027 お前の声をはじめて聞いた気がする

 水曜日に市柳さんの説得に失敗してから時間が経ち、土曜日がやってきた。

 オークション本番である。


 出番になると俺はり台に立って、オークションを進行した。


「LOTナンバー151は、10万円からスタート! 10万円っ! 10万円っ!」


 やがて、会場のビッド札がたったひとつを残してすべて下げられると、いつもの宣言をする。


「落札します」


 ハンマーを打ち鳴らすと、カンっ――と乾いた音が会場に響いた。


「916番のお客様、18万円で落札っ!」


 そう口にした瞬間、目の前が真っ暗になった。

 まあ、予想はしていたのだけど、過去に戻されてしまったのである。



   * * *



 気がつくと、例の洋風居酒屋で椅子に座っていた。

 新入社員たちと飲み会をしたあの夜に、再び戻っていたのだ。


 四人がけのテーブル席で、俺の正面には市柳さんが、彼女の隣には高見さんが座っている。

 俺の隣には黒浜がいた。前回と同じである。


 どうして俺は、この飲み会に戻されるのだろうか?

 ここに戻される理由がきっとあるのだろうけど、どう行動するのが正解なのだろうか?


「はい、大沼さん。メニュー表ですよ」


 グレーのスーツを着た高見さんが、ミルクティー色の髪を揺らしながら俺にメニュー表を差し出してくる。

 前回と同じく、俺たちは席についたばかりで何も注文していない状態だった。


「ああ、すみません。ありがとうございます。今日はみんなで、何かおいしいものを食べましょうね」


 そう言うと俺は、高見さんからメニュー表を受け取る。

 高見さんがニコッと笑った。とても魅力的な笑顔である。


 でも……その笑顔を目にしてわかったことは、高見さんに対する恋愛感情がばっさりと消え去っているということだった。

 2回も恋人になったはずなのに、高見さんを恋人だと思う感情が俺の中でうそのように消え失せていたのだ。


『高見さんと恋愛関係を進めてはいけない』


 前回と同じく、誰かからそんなふうに強く忠告されているような気持ちになった。

 恋愛感情にまで制限がかけられているような、あの気味の悪い気分である。


 予想していた通り、俺は高見さんの下着の色を思い出せなくなっていた。

 どんなキスをしたかとか、ベッドの上でどんなふうに抱き合ったかとか――彼女と愛し合った記憶がまだらになっていた。


 この経験は二度目とはいえ、さすがに戸惑う。

 それでも前回の失敗から、飲み会の雰囲気を悪くしてはいけないと俺は学んでいた。

 しばらくして、飲み物と食べ物の注文が終わると、俺は新入社員たち三人に言った。


「その……この飲み会の目的を、先にみなさんに伝えておいてもいいでしょうか。実は――」


 とりあえず俺は『後輩と接するのが苦手で、それを克服したい』ということを、早々に打ち明けた。

 前回のように飲み会が重苦しい空気になるのはごめんである。


 打ち明け話が終わると、市柳さんも黒浜もなんとなくやさしい目つきで俺の顔を見つめてきた。

 美男美女がこちらを眺めながら、やんわりと微笑む。

 これは、前回も目にした光景だった。


 もともと事情を知っていた高見さんなんかは、保護者みたいな微笑みを浮かべて、一人でこくりこくりとうなずいていた。


 それから市柳さんも黒浜も、後輩に苦手意識を抱く俺に気をかって、飲み会を盛り上げようと努力してくれた。

 二人とも物静かなタイプなので、前回と同じく実際にはそれほど盛り上がらない。けれど、二人のやさしさがうれしかった。


 開始から1時間が過ぎたころには、みんなすっかりリラックスしていた。なごやかな雰囲気の良い飲み会となったのだ。


 カシスオレンジのグラスを両手で包み込むように持った市柳さんが、俺に尋ねてくる。


「そ、それにしても大沼さんって、本当にお酒をお飲みにならないんですね?」

「はい。実は俺だけじゃなくて、父親もお酒が弱いんですよ。遺伝なんですかね?」


 俺は辛口のジンジャーエールをごくりと喉に流し込みながら思った。

 この話をするのって三度目だよな……。


 アルコールのせいで、ほんのりと顔を赤らめている市柳さんに向かって俺は話を続ける。


「俺が社会人1年目だったから22歳のときかな。夏に実家に帰ったとき、350ミリリットルのビール1缶を親父と二人で半分に分けて飲んだんですよ。本当に1缶だけ。それで、気がついたら二人とも朝までリビングで眠っていました」


