第4章 肉体関係と社内恋愛

019 第4章 肉体関係と社内恋愛

 7月の上旬に開催されたオークションは、何の問題もなく終わった。


 ハンマーを叩けば、またどこかの時間に戻されて同じ日を繰り返すことになるのだろうか?


 そう覚悟していたのだけど、何も起こらなかった。ほっとしたと同時に、少し拍子抜ひょうしぬけしたくらいだ。

 オークショニアとしてり台に立った俺は、おかげさまで思う存分大好きなオークションを堪能たんのうさせてもらうことができたのだった。


 三人の新入社員たち――市柳いちやなぎさん、高見たかみさん、そして黒浜くろはまとは、普段から積極的にかかわることを心がけた。

 挨拶あいさつはもちろん、迷惑にならないようタイミングを見計みはからって適度に声をかけ続けた。


 仕事の話をしたり、天気の話をしたりと会話の内容が浅いことも多かった。けれど、とにかく俺は新入社員たちと接触する頻度ひんどを上げた。

 お得意様に足繁あししげく通う営業マンのごとく、新入社員たちの前に顔を出し続けたのである。


 カタログ制作班の市柳さんとは、お互いの出身地が隣町ということもあって故郷の話をすることもあった。


「お、大沼さんも子どものころ、あの店のゴロゴロしたフライドポテトを食べていましたか? ボリュームもありましたし、お、おいしかったですよね? もう、あのお店なくなっちゃったらしいですよ? 残念です」


 市柳さんは、地元のホームセンターに併設へいせつされていたスナックフードを売る店の思い出を楽しそうに俺に語った。

 子どものころ、俺も自転車に乗って何度か買いに行ったことのある店だった。


 髪を切った市柳さんは、以前と違って性格もやや明るくなっているように思えた。

 肩に触れない程度の長さに切られた黒髪は、相変わらずよく似合っていた。例のもっさりとした髪型とは違って、市柳さんの綺麗な顔がずいぶんと拝みやすくなっている。

 社内では男たちの彼女を見る目つきが変わった気がした。


 新入社員の中で唯一の男である営業3課の黒浜は、相変わらず見た目がイケメンだ。

 高見さんとは違って、先輩である俺にきちんと敬意を払ってくれる。きっと性格もイケメンなのだろう。

 まあ、もし俺が女性に生まれていたら彼のことを好きになったかもしれない。


 そして、ある程度予想していた通りだけど、俺は高見さんにとてもなつかれていた。


「大沼さん。新発売のこのチョコ食べました?」


 会社なんかで俺の姿を見かけると、高見さんの方からわざわざ近づいてきてくれる。

 高見さんは営業2課の直属の先輩とはまだギクシャクしているようだ。せめて社内で俺が少しでも高見さんの心の支えになれているのなら、なんとか仲の良い先輩でいてあげたいと思っている。


 また、このころになると、あるひとつの考えが自分の頭の中で強烈に浮かぶようになっていた。


『もしかするとこの世界では、新入社員たち三人が会社を辞めない未来も手繰たぐり寄せることができるのではないか?』


 今はまだ7月だけれど、来年の4月にはイケメン黒浜がまず会社を辞めてしまう。その半年後には高見さんが、最後には市柳さんが辞めてしまうのだ。


 三人が本当に会社を辞めたいのなら、俺が無理に未来を変える必要はないけれど、どちらにしろ新入社員たちの現時点での心をもう少し深く知っておきたい。

 俺はそんな欲が出てきてしまっていた。


 後輩とのつきあいをあれだけ苦手と思っていたのに、こんなことを考えるなんて不思議なものである。


 そして、新入社員たちの心を知って、もし三人の未来を変える必要が出てきたら?


 大きなターニングポイントとなるのは、仮配属が終わって本配属が決定する時期だと予想している。

 鍵となる人物は、やはり市柳さんだ。営業1課の課長が、市柳さんの獲得に相変わらずノリノリなのだ。


 カタログ制作班の彼女が本配属で営業1課になったら、他の新入社員たちにも少なからず影響があるだろう。

 高見さんや黒浜の配属先も見直される可能性だってある。


 そのとき、俺が知っている7年前とはずいぶんと違う世界がはじまるのではないか?


 そんな予感がしていた。



   * * *



 7月の中旬。会社の廊下で高見さんと会った俺は、自分らしくないこんな提案をしてみた。


「一度、新入社員たちと俺とで、四人で飲み会をしてみたいんですけど、高見さんはどう思いますか? まあ、飲み会なんて新入社員たちからは嫌がられるかもしれないですけど……」

「んっ? アタシそういうの大好きッスよ。大沼さんがいるなら面白そうだし」


 ミルクティー色の長い髪を揺らしながら、高見さんは笑顔でそう言ってくれた。


「大沼さんのお誘いなら、アタシは絶対に参加しますよ。他の二人は参加するんですか?」

「いや、実はまだ高見さんにしか声をかけていないんですよ。他の二人には何も言っていないです」


 俺の言葉を聞くと、高見さんはちょっと驚いたような表情を浮かべた。


「えっ! な、なんスか、それ! 後輩として一番に声をかけてもらったとか、アタシめちゃくちゃうれしいんですけど!? もしかしてアタシ、大沼さんから一番愛されている後輩なのかな? ふふっ」


 正直、高見さんのこういう反応、後輩としても異性としても素直に可愛いと思ってしまう。

 高見さんは、顔を少し赤らめながら話の先を続けた。


「大沼さん。お店の予約が必要なら、アタシがしておきますけど」

「お願いできますか? 会社の近くで、金曜日の夜とかがいいですかね?」

「わかりました。お店、探しておきますね」

「ありがとうございます」


 続いて高見さんは、こんな提案をしてくる。


「それで、他の二人への声かけはどうします? クロっちはアタシと席が隣同士なんで、こっちで声をかけておきますよ。けど、市柳さんは……まあ、大沼さんが直接声をかけた方が、たぶん参加してくれるんじゃないですか? いつも仲が良さそうですもんね」

「わかりました。じゃあ、市柳さんには俺から声をかけておきますよ」


 そんなわけで、新入社員たちと飲み会をすることになった。

 自分から『飲み会をしよう』なんて言い出すのは、実は人生ではじめての経験だった。

 なぜなら俺は、酒がほとんど飲めないからだ。

 アルコールにめっぽう弱いのである。

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