006 【第1章 完】土曜日のオークション

 課長とは現地で直接会うことになっていた。

 待ち合わせ場所は、とある製薬会社の近くだ。外資系の企業と合併を控えている製薬会社だったと思う。

 会社が保有する美術品を合併前に処分するとの相談だった。


 7年前のことだけれど、とても大きな案件だったのでそれなりに記憶がある。

 作品は絵画が30点近く。オークションに出品すれば数百万円~数千万円になるだろう高額作品がいくつも含まれていた。

 そのうち1点は、1億円超えも充分に狙えそうな作品だ。


 うちの会社としては、秋に開催予定のメインオークションに、ぜひとも出品してほしい作品群である。

 そんな商談の日だったからこそ、勝負服である父親からプレゼントされたスーツを俺は着ていたのだ。


 記憶によると、俺と課長はすでに一度、この会社を訪問しているはずである。

 作品の写真を撮影し、おおよそのコンディションやサイズなど、価格を弾き出すのに必要なデータを記録させてもらっていたと思う。


 今回は『予想落札価格エスティメート』を用意して、再訪問することになっていた。

 価格のリストは、俺のビジネスバッグの中に入っている。7年前の俺が作成し、神田の画廊に向かう前にバッグに入れておいたのだろう。


「大沼、ごくろうさん。今日は市柳さんといっしょに集荷に行ったんだろ? どうだった?」


 当時の営業1課の課長は37~8歳くらいだったと思う。

 背が低く、肩幅の広いガッチリとした体格だ。けれど、学生時代にスポーツ等はやっていなかったらしい。生まれつき骨格がしっかりしているのだろうか。

 7年後の未来では関西支社の支社長になっている人である。

 だけど、今はまだ関西支社は存在していない。東京にしか会社はなかった。


「市柳さんですけど、すごく緊張していましたね」


 俺は、課長と歩きながら彼女について簡単に報告した。

 仮配属期間が終わった後、新入社員三人の本配属を決定する。そのときに課長や部長は、新入社員たちと同年代である俺の意見も、ほんの少しは参考にするらしい。

『いっしょに仕事をしてみて、気がついたことがあれば報告しろ』と言われていた。

 まあ、市柳さんはこのまま仮配属先と同じ『カタログ制作スタッフ』で本配属も決まりである。


 製薬会社のエントランスに到着した。

 7年後から来た俺は、商談がはじまる前から結果を知っている。

 作品は、残念ながら業界1位のオークション会社にすべて出品される。うちの会社には1点も出品されない。

 3~4ヶ月後に俺と課長は他社のオークションカタログで、この企業の出品物をすべて目にすることになるのだ。


 これだけの高額作品群である。

 実績と信頼性充分の『業界1位のオークション会社』に出品することを、製薬会社側も最初から決めていたと思われる。


 にもかかわらず、うちの会社に声をかけてきたのは?

 企業側が、そういう段階を踏む必要があったからだろう。


『複数社から見積もりを出させて検討した結果、今回は業界1位のオークション会社を利用することに決定した』とか――。

 説得力のあるシナリオが社内会議か何かできっと必要なのだ。

 まあ、出来レースの相見積あいみつもりというやつである。


 こういうのは声をかけられた段階で、結果はだいたい予想できた。

 俺たちだって頑張って見積もりを出したり、手数料の大幅なディスカウントを提案したりするのだけど、国内で1位か2位のオークション会社に、いつもすべてを持っていかれる。


 高額作品の取り合いでは、俺たちは負けることに慣れっこだった。

 今回のようなほとんど出来レースとも思える相見積もりで、俺たちに勝算はない。

 それでも腐らずに、当時の課長と俺は、わずかな勝機を探ってこの大きな案件に挑戦していた。




 製薬会社側の担当者は、50代くらいの男性だ。

 課長と俺が案内されたのは、こげ茶色の革張りソファーが設置された広くて立派な応接室。

 俺たちは、予想落札価格エスティメートが記載されたリストを差し出した。

 作品を出品してもらった場合、我々のオークションでしたらこれくらいの金額が見込めますよ、というリストである。


 製薬会社の担当者が、リストに一度さっと目を通した。その後、自分の会社の資料と俺たちのリストとを、交互に見比べはじめる。

 途中、担当者から予想落札価格エスティメートに関していくつか質問があった。

 課長と俺とできちんと答え、金額の根拠なども充分に説明する。


 正直、会話が弾んだりすることはなかった。終始、生真面目な雰囲気が商談の場を支配していた。

 俺は、相手の様子から手応えらしいものをまったく感じられなかった。

 おそらく課長もそうだろう。


「社内で検討した後、作品を出品させていただくかどうかは、後日ご連絡差し上げます」


 担当者からそんなことを告げられ、課長と俺は訪問先を後にした。




 会社に戻ると、デスクの卓上カレンダーに目を通す。

 7年前のカレンダーだった。

 今週末の土曜日には、絵画のオークションが開催されることになっている。


 今日は火曜日だから、明日の水曜日はオークション下見会用の会場設営だ。

 まるまる一日が設営に費やされる。

 絵画のオークションなので絵画担当としては、どの絵を会場のどの部分に展示するかなど、中心となってスタッフに指示を出さなくてはいけない。

 けっこう気を遣う作業だ。設営が終わる頃にはいつもヘトヘトになっている。


 設営が終わると、木曜日と金曜日はオークション作品の下見会となる。

 二日間、朝から晩まで下見会の会場に立ち続け、やって来たお客さんの対応をするのはもちろん、有力顧客には高額作品を積極的に売り込み、書面による事前入札や当日のオークションへの参加を、充分に促しておかなくてはいけない。

