第3章 新入社員の仮配属

013 第3章 新入社員の仮配属

 木曜日と金曜日の下見会が終わり、いよいよオークション本番となる土曜日。

 しかし……。


 オークションで『LOTナンバー1』の落札をげてハンマーを打ち鳴らすと、俺はまた『例の火曜日』に戻ってしまうのだろうか?

 神田の画廊で集荷して、製薬会社の担当者と商談するあの日を、やり直すことになるのだろうか?


 けれど今回は、『もう戻されないのではないか』という妙な予感があった。


 お客さんが会場に入り、俺はり台に立つ。

 設置されているモニターにLOTナンバー1の作品が映し出されると、オークションを開始した。


「LOTナンバー1。こちらは、3万円から参りましょう。3万円スタート! 3万円っ!」


 これまでと同じく、会場でいくつかビッド札が上がった。

 競りを進行していくと、ビッド札はたったひとつを残してすべて下げられる。

 落札者はいつも同じ客だった。


「落札します」


 宣言すると、俺はオークションハンマーを打ち鳴らした。

 カンっ――と、乾いた音が会場に響く。


「1011番のお客様、5万円で落札っ!」


 さあ……俺はまた火曜日に戻るのか?

 今まで通りならば、ここで意識が飛んで、次の瞬間には車の運転席だ。


 だけど……今回はっ!?


 竸り台の脇に設置されているモニターに『LOTナンバー2』の作品が映し出される。

 ああ……。予感が的中したのだ!

 時間が戻らず、ようやく前に進んだのである。


 よろこびがこみ上げる。

 会場のお客さんたちの前なので、俺は顔に出さないよう注意していたのだが、口元だけは少し笑ってしまったかもしれない。

 こうなった場合の心の準備は、自分ではすっかり出来ているつもりだったのだけど。


 さあ、大好きなオークションを続けようじゃないかっ!


 モニターを指し示すと俺は、『LOTナンバー2』の競りを開始した。




 夕方になるころには、オークションは無事に終わっていた。

 ループしていた時間から抜け出すことができたのである。


 例の火曜日に戻らなかった。

 だから状況は一歩前進という感じではあるけれど……7年後の世界には戻れていない。

 もしかすると、このまま戻れないのではないかという気もしてきた。


 週明けの月曜日。

 課長に昼飯を誘われ、二人で会社近くの定食屋に行った。俺に何か相談があるとのことだった。


 製薬会社の担当者にはすでに追加資料を送っていた。

 出品するオークション会社を決定する会議が開かれるのは、まだまだ先のことだと聞いている。

 それなら、何か別の案件の相談だろうか?


 どこの町にも1軒くらいはありそうな、これといった特徴のない定食屋でミックスフライ定食を食べ終えた課長が言った。


市柳いちやなぎさんの話なんだけどな」


 ああ……その話か。


「いやー、大沼おおぬまが営業の才能を見いだした彼女だけどさ、本当に無口だよな」


 いつの間にか俺が、市柳さんの営業の才能を見いだしたことになっていた。

 製薬会社の商談に彼女を連れていったのは確かに俺だ。けれど、別に営業の才能があるとか、そんな大げさなことを口にした記憶はまるでないのだが……。


 課長はランチタイムサービスの味の薄いホットコーヒーをすすってから、一人でしゃべり続ける。


「実は俺さあ、この間から市柳さんのことを観察し続けていたんだ。最近、彼女のことが妙に気になっちゃってさ」


 うっ……。ちょっと課長……。

 何を言い出すんですか?

 あなたは妻子のある身なのだから、あまり変なことはしないでくださいよ。


 そう言いかけるが、とりあえず俺はもう少し黙って話の続きを聞く。


「まあ、下見会やオークションがあったから、ずっと見ていたわけじゃないんだけどな。しかし彼女は本当に誰とも会話しないよ。仕事で必要な最低限の会話はするみたいだけど本当に無口だ。もし営業になっても、無口なままだろうか?」


 課長は本気で市柳さんを営業1課に引っ張ってくるつもりなのだろう。

 まあ、俺としても『7年後の世界に戻るためのヒント』を、市柳さんとの会話などから見つけ出さなくてはいけない。だから、彼女が営業1課に来るのなら色々と都合が良い。


 俺は課長に言った。


「市柳さんって普段は無口ですけど、いざ会話してみると、まったく喋らないってわけでもないんですよね。もし彼女が本当に営業としてやっていくのなら、無口なのは努力次第で克服こくふくできる気はしますけど」

「いや、大沼。無口なら無口で、そのままでいいんだよ」


 ……いいのかよ。


「大沼。俺が前に勤めていた会社の話なんだけどさ、営業の先輩にそれはそれは無口な人がいたんだ。美術系の仕事じゃなくて他業種だったけどな」


 課長は中途ちゅうと採用で、他業種から転職してきた人なのだ。


「本当に無口な人だったんだ。けど、いつも営業成績はトップだったんだよ。あれ、どうやって営業してたんだろうな? いまだにわからん」

「そうなんですか。『ものすごく無口な人なのに営業成績はトップ』なんて話は、ネット上なんかでは目にしたことありましたよ。けど、都市伝説みたいなものだと思っていました」

「前の会社で俺は実際に、そんな都市伝説みたいな人と働いていたんだよ。だからさ、市柳さんみたいな、ああいう無口な子の営業、俺は本気でありだと思うよ」


 やっぱり『あり』なのかよ……。


「大沼。あの子は、きっと何かを持っている。ダイヤの原石だ」

「はあ……」

「お前が営業の才能を見いだした市柳さんを、営業1課でぜひ獲得したい。だから、部長を説得するための材料がもっと必要だ」

「部長を……説得」

「ああ、そうだ。大沼よ、部長を説得するための材料をなんでもいいからお前の方でも探しておいてくれ」

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