004 ロック機能

 サンドイッチは相変わらずおいしかった。

 こんなワケの分からない状況に置かれているのにだ。


 7年前の世界にいるというこの状況が、俺が眠っている間にみている夢だとしたら?

 夢の中でおいしいものを食べられるなんて、得した気分である。


 食事で心が満たされたせいだろうか。

 いっそのこと現状を受け入れ、普通に一日を過ごしてやろうかと考えはじめていた。

 7年前のこの世界で、このまま普通に過ごしていたら最後にはどうなっちゃうのだろうか?

 そんな『怖いもの見たさ』もあった。


 店内はガラガラだった。やはり、ランチタイムにはまだ早い時間なのである。

 イタリアっぽさを演出しているサンドイッチ屋だ。店の壁にはトマトやピザやワインのイラストなどが描かれている。ワインの木箱なんかもディスプレイとして店内に飾られていた。

 だけどメニューにはピザもワインもない。トマトだけならかろうじてトマトサンドがメニューに存在していた。そんなサンドイッチ専門店だ。


 俺と市柳さんは、四人用のテーブル席で向かい合わせに座っていた。

 飯を食うのは昔から早い方だ。あっという間にサンドイッチをたいらげ、ホットコーヒーを飲みながら、市柳さんが食べ終わるのを待っていた。


 もっさりとした髪型以外、外見に関しては特に大きな欠点が見当たらない人だと思う。

 市柳さんの背は高くもないし、低くもない。

 身体は全体的にほっそりしているが、胸はスーツの上から見る分にはそれなりに大きそうだ。サイズアップするような下着等を身につけているかまではさすがに見抜けないけれど。


 ただ、髪型を見る限り、自分の外見を気にしているタイプでもないだろう。これほど髪型に無頓着むとんちゃくな人が、胸を大きく見せる下着をわざわざ選んで身につけているとは考えにくい。

 スカートから見える脚には、あまり筋肉がついていなかった。学生時代に運動などはしていなかったのではなかろうか。

 あくまでも俺の推測だけど。


 市柳さんには、『時間はあるから、気にせずゆっくり食べてほしい』ということを伝えてあった。

 彼女と俺の二人では、きっと会話が弾むこともない。そもそも、市柳さんと何を話していいのかわからない。

 おおよそ10歳年下の大学卒業したての無口な女の子と、何か共通の話題が見つけられるだろうか? 今の俺は、見た目は26歳なのだろうけど、中身は33歳なのだ。やはり、仕事の話くらいしか共通の話題はないだろうか?


 できることなら市柳さんには、このままゆっくりとサンドイッチを食べ続けてもらいたかった。

 そのほうが無理に会話をしなくて済む。気が楽である。


 そう思っていたのだけど……。

 予想外なことに市柳さんの方から積極的に話しかけてきた。


「お、お、大沼さん。お客さんのところに行くのって、ちょ、ちょっと緊張しますね。じ、実はわたし、ドキドキしています」


『実は』なんて言われなくても、緊張してドキドキしているだろうことは、彼女の様子を見ていれば簡単にわかった。

 顔も薄っすらと赤い。もっさりとした黒髪に隠されているけれど、先ほどちらりと見えた耳も赤かった気がする。

 俺は手にしていたコーヒーカップをソーサーの上に戻すと市柳さんに言った。


「オークションの出品物が現場でどんなふうに集められているのか。営業ではない人にも、それを知っておいてもらいたいというのが、会社の方針なんですよ」

「はい」


 市柳さんは真剣な表情を浮かべ、こくりとうなずく。

 それから彼女は、背筋をピシッと伸ばして椅子に座り直した。


 いや……別にそこまできちんとしなくても……。

 後輩社員の真面目な態度を目にして、なんだかそれ相応そうおうの話をしなくてはいけないような気分になってくる。

 姿勢の良い市柳さんが、頭の黒い海藻を揺らしながら俺に言った。


「わ、わたしの仮配属先はカタログ制作班です。で、で、でも、集荷の現場がどんなものなのかを、こうして体験させていただけるのは、ほ、本当にありがたいです!」


 すげえ、真面目だ……。どうしよう……。

 髪型以外は、真面目な女の子だよ……。

 やはり、先輩社員として、それっぽいことを言わなくてはいけないだろうか?


「まあ、営業の俺なんかも、新入社員のときにはオークションカタログ用の写真撮影に参加したり、それ以外の部署の仕事にもちょっとだけ参加したりしました」

「そ、そうなんですか」

「はい。仮配属期間だからこそ、配属が正式決定する前に他の部署の仕事も体験しておいてほしいってことなんですよね」


 俺の言葉に市柳さんは、こくりとうなずく。

 そして、話の続きを待っているかのように、黒くて綺麗な瞳で俺のことをまっすぐに見つめ続けている。


 い、いや……期待されても、もう話すことないんですけど……。

 たいして中身のある話なんて、俺にはできないんですけど……。


 俺は「こほん」と軽く咳払いをして時間を稼ぐと、なんとか話を続ける。


「そのぉ、市柳さん。今日は緊張しているようですけど、『カタログ制作班』に正式に配属が決まったら、集荷に同行させられることもなくなります。だからまあ、安心してください」

「は、はい……」


 市柳さんはそう言ってうつむくと、何かぼそぼそっと口にした。

 声が小さくてしっかりとは聞こえなかったのだけど、「……ちょっと……残念ですけど」と、言った気がした。


 店の入り口のドアベルが、カランコロンと鳴った。男女二人組の客が入ってきたのだ。

 俺たちと違ってずいぶんと親しげだった。恋人同士だと思う。店内の客も、これから徐々に増えていく時間だろう。


 市柳さんが顔をあげて尋ねてきた。


「お、お、大沼さん。オークショニアというのは、え、え、営業の人がやっておられるんですよね?」

「はい。うちの会社だとそうですね。営業の人間がオークショニアを兼任しているんですよ」

「ほ、ほ、他のオークション会社もそうなんでしょうか?」

「どうなんでしょう? もしかすると他の会社には、オークショニア専門の人がいるのかな?」


 7年前も市柳さんとこんなにしゃべっただろうか……?

