028 大沼さんの家に行ってもいいですか?

 黒浜は追加でさらに酒を何杯か注文し、どんどん機嫌が良くなっていった。

 少しずつ口数が増えると、やがて彼は悩みや会社の不満なんかを次々と俺に語りはじめる。

 そして最後には酔っ払って眠ってしまった。


 高見さんが俺に向かって言った。


「いやー。クロっちの隠された一面を見ることができましたね。普段は優等生っぽいのに、この状況ですよ。彼は大沼さんに完全に心を開きましたね」


 市柳さんが心配そうに声を震わせる。


「く、黒浜さん、このままじゃ一人で家に帰れませんよね? ど、どうしましょう……」


 俺は苦笑いを浮かべた。


「ははっ……仕方ないから、黒浜は俺の家に連れて行きますよ。今日は男二人でお泊りかな」


 この時点で、俺が高見さんの家に行くこともなくなった。

 俺が酔っ払って眠れば高見さんと一夜を過ごせるのだけど、黒浜が酔っ払った場合は、俺は彼と一夜を過ごすことになるみたいだ。


 恋愛シミュレーションゲームなんかだったら、高見さんルートではなく、イケメン黒浜ルートになってしまったという感じなのだろうか。

 ……まあ、このルートが正解で間違いないと思うけど。


「では、そんなわけで黒浜は俺の家に連れていきます。じゃあ、解散しましょうか」


 俺がそう言うと、高見さんがぼそぼそつぶやいた。


「クロっち、いいなあ……。アタシも酔っ払って眠っちゃえばよかった……」

「えっ?」


 驚いて俺がそう声を出すと、高見さんが尋ねてくる。


「ねえ、大沼さん。アタシも大沼さんの家に行ってもいいですか?」

「はっ?」


 続いて高見さんは、市柳さんに向かって言った。


「ねえねえ、市柳さんはどう? このまま四人で、大沼さんの家で始発の時間まで過ごすってのは? 楽しそうじゃない?」


 い、いや……さすがに市柳さんは来ないだろう。そういうタイプの人じゃないと思うし。

 けれど……。


「お、大沼さん……。わ、わたしもお邪魔していいですか?」

「ええっ!?」

「た、楽しそうなんで……」


 もじもじしながらそう言った市柳さんは、本当に楽しみにしていそうな雰囲気だった。そのせいで俺は、なんだか断れなくなってしまったのである。



   * * *



 新入社員三人を連れて自宅に帰った。

 俺が借りている部屋は建物の一階にあり、六畳ろくじょうの和室とそれと同じくらいの広さのダイニングキッチンという間取まどりだ。

 バス・トイレ・室内洗濯機置場付きである。


 築30年以上の建物で、部屋の内装は色々と古臭いけれど家賃やちんが手頃だった。

 たたみの部屋があるという点も個人的に気に入っていた。


 和室を寝室にしているので、畳の上に布団を敷いて酔っ払った黒浜を寝かせる。我が家にベッドはないのだ。


「なんとく予想していたんスけど、大沼さんの家、男の一人暮らしなのに綺麗ですね!」


 高見さんはそう言って、家の中を観察しながらうろうろと歩き回る。

 まあ、部屋が綺麗というより、ほとんど物がないのだ。


 ダイニングにはローテーブルがあって、その上に飲み物やお菓子を出した。

 二人掛けのソファーがあるのだけど、そこに市柳さんと高見さんに座ってもらうことにする。

 俺は和室から持ってきた座布団ざぶとんをフローリングの床に敷いて座った。


 隣の和室で眠っている黒浜は放って置いて、三人で飲み物を口にしながらまったりと休んだ。

 しばらくして、俺がお茶を飲んでいると、高見さんが驚くようなことを口にした。


「よし! じゃあ、大沼さん。シャワー貸してください」


「えっ!?」と、俺は大きな声を出してしまった。

「えっ!?」と、市柳さんは小さく声を出した。


 高見さんは俺たちの反応など気にせず話を続ける。


「頭を洗うのはさすがにあきらめますけど、首から下だけでも汗を流したいかな……。あと、大沼さん。なにか服を貸してもらえませんか? 高校の時のジャージとかでいいですよ」

「いや……高校のジャージなんてこの家にありませんから」

「んー。じゃあ、なにか適当に貸してもらえませんか? リラックスできるような服を。シャワーを浴びた後、またスーツを着るのは嫌だなあ……」


 まあ、可愛い後輩の頼みである。

 なんかワガママだなあ……とも思ったけれど、こういうところが高見さんの面白いところでもあるわけだ。


 適当に部屋着を探してきて、バスタオルといっしょに高見さんに渡した。

 そして……。

 高見さんがシャワーを浴びている間、俺は市柳さんと二人きりになったのである。


 市柳さんは少し酔いが残っているのか、頬と耳が赤かった。

 いや……もしかすると俺と二人きりになってしまい緊張しているのかもしれない。

 彼女はお茶の注がれたグラスを両手で包み込むように持ちながら、うつむきかげんでずっと黙っていた。


 こちらから話しかけた方がいいだろうか……?

