011 『外国人作家の挿画本』

 市柳さんの知り合いであるこのおじさんは、立場もあるだろうから表立ってうちの会社に肩入れできないだろう。そもそも彼に決定権がまったくないというのは本当のことだと思う。

 彼は自分の立場や様々なことを考慮こうりょしたうえで、


『私が直接ヒントを口にするわけにはいかないので、こちらの発言から何かをみ取ってくれ』


 と、俺たちに匂わせている様子だった。


 7年後の世界から来た俺は、業界1位の1社がすべての出品物を総取りしてしまう未来を知っている。

 国内ナンバー1のオークション会社は、高額作品の取り扱い実績も抜群だ。そもそもすべての出品物を総取りして当然の実力である。


 だけどせめて……。

 うちの会社が得意としている版画作品くらいは、何かひとつでもいいので出品してもらえないだろうか。


 そう思いながら、リストにさっと目を通した。

 今さらながら、とある外国人作家の作品が目にとまる。美術に詳しくない人でも、一度は名前を耳にしたことがあるだろう海外の有名作家だ。

 その作家のリトグラフ(石版画)が40点ほど収録された挿画本そうがぼんが、今回の出品予定作品の中に含まれているわけだけど……。


 うちの会社が提案している予想落札価格エスティメートは、2000万円~2500万円。

 そして、この作家の版画の取り扱い実績に関しては、うちの会社だって国内ではトップクラスだ。


 1億円超えの作品は、どうせ任せてもらえないことはわかっている。

 それならば――。

 この挿画本ひとつだけでも、うちの会社になんとか引っ張ってこられないだろうか。


 挿画本1点に狙いを定め、担当者の反応を確かめてみることにした。

 俺は、担当者に質問する。


「今回の出品物は、会議で決定された1社にすべてご出品なさるおつもりなのでしょうか? 高額な作品が多いわけですし、複数社に出品を分けて、リスクを分散させるという考えもありますが?」

「いえ。もちろん、複数のオークション会社様に、分散して出品させていただくという可能性もあるにはあります」


 ……そうは言うけれど、実際には業界1位の会社が総取りする未来が待っている。

 この製薬会社は一度のオークションで、すべて出品してしまうのだ。

 7年後からやって来た俺は、それを知っている。


 おおよそ半年とかそんな短い期間で、すべての作品を売りさばかなくてはいけない会社の事情があるのだろう。

 だからこそ、小出しにしてじっくり売りさばくことを選ばず、これだけの作品群を業界1位のオークション会社を利用してたった一度のオークションですべて売ってしまうのだ。


 けれど今の段階では、複数社への出品の可能性がゼロというわけでもない様子だった。

 話の運び方によっては、うちの会社がまだ食い込む余地があるのかもしれない。

 緊張して渇きはじめたのどを、ごくりとツバで湿らせてから俺は言う。


「たとえば、これだけの高額作品を1社だけにすべて任せてしまうと、どうしてもアピールが手薄になってしまい埋もれてしまう作品が出てくるかと思われます」


 担当者は黙ったまま静かにうなずく。

 相手と同じように俺も静かにうなずいてから再び口を開く。


「すべての出品物を一度のオークションで、同じように大々的にはアピールできません。国内のどこのオークション会社が扱うことになっても、お客様の注目が『1億円超えを狙える作品』に集まるよう営業を仕掛けるかと思います。ですが、その反動でどうしても充分にアピールしきれない高額作品も、チラホラ出てくるかもしれない」


 俺はリストの一番上の作品を指差すと、相手の脳みそにこちらの話を染み込ませるような気持ちで説明を続ける。


「『オークションの顔』となるような作品は、この1億円超えを狙える作品になります。この作品が不落札になるようでしたら大変です。ですので、どうしてもこの作品に有力顧客が集中するよう営業を専念させなければいけない。すると、本来であればもう少し『落札価格の伸びしろ』のあった他の高額作品が、アピール不足のためにイマイチな結果に終わる可能性が発生してしまう。それが、これだけの高額作品たちをたった1社だけにすべて一度に任せてしまう場合に考えられるリスクです」


 担当者は、再びうなずく。

 こちらの長い話をきちんと聞いて、考えてくれているようだ。ありがたい。

 俺はリストの作品をいくつか指差しながら言う。


「この作品も、この作品も、そしてこの作品なんかも、どれも『オークションの顔』となれるようなすばらしい作品だと思います。ですが今回は、1億円超えを狙える作品がありますので、存在がかすんでしまいオークションの顔の座をゆずってしまっている。本当にもったいないです」


