『蟲男』より

 俺は、子供のころから虫が好きだった。例えば、蟷螂(かまきり)が獲物を捕える瞬間であったり、蜘蛛(くも)が糸を吐く瞬間であったり、毛虫が木から落ちてのたうち回る姿であったり、何が、どれが、と限定することなく、俺はその虫たちのすべての瞬間が好きだった。だが、群を抜けて特別好きなシーンというものもやはりあった。それは、寄生虫が、主の体を突き破って飛び出すシーンである。

 十歳の頃、俺は青虫を一匹捕まえて、観察目的で飼っていた。大事に箱に入れた青虫を、俺は毎日毎時間、飽きることなく眺める。餌をやって、餌と言っても庭に生えていたよくわからない雑草ではあるが、俺は毎日欠かさず餌をやって、そして、数分と置かずに青虫を観察していた。

 青虫は、通常の青虫よりも巨大で、そして動きが鈍かった。きっと虫も人間と同じように、太っていると動きにくいのに違いない。その時は、そう単純に考えていた。

 観察から一週間が経つと、青虫の体は少しずつ黒くなっていった。蛹になる時が近づいているのだ、俺はそう思い、心を躍らせた。虫が蛹になる瞬間など、そう見ることができないだろう。

 だが、俺の期待とは裏腹に、何故か青虫は弱っているようであった。餌は欠かさずやっているし、害虫も居ない。不自由なことなど、何一つない筈なのである。それなのに弱りきっていく青虫を見て、俺はただただ首を傾げるばかりであった。

 そんなある日、青虫が動きを止めた。

 俺が見守る中、それは、一瞬にしておこった。

 音もない。ただ、空間に緊張が走った。

 青虫の黒いからだが、少し波打ったかと思った瞬間、奴の皮膚を食い破って、白いものが無数に飛び出した。

 俺は今までにない興奮を覚えた。

 黒くなった青虫から這いだした白い何か達は、本当にこの青虫の中に居たのか、と疑ってしまうほど、成長していた。どうやら、蜂か何かの幼虫であるらしかった。くねくねとうねるそいつ等の横で、先程の青虫が、小さく萎んでいた。

 青虫は、死んでしまった。しかし、青虫は自らの体内に全く自らと異なる生命をはぐくみ、そして彼らのために、犠牲となったのである。まるで、生命の母。箱の中から取り出して、青虫に接吻をしてやりたいくらい、俺は感動していた。

 その日のうちに、俺は当時の親友にこの事件について語った。しかし親友は、この「寄生虫」の神秘性に賛同してはくれなかった。それどころか、俺を「悪趣味」と呼び、青虫を「汚らわしい」と罵ったのである。俺はその日のうちに、そいつと友人の縁を切った。

 寄生虫を見てから、俺はやはりまた虫の世界に深く嵌っていった。いや、寄生虫の世界に、と言った方が正しいかもしれない。もっと的確に絞って言うならば、つまり、寄生虫が主から飛び出す瞬間である。あれは、俺に、他の人間が言うような「恋愛」と同じような感情を抱かせたのだと、俺は思っている。無論、俺は人間という存在に対して愛だの恋だのという感情を抱いたことが一度として無いのだから、そのような喩では逆にわかりづらいのかもしれないのだが。

 大人になった俺は、寄生虫を求めて歩き回った。いや、寄生虫が寄生している主を探して回ったのかもしれない。そして、いろいろな虫と出会った。

その中でも、蟷螂に寄生する針金虫という奴は、非常に興味深かった。針金虫に寄生された蟷螂は、死の間際、必ず水辺に行くのである。水辺に行くと、尻から、一体何処に隠れていたのだ、と思うほど長い棒のような虫がずんずんと出てくる。それが、針金虫だ。これは俺の仮説にすぎないのだが、針金虫という奴は、蟷螂に寄生し、十分に成長した後、蟷螂の脳味噌、いや、そもそも蟷螂に脳味噌があるのかどうかは不明であるのだが、兎に角蟷螂に「水場に行け」と言うような信号を出し、それによって蟷螂は入水自殺をするのではないだろうか。