 高見さんが軽く吹き出した。


「ぷっ! 親子でどんだけ弱いんスか」


 手にしていたグラスのレモンサワーを波立たせつつ、彼女はニヤニヤ笑った。

 同じ話を三度して、三度とも同じような笑いがとれたことで少し不思議な気分になる。本当に時間が戻っているのだなあと、あらためて実感した。


 俺の隣では、黒浜が栗色くりいろの髪を静かに揺らしながら両目を細めて微笑んでいた。

 もし俺が女性に生まれていたら、やはりこの笑顔でごはん2杯はおかわりできる……そう思ったところで、ふと気がついた。


 んっ……? 黒浜?

 ちょっと待てよ……? 黒浜って、どうなんだ?


 実は以前、俺は黒浜に営業3課のことをどう思っているかと尋ねたことがあった。

 営業3課の仕事は、とてもやりがいがあると彼は答えた。


 でも……それって、こいつの本音だったのか?

 本当のところは、どう思っているんだ?

 黒浜は優等生みたいなところがあるから、周囲の人間を心配させまいと本心を隠しているんじゃないだろうか?


 新入社員ながら、営業3課でそつなく仕事をこなしていた黒浜は、社内での評判もよかった。

 彼はたぶん営業の才能がある。俺はなんとなくそう思っていた。

 だから黒浜は、本配属でも営業に残って当然なんじゃないかと心のどこかで決めつけていた。

 市柳さんが営業になった場合、黒浜ではなく高見さんがカタログ班になるのだろうと――。


 黒浜の本当の気持ちを、もう少し詳しく知りたい……。


 その考えにたどり着いたとき、この飲み会で自分が本当にやるべきことを理解した。

 今回、鍵となる人物は市柳さんでも高見さんでもない。

 黒浜だったのだ。


 ターゲットを黒浜にしぼると、俺は彼の心をほぐしにかかった。


「なあ、黒浜。俺だって恥ずかしかったけど『後輩が苦手だ』ってことを正直に打ち明けたんだ。今日は黒浜も、何か俺に打ち明けてくれよ。黒浜は会社でいつも優等生すぎるだろ? なんか愚痴ぐちとかないの?」


 市柳さんが黒髪を小刻みに震わせながら、少しハラハラした表情で俺と黒浜のことを見ていた。

 高見さんの方は、ミルクティー色の髪を揺らしながら俺の援護えんごをしてくれる。


「そうだよ、クロっち! 何か悩み事とかあったら、大沼さんに聞いてもらっちゃいなよ。アタシだってこの前、営業2課であんまりうまくいっていないことを大沼さんに相談してさ、それでずいぶん気持ちが楽になったよ」


 俺もさらにたたみかける。


「そうだぞ、黒浜。人に話すことで、いくらか気持ちが楽になることもあるぞ? なあ、お酒足りてるか? 追加で注文するか? からあげとか食べるか? 本音を俺に打ち明けるか?」


 そして、追加で頼んだ中ジョッキ2杯分のビールを飲み干したところで、ようやく黒浜が隠していた本音を打ち明けてくれた。

 実は黒浜は、営業3課で仕事をすることにずっと迷いを抱いていたのだという。

 新入社員ながらあれだけスマートに仕事をこなしていたこのイケメンは、本当は営業にはなりたくなかったらしい。


「大沼さん……。僕は本当は、オークションカタログが作りたくてこの会社に入ったんですっ!」


 ああ……なんということだろうか……。

 俺をさんざん悩ませていた問題の答えが、こんなにもあっさり見つかるなんて……。


 俺は隣の席に座っている黒浜の肩をポンポンと軽く叩いてから言った。


「なんだか俺、お前の声ってはじめて聞いた気がするんだ」

「どういう意味ですか、大沼さん?」

「黒浜の本音が、はじめて聞けたって意味だよ」


 そう口にした俺は、おそらく満面の笑みを浮かべていたことだろう。

 もうゴールが見えていたからだ。


 それから俺は、この可愛い三人の新入社員たちを必ず幸せにするんだと、人知れず心に誓ったのである。

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