 やはり二日間の下見会が終わる頃には、いつもヘトヘトになっている。


 土曜日はオークション本番だ。

 今回、オークショニアとしての俺の出番は二回。

 オークション開始のLOTナンバー1からLOTナンバー150あたりまで。それと、オークション後半にも150LOT分ほど担当する予定だ。


 卓上のカレンダーから目を離すと、ふと、市柳さんの方に視線を向けてみた。

 俺の席からは彼女の後ろ姿がちょうど見える。

 市柳さんはパソコンに向かって黙々と作業をしていた。カタログ用の画像編集でもしているのだろう。

 画像は次の次くらいに開催されるオークションのものだろうか。


 カタログ編集のスタッフは私服勤務である。市柳さんの周囲は全員カラフルな私服姿だ。

 けれど市柳さんだけは、今日は俺の集荷に同行したため、黒いリクルートスーツ姿で作業をしていた。



   * * *



 水曜から金曜まで三日間、ヘトヘトになるまで働いた。

 朝、出社して、懸命に働く。

 そして夜。一人暮らしのアパートに帰ってコンビニ弁当を食べてから、布団の上でぶっ倒れる。

 俺はそれを三日間続けた。


 ……7年前の世界で、俺はいったい何をやっているのだろうか?


 そんなことを少しは考えた。

 けれど、土曜日のオークションがとにかく楽しみだった。

 り台に立ってハンマーを握り、オークションをはじめると、いつも疲れが吹き飛ぶ。


 俺はオークションが本当に好きなのだと思う。

 自分でもこの仕事は天職だと思っているし、生きがいでもある。


 7年前の世界だろうが、夢の中だろうが、早くハンマーを握りたかった。

 自分の現状について細かいことを考えるのは、土曜日のオークションが終わった後でもいいじゃないか。

 とにかく目の前のオークションを成功させ、楽しむことに俺は集中していた。




 そして土曜日。いよいよオークションの当日。

 オークショニアとして俺は、競り台に立った。

 開始前の客席の埋まり具合は5割程度といったところ。

 オークションが後半に進むにつれて、客はどんどん増えていくだろうから心配はいらないだろう。


 書面による事前入札も順調だった。電話入札による参加予定者も多い。

 なにより、7年後から戻って来た俺が『このオークションはそれなりに良い数字が残せたオークションだった』と記憶している。


 モニターを指し示しながら、俺はオークションを開始する。

 LOTナンバー1の作品が、竸り台の脇に設置されているモニターに映し出されている。


「LOTナンバー1。こちらは、3万円から参りましょう。3万円スタート! 3万円っ!」


 会場でいくつかビッド札が上がる。

 俺は順番にビッド札を指し示し、価格を刻んでいく。


「3万3千! 3万5千! 3万8千!」


 そして、会場のビッド札は、たったひとつを残してすべて下げられた。

 勝負がついたのだ。


「落札します」


 いつも通り、そう宣言するとハンマーを打ち鳴らした。

 カンっ――と乾いた音が響く。

 7年前も7年後も、あいかわらずこの音はとても素敵だ!


「1011番のお客様、5万円で落札っ!」


 そう口にした刹那せつな

 目の前が真っ暗になり、意識が飛んだ。



   * * *



 この感覚は以前のものと、まるで同じだった。

 7年後の世界から、7年前の世界にやってきたときに感じたもの――。

 それと、まったく同じ感覚だ。


 俺はいつの間にか車の運転席に座っていた。

 よく知っている運転席。

 そう……。

 乗り慣れている会社の車だ。


 貨物運搬用の白いワゴン。荷台となっている後部に座席はひとつもない。

 フロントガラスの向こうに見える景色は……千代田区・神田。

 俺がよく利用するコインパーキングに車は駐められている。


「あ、あの……大沼おおぬまさん? く、く、車から降りないんですか?」


 ぽかんと口を開けながらフロントガラスの向こうに広がる景色を眺めていると、女性のそんな声が聞こえてきた。助手席からだ。

 視線を向けると、市柳さんが座っていた。黒いリクルートスーツ姿である。

 市柳さんは俺と目が合った瞬間、さっとうつむいた。


「大沼さん……そのぉ、わ、わたし、な、な、何かやってしまいましたか……?」


 彼女はうつむいたまま小声でそう言った。恐るおそるといった雰囲気。

 市柳さんが、話の先を続ける。


「そのぉ……さ、先ほどからこれは、何かのテストなんでしょうか? ちょっと正解がわからなくて……どうしていいのか……す、すみません」


 このやりとりを、俺は知っている。

 四日前――。

 火曜日にやったやりとりだ。

 車の時計に目を向けると、午前11時だった。やっぱり……。


 俺は上着のポケットに手を突っ込む。

 スーツは父親がプレゼントしてくれたオーダーメイドのスーツ。勝負服だ。きっとこの後、課長と製薬会社に商談に行くのだろう。

 上着のポケットから手を出す。

 出てきたのはスマホではなく、携帯電話だった。


 間違いない……。

 また火曜日に戻っているんだ。


 二つ折りの携帯電話をパカっと開くと、ディスプレイに目を向けた。

 年月日と時刻が表示されている。想像通りだった。


「お、おおぅ……。やっぱり、また同じ日に戻ってきているのか……」


 そうつぶやき、俺は片手で頭を抱える。

 ……本当に、どういうことだ?


「ど、ど、どうされました、お、大沼さん?」


 市柳さんの心配そうな声が、二人きりの車内に響いた。

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