 彼女と7年前に何を話したのか、俺は本当によく覚えていなかった。


「お、大沼さん。お、オークショニアって、か、か、カッコイイですよね」

「へっ? まあ、目立ちますよね。市柳さんも今度、り台に立ってみますか?」

「えっ? ええっ!」


 戸惑う市柳さんに、俺は話を続ける。


「もちろん本番じゃなくて、お客さんのいないときにですよ。ちょうど、今週末の土曜日がオークションですから、前日の金曜日の夜には会場の準備が出来ています。どうです? あそこに立つと、客席がすごくよく見えますよ。まあ、前日だから、お客さんは誰も座っていないんですけどね、あはは。もしよかったら、競り台に立っている市柳さんの記念写真でも撮りますか?」


 そんな俺の冗談に対して市柳さんは、ほんのりと赤かった顔をさらに赤くする。そして、首をブンブンと横に振った。


「と、と、とんでもないですっ!」


 もっさりとした黒髪が左右にスイングされる。

 市柳さんはそれからうつむき、黒髪をすだれのように利用して顔を隠した。


 想像していたよりも過剰かじょうに反応されたな……と俺は思った。

 怒らせてしまったのだろうか? いや、なんか怒っているような雰囲気ではなかった。

 市柳さんが何を考えているのか、俺には正直よくわからないのだ。


 やがて市柳さんもサンドイッチを食べ終わり、コーヒーを飲みはじめた。

 集荷の時間までは、まだ余裕があった。

 俺は思い切って、自分の現状を彼女に打ち明けてみたらどうだろうと考えていた。


『7年後からこの時間に戻って来ていること』を話してみて、意見を聞いてみたり、彼女の反応を観察したりするのだ。

 頭のおかしなやつだと思われるかもしれない。

 けれど、どうせ今いるこの世界は、現実の世界ではないだろう。

 夢なら目が覚めれば元の世界に戻れる。この場で彼女にどう思われようと別に構わないじゃないか。


 そんなわけで俺は、自分が7年後の世界から戻ってきていることを打ち明けてみようと口を開いた。


「あの、市柳さん」


 その瞬間――。


 全身が硬直した。声が出せなくなった。

 指先ひとつ動かせない。目もまったく動かせなければ、まばたきすらできなかった。

 うまく説明できないのだが、心と身体に鍵でもかけられたみたいな気分だった。

 携帯電話やスマホなどの電子機器が誤作動を起こさないようロック機能が設けられているように、俺の心と身体にもロック機能が設けられている気分だったのだ。

 南京錠なんきんじょうのマークみたいなものが、俺の頭の左上の方にでも表示されているのではないだろうか? そんなイメージが脳裏に強烈に浮かんだのである。


 市柳さんに向かって何も話ができなかった。

 いや……。

 話ができないとか、そんなレベルの状況じゃなかった。

 俺だけでなく、周囲にも驚くべきことが起こっていたのだから。


 たとえば、すぐ目の前にいる市柳さんの身にも奇妙なことが起こっていた。

 彼女はこちらを見つめているのだけど、ピクリとも動かないのだ。まばたきもしないし、なんだか呼吸もしていないように見えた。完全に静止している。


 そして、静止しているのは彼女だけじゃなかった。

 ちょうど市柳さんの背後を、エプロン姿の男性店員が歩いていたところだったのだけれど、彼もピクリとも動かなくなっていた。

 動画を一時停止しているかのような光景が、俺の目の前に広がっていた。


 俺も動けないし、周囲の人々も動かない。

 これは……。

 時間が止まっているのだろうか?


 本来なら、もっと驚くべき状況かもしれない。時間が止まっているかのような非現実的な状況なのだから。

 けれど……。そもそも7年前の世界を受け入れはじめていた時点で、俺の感覚はかなりおかしくなっていたのだろう。

 こんな現状に対して、俺はなんだかそこそこ冷静だった。


 身体はまったく動かないが、思考することだけはできた。

 俺はこの状況に至った原因を考え、対処法もなんとなく思いつく。


 7年後のことを打ち明けようとしたら、この奇妙な状況となった。それはあきらかである。ならば……。

『7年後から来たということ』を市柳さんに打ち明けるのをあきらめてみたらどうだろうか?


 すごく単純な対処法だと思う。俺は心のなかで、さっそく諦めてみた。

 その瞬間――。

 再び身体が動かせるようになる。まばたきもできるし、指先も動かせた。


「あ、あ、あー」


 と、俺は小さく声を出してみた。

 声が出せるようになったことを確認したのだ。


「んっ? な、な、なんでしょうか?」


 と、市柳さんが不思議そうに首をかしげた。

 よかった……。

 市柳さんも無事に動けているし、同時に周囲も動き出したようだった。彼女の背後を歩いていた店員も歩き出し、厨房ちゅうぼうの中へと消えていったのである。

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