第2章 やり直す火曜日
007 第2章 やり直す火曜日
本当に同じ日に戻ってきたのだろうか?
今はあの火曜日なのか?
俺は
「そのぉ、市柳さん。自分たちは今日、何をすることになっていて現在は何をしているのか、状況を説明してもらえないですか?」
俺の言葉を聞くと、市柳さんはこくりとうなずき、
「お、
と口にしてから説明をはじめた。
彼女のこの反応も、前回と同じだ。
市柳さんの話によると――。
やはり、今日はこれから神田の画廊に行くことになっていた。けれど、先方の都合が悪くなったので予定を1時間ほどずらし、俺たちは早めの昼食をとることにしたのだ。
想像していた通りだ。
まったく同じ日に戻ってしまったのである。
それから俺は、同じ日を同じように過ごした。繰り返し同じ夢をみせられたみたいな一日だった。
市柳さんとサンドイッチ屋に行き、神田の画廊に行った。
画廊で預かった出品物を会社に持ち帰ると市柳さんと別れ、製薬会社の近くで課長と合流し、二人で商談に臨んだ。
水曜日はオークションの下見会の設営をした。
木曜日と金曜日は、下見会の会場に二日間立ち続けた。
前回と異なるのは、途中で何度か『7年後からやって来たこと』を、課長や同僚に打ち明けてみようとしたことだ。
結果から言うと、やはり駄目だった。
打ち明けようとすると身体が動かなくなる。声も出せない。周囲の人々や物は、時間が止まったようにすべて動かなくなった。
例の
『その行為は禁止されています』
誰かからそう警告されている気分だった。
そして、再びやってきた土曜日。
オークションの本番の日である。俺はまた
設置されているモニターにLOTナンバー1の作品が映し出されると、オークションを開始する。
「LOTナンバー1。こちらは、3万円から参りましょう。3万円スタート! 3万円っ!」
前回と同じように、会場でいくつかビッド札が上がった。
競りを進行していくと、ビッド札はたったひとつを残してすべて下げられる。
落札者は前回と同じ客だった。
「落札します」
宣言すると、俺はハンマーを打ち鳴らした。
カンっ――と乾いた音が響く。
「1011番のお客様、5万円で落札っ!」
そう口にした
俺の意識は再び飛んだのだった。
* * *
目の前が真っ暗になった。
――かと思うと、俺は車の運転席に座っていた。
もちろん社用車の白いワゴンだ。目の前には千代田区・神田の景色が広がっている。
助手席には黒いリクルートスーツ姿の市柳さんがいた。
「あ、あの……大沼さん? く、く、車から降りないんですか?」
市柳さんは、そう口にするとすぐにうつむいた。もっさりとした黒髪が、彼女の顔にすばやく幕を下ろした。
車の時計によると時刻は午前11時。俺が着ているのは、父親からプレゼントされたオーダーメイドのスーツ。勝負服だ。
上着から二つ折りの携帯電話を取り出しパカっと開く。ディスプレイに目を向けると日付はやっぱり、7年前の世界に俺が戻ってきた最初の日。火曜日だった。
やはり……ここに戻ってくるのか? 俺はこのまま、火曜日から土曜日までの五日間を永遠に繰り返すことになるのだろうか?
『火曜日の壁』と『土曜日の壁』で仕切られた時間の
前回や前々回と同じように土曜日まで過ごし、オークションで『LOTナンバー1』の落札を告げてハンマーを鳴らす。すると、俺はきっと再びここに戻ってくる――そんな予感がした。
なんだか
しかし、それにしても……だ。
どうしてこの場所、この時間に戻ってくるのだろうか?
7年後から戻ってきたのも、この場所で、この時間。
四日後の土曜日のオークションから戻ってきたのも、この場所で、この時間。
時間が戻ったとき、毎回ここがスタート地点になっている。それには何か理由があるのではないだろうか?
そう考えるのが自然な気がした。
理由があって、俺はここに戻されているのではないか。
どこかの誰かが、この時間、この場所で、俺に何かをやらせたがっているのではないか?
もしそうだとしたら……?
毎回ここに戻される理由は、いったいなんだ?
俺は市柳さんを見つめる。
理由があるとすれば……それは市柳さんに関係があるのではないだろうか?
いつも俺が最初に接触する相手は彼女なのだから。
俺が巻き込まれているこの状況に何か変化を与えてくれる存在がいるとしたら、市柳さんである可能性が最も高い気がした。
とりあえず俺は、市柳さんについてもっと知る努力をしよう。
『どうせこの人は3年後には会社を辞めていく人だ』という、俺が心に抱えていた後ろ向きな考え方を捨てようと思った。
彼女ともっと
彼女のことをもっと注意深く観察してみよう。
それから俺と市柳さんは、サンドイッチ屋で軽めの昼食をとった。
食後のコーヒーを飲みながら、俺は市柳さんに積極的に話しかけ続ける。
わかっていたけど、市柳さんは放っておいても自分からはあまりしゃべらない人だった。
こちらから色々と話題を振ってみて、なんでもいいので何か
彼女にとにかくしゃべらせて、俺はひたすら話の内容に熱心に耳をかたむけ続けた。
なぜなら市柳さんとの会話の中に、俺が巻き込まれているこの『時間が戻ってしまうという奇妙な状況』から抜け出すためのヒントが、隠されているかもしれないからだ。
市柳さんは、おいしいサンドイッチを食べて気分がよくなっているのか、徐々に色々と話しだした。甘いデザートでも食べてもらったら、もっと上機嫌になってさらに話すのではないかと俺は考える。まあ、安易な考えだ。
俺はメニュー表に目を通した。
このサンドイッチ専門店には、一般的なデザートらしいデザートは見当たらない。
あるとすれば、フルーツサンドだけだった。
「市柳さん。俺、デザートにフルーツサンドを食べたいんですけど、1皿はちょっと多いかなって思っていまして。申し訳ないのですが半分食べてもらえませんか? フルーツサンドの代金は俺が払いますので」
市柳さんの返事も待たずに、店員を呼んでフルーツサンドを注文した。正直、俺は今までの人生でフルーツサンドを一度も注文したことがない。同じ日を何度も繰り返すようなことがなければ、死ぬまで注文することもなかったかもしれない。
やがて運ばれてきたフルーツサンドを、さっそく口にした。
「んっ? フルーツサンドって、はじめて食べたんですけどおいしいんですね」
「えっ? お、大沼さん、はじめて食べたんですか?」
「はい。今まで一度も注文したことなかったんで。これ、おいしいですよ。市柳さんも半分どうぞ」
俺は市柳さんの前に皿を置いた。
彼女は遠慮しながらも、それを食べると、
「ほんと、おいしいですね」
と、言ってニッコリ笑った。
市柳さんのまともな笑顔なんて、俺ははじめて見た気がした。
彼女とは3年間同じ会社で働いていたはずなのにだ。
大人になっていく過程で身につけた15%や30%程度の控えめな笑顔を、いつもは必要に応じて出し入れしている女の子。そんな子が、甘くておいしいフルーツサンドを食べたせいでさじ加減を間違え、調整前の100%の笑顔をつい手違いで俺の前でぽろりと咲かせてしまったような、そんな種類の笑顔だった。
めったにお目にかかれないだろう市柳さんの無調整な笑顔を前に、こちらもつられて表情が緩む。
とにかく、市柳さんの緊張がずいぶんとほぐれてきているのが俺にはわかった。
さあ、もっと喋ってくれたまえ、市柳さん。
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