 そう悩んでいると、市柳さんがグラスをテーブルに置いて、先に口を開いた。


「お、大沼さんっ!」

「は、はい!」

「と、と、隣に座りますか? 高見さんがいないので、ソファーが一人分空いています……。ど、どうぞ……」


 市柳さんがそう言ってソファーをポンポンと叩くので、俺は座布団から立ち上がって彼女の隣に腰を下ろした。

 二人掛けのソファーだけど、それほどゆったりしたサイズでもなかった。横並びになって座っていると、俺の肩と市柳さんの肩が少し触れ合ってしまう。


 とても緊張する状況となり、再び沈黙がやってきた。

 よし……次こそは俺から話しかけよう。


「し、しかしまさか、黒浜がカタログ班を希望していたなんてね。市柳さんは知っていましたか?」

「い、いえ……先ほどはじめて知りました」

「でも、黒浜は営業3課で評判がいいですから、10月の本配属でカタログ班になれる可能性はたぶん低いですよ。黒浜はおそらく本配属も営業で決まりだと思います。可哀想ですけど……」


 市柳さんは隣で静かにうなずいた。

 何か考え事をしているような様子だった。彼女の心の中はさすがにわからないけれど、仕事のことを考えているのではないかと俺は思った。


 高見さんだって、黒浜だって、新入社員は誰だって多かれ少なかれ悩みを抱えているものだろう。

 市柳さんだってもちろん例外ではない。


「あの……市柳さん。こんなときに言うべきことじゃないかもしれないんですけど……」


 営業1課が市柳さんを獲得したがっていることを、俺は突然彼女に伝えた。

 自分でもどうしてこのタイミングなのだろうかと、少し驚いた。だけど、気がついたら俺の口が勝手にしゃべりだしていた。本当にそんな感覚だった。


 俺は熱意を込めて語り続け、そして一通り説明を終える。

 すると、市柳さんがこんな質問をしてきた。


「お、大沼さん……。もし、わたしが本配属で営業1課になったら、黒浜さんがカタログ班になれる可能性も出てきますか? 黒浜さん、カタログ班になりたいんですよね……」


 彼女のその言葉を聞いて、なんだか俺は少し頭にきてしまった。


 ああ……もう、本当にこの人は……。

 どうして自分の人生に大きな影響があるかもしれないことなのに、他人のことを優先しようとしているんだ?


 市柳さんが良い人だということは充分に知っているのだけど、彼女のこういう生き方が個人的に少し許せなかった。

 人それぞれの生き方があり、口を出すのはマナー違反のような気もした。

 けれど、それでもどうしても意見を言いたくなった。


「ねえ、市柳さん……そういうのはやめましょう」

「えっ?」


 俺は両手でガバッと市柳さんの肩をつかんだ。それから、彼女の身体をくるりとこちらに向ける。


「お、お、大沼さんっ!?」


 さすがに驚いたのか、市柳さんが長いまつ毛に縁取ふちどられた両目を大きく見開いた。普段からぱっちりしている綺麗な黒い目が、さらに大きく見える。

 動揺どうようを隠しきれない市柳さんのその両目は、ぱちくりと何度もまばたきを繰り返していたが、こちらから一度も目をらすことはなかった。


 ああ……強引なことをしてしまっただろうか?

 まあでも、もうやっちまったのだから仕方ない。


 至近距離しきんきょりで俺は、市柳さんの目をまっすぐに見つめながら言った。


「市柳さんは、本当にやさしい人だ。俺はそれをよく知っているつもりです。うまく説明はできませんが、俺は何度も何度も繰り返しそう思ったことがあります」


 市柳さんが、ごくりとツバを飲み込むのがわかった。

 俺は話を続ける。


「もし市柳さんがこのままカタログ班でいたいのなら、黒浜に遠慮えんりょなんかする必要はありません。『カタログ班に残りたい』と本音を俺に言えばいい。逆に営業1課に来る気があるのでしたら、俺にそう言ってください。市柳さんの本当の気持ちが大切なんだと思います。今だけは、他の新入社員の配属先のことなんか心配しないでください。市柳さんの本音を俺にきちんと教えてくれませんか? どうか……お願いします」


 俺は彼女の肩から両手をはなし、頭を下げた。

 本当にお願いします……と、心の中で祈りながら。

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