれた表札が付いている小さな一軒家のインターホンを鳴らす。すると、


「どちら様ですか?」


という声がインターホンから聞こえてきた。


「この猫の飼い主さんはこちらの家にいますか?」


 亜子が言いながら猫をカメラに映るよう持ち上げた。


「あ、そうです! 家の猫です! 少し待っててください」


 ほんの数秒後、ドアの奥から勢いよく足音が近づいてくる。その勢いでドアが開き、中から1人の男子が出てきた。


「ミース!」


 亜子から猫を取り上げて抱きつく。その男子はボサボサ頭が特徴的で、見覚えがある。あの時のいじめっ子だ。それに気づいた僕はとっさに思いついたことを実行に移す。


「おう、久しぶり。ねー、今から少し話さない?」


「え? あっ」


 僕のことに気がついた彼は動揺した。


「何?  陽路ひろのお友達?」


 その後ろから母親が顔を出す。


「あ、あぁ。でも、もう5時半過ぎたし」


「いいよ、夕飯が出来上がるまでなら」


「あーうん。わかった」


 僕たちがやり返すために来たのだと思ったのだろう。抱えていた猫を母親に預けて恐る恐るこちらを向く。彼の母親には感謝しなければ。こちらはしっかりと笑顔を作る。


「少し歩きながら話そうか」


 そう言って宗田を招く。彼は仕方なさそうについてきた。亜子は驚きを隠せないまま見守もってくれている。


「あの猫が居なくなって心配した?」


「そりゃあもちろん」


「じゃあ、誰かがあの猫を捕まえていったらどうする?」


 陽路は少し黙る。


「その前に未来機関が動くんじゃ......?」


「未来機関が気づかなかったら?」


「どうすると言われても......。その捕まえててった人探して取り返す」


「だよな。じゃあ......」


 間を空けて息を吸い込む。ここで彼を味方に、少なくとも敵ではなくなってもらう。


 そのために必要なのは緊張感と具体例。いつか読んだ小説にそう書かれていた。そして今、緊張感を作った。あとは彼にとって身近な事件を例として取り上げる。上手く成功する確信はどこにも無い。


「犯人が僕なら殴りたくなるよな?」


「なっ! まさか、おまえ!」


 宗田は足を止めてこちらをじっと睨みつけ、拳を構える。


「その怒りだよ。僕も嫌がらせを受けたらムカつく。そして、やり返したくなる。僕が言いたいことわかる?」


「......俺だって、やりたくないんだよ。でも、笠原の仲間にならないと俺がいじめられる」


 さっきと変わって弱々しい声で答える。拳を解き、目線を落とす。暗くなっていく街にカラスの鳴き声が街灯をつけてゆく。


「それに、笠原のお父さんは国会議員だぜ? 俺だけじゃなく、俺の親まで敵にされたらと思うと......」


「そっか。親に迷惑かけないためか。優しい面もあるじゃん」


 宗田はその言葉を聞いた途端に目を輝かせこちらを見た。


「とでも言うと思ったか?」


 僕は前言撤回する。もちろん最初からそうするつもりであった。


「心のどこかでいじめを楽しんでたんだろ? だからやめようとしなかった」


「そ、そんなこと」


「ある。ないなら笠原を止める方法を考えて行動したはずだ。それに自分たちのことしか考えてないじゃないか。僕のような立場にいる人はどう思ってると思う?」


 いい匂いに反応した宗田のお腹が鳴った。彼は恥ずかしそうにお腹を押さえて家の方向へ体を向ける。


「そろそろ帰らないと」


「最後に訊きたい。僕たちに協力してくれる?」


「考えておく」


 ぶっきら棒に返事して走って行く彼の背中に向かって叫ぶ。


「バイバイ」


 彼は言葉の代わりに手を上げた。結果は良好だったようだ。この様子を見ていた亜子がこちら寄ってきた。


「やっぱり啓太ってすごいね」


「い、いやぁ〜そんな事ないよ」


「フフッ。けんそん、だっけ? まぁいいや、帰ろうか」


 そして街灯と微かな月明かりを頼りに亜子の家を目指した。この何気無い日常を愛せるようになった僕は失うということの真意を知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る