 担当者がリストに目を走らせる。

 俺が指し示した作品名と予想落札価格エスティメートを再度、確認している様子だ。

 続いて俺は、自分の会社の長所をアピールする段階に移る。


「また、ご存知だとは思いますが、オークション会社によって得意不得意のジャンルはございます。弊社は1億円超えの作品を扱ったことは確かにございませんが、『外国人作家の版画』の分野でしたら、業界1位のオークション会社にもけっして劣ってはおりません」


 俺の話を聞くと、担当者は口元だけで微笑みながら言った。


「はい。御社のことも色々と勉強させていただきました。今回、『外国人作家の挿画本』がひとつございます。ですので、この作家の挿画本の過去の『落札実績』などを教えてくださいますとありがたいです」


 やはり……と俺は思った。

 この担当者は、うちのオークション会社が業界1位の会社と張り合える部分があるとすれば、今回のリストの中では『外国人作家の挿画本』しかないということも理解しているのだ。

 そのうえで、ここまでたどりつくためのヒントを、俺たちに少しだけチラつかせてくれていたのだと思う。

 これも、市柳さんを連れてきたからこその展開だ。

 俺は今回の挿画本に関しての説明をはじめた。


「リストにあります挿画本は、限定部数250部で出版されたものですが、おなじものが国内のオークションで出品されたことは、過去に一度もないと思います」

「はい。それは、私も調べました」

「ですのでもちろん、弊社も扱ったことはございません。ただ、同じ作家の別の作品で、リトグラフ(石版画)ではなく銅版画が25点ほど収録された限定部数250部の挿画本があるのですが、そちらの方は国内のオークションで過去に三度ほど、出品されております」

「ほう」

「弊社で二度扱いまして、あと一度は別のオークション会社様ですね」


 資料は用意していなかったので、俺は紙にペンで過去の落札価格を3つ書く。

 上から、『800万円』『750万円』『650万円』だ。

 自分の分野なので、この辺の金額はさすがに暗記していた。そして、いつ頃のオークションで扱われたのかも覚えている。

 この7年前の世界では、国内で過去に三度だけオークションにかけられており、4年後の未来にうちのオークション会社がもう一度扱う予定だ。


「この落札金額の高い方ふたつが、弊社のオークションでの落札実績です。一番安かったのは別のオークション会社様です」


 一番安い『650万円』は、業界1位のオークション会社の実績である。それは国内の景気が悪かった時期の数字だ。

 対して、うちの会社の『800万円』『750万円』は、景気がそこまで悪くなかった時期の数字だった。

 まあ、どんな理由があるにしろ、この外国人作家の挿画本の落札価格の実績に関しては、国内ではうちの会社がトップであるというのは、嘘偽うそいつわりのない事実なのである。

 担当者がうなずく。


「なるほど。あとで私の方でも、調べてみます」


 そう言うが、この人はたぶん事前に調べて知っていたのではないだろうか。

 担当者が追加でこんなことを口にする。


「ただ、今回の挿画本は、銅版画による挿画本と比べますと3倍近くの価格が見込まれております。御社の予想落札価格エスティメートは、2000万円~2500万円ですよね」

「はい。この作家の版画作品のなかで、今回の挿画本は代表作ですから」

「それで、この価格帯の挿画本を御社に出品したとして、オークションでどんなふうに扱ってくださいますかな?」


 これも担当者から俺たちへのわかりやすいパスだろう。俺は課長の方をチラリと向いた。

 課長も自分の出番だとわかっている。課長が会話に参加し、援護射撃をしてくれた。


「弊社では年に2回、春と秋に高額作品のみを集中して扱うメインセールというものを開催します。そこで、必ず目玉作品として――いや、秋のメインセールの『オークションの顔』として大きく扱わせていただきます。埋もれさせることは絶対にございません」


 1億円超えの作品がうちの会社に任されないことは、課長だってもう当然理解しているだろう。

 そこで課長も話の流れに乗っかって、担当者にそう宣言してくれたのだ。

 俺は担当者に言った。


「この外国人作家の挿画本の落札実績に関しては、国内では弊社がトップであるという資料を、追加で提出させていただきます」


 俺に続いて課長が言う。


「大沼のその資料に、秋のメインセールで『オークションの顔』として扱うという約束を添えて、どうか御社の会議の場にご提出していただければ」


 担当者が微笑みながら言った。


「わかりました。その約束を添えて会議の場に提出させていただきます。ぜひ、追加資料をお願い致します」


 これまで繰り返していた過去では、この担当者との商談でまったく手応えを感じられなかった。

 けれど、市柳さんを連れてきた今回は違った。

 彼女は俺たちにとって幸運の女神だった。


 あとはどうか結果につながってくれ……。

 俺は心の中でそう祈った。まあ、土曜日のオークションでハンマーを叩けば、また火曜日に戻ってしまうかもしれないのだけれど……。

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