 俺は、二十五になった。だが、仕事をすることもなく、やはり虫を見ていた。親はいつの間にか死んでいたが、俺は自分が一人になったことにさえも気付いていなかった。

 最後に、弟が病死すると、俺にとって肉親という奴は一人もいなくなった。

 その頃、俺は流行病にかかった。なんたら、という南蛮から持ち込まれた病気であるらしいが、もはやそんなことは俺には関係なかった。死からは免れることが出来ない。あの青虫が死んだように、俺にだって死は訪れる。それはこの世の常なのだ。

 病は、一秒の猶予も与えることなく、俺を確実に蝕んで行った。俺は、不思議と恐怖を感じることは無かった。安らかであったか、と聞かれれば、別にそういうわけではないが、かといって取り乱したようなことは一度もない。

 本格的に死を意識し始めたころ、俺は不思議な夢を見た。

 夢の中の俺は、森の中を歩いていた。いや、森、だろうか、正確に言うならば、巨大な草むらのようである。草むらは、暗闇に向かって続いていた。今歩いている場所も、十分暗いのだから、暗闇に向かって、という表現で正しいのかはわからない。ただ、夢の中の俺は、ひたすらに、当てもなく続く一本道を歩き続けていた。

 暫く歩くと、上の方から「ねんねんころり、ねんねんころり」という声が聞こえた。子供のころに聞いたことがあるような子守歌である。この声、もしかしたら母親に似ているかもしれない。俺は咄嗟に、ああ、死んだ両親が迎えに来たのだ、と思った。だが、あたりに歌が響くだけで、死を予感させる悪魔や、俺の両親が俺の前に現れて、俺をあの世へ連れて行こうとするようなことは無かった。じれったい、と俺は思うのだが、やはり夢だから足が止まることはなかった。

 俺は仕方なく子守唄を聞き続けた。そして気付いたのだが、どうやらこの声は、母親のものでは無い。男の声である。だとしたら父親だろうか、弟だろうか、いや、確かに似ているかもしれないが、父親や弟に子守唄を歌ってもらった記憶はない。

 だがこの声、何処かで聞いたことがあるのである。しかも、よく聞く声。俺は夢の中で、しかし、考えた。

 そして思い出した。

 これは、俺の声だ。

 この歌は、俺が、青虫に聞かせた子守唄だ。

 だが青虫は死んでしまった。

 白い虫達に、食い殺されて。

 俺は、それが羨ましくて仕方がなかった。青虫の死が、では無い。何かが自らの体の中で、“生きている”ことが、である。それで、俺は小一時間ほど、イエスを前にしたキリスト教徒のように、縮んだ青虫を眺めていた。

 この子守歌を歌いながら。

 そしたら、動いたのだ。

 そうだ、あの時。

 青虫は、死んでいなかった。


 目を覚ました俺は、非常にすっきりとした気分であった。額に触れてみる。どうやら、熱もないようだ。病が治ってしまったらしい。

床から起きて立ち上がろうとしながら、両腕がなんだか気持ちが悪い気がして、俺は着物をたくし上げた。腕に目を落とす。

 言葉を失う、とは、こういう時に使うべき言葉であるのだろう。

 俺の腕から、白い虫が無数に顔を出して、ゆらゆらと揺れていたのであった。






「全く、気味の悪い小説を書く人間も居るものだ」

 一昨夜から書庫に閉じこもっていた綺堂壱(きどういっ)紀(き)は、手にしていた本をぱたり、と閉じた。古い本だ。何処も彼処も傷やらシミやらで埋め尽くされていて、おまけに埃だらけの書庫に置きっぱなしにされていたため、ぱたり、と本を閉じただけでも、そこに積もった塵やら埃やらの異物が舞いあがる。

 綺堂は全く咳込むこともしない。紺色の着物の裾が、本棚に当たって、やはりぼうん、と埃が舞う。

「だが、全くもって、興味深い」

 綺堂は言うと、本の背表紙を指でなぞって、埃を落とした。

 白い埃で覆われていたそれは、指で払われ、やっとその名前を浮かび上がらせた。

「『蟲男』、か」

 ああ、やはり興味深い、と綺堂は言う。

その時、書庫の戸がきい、と音を立てて開いた。

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