014.御名手と真名-③

「……このまま唱えていいのか?」


 こんな近くにいるのに、セヴィルさんの声までが遠く感じた。かすかに聴こえた音は、不安と自信を持てない気持ちを表しているようだ。


「大丈夫。真名を引き出そうと身体と魂が呼応してるだけさ、気にせず唱えて。そうすれば元に戻るから」

「……わかった」


 意味を理解しようにも、頭に入ってこない。

 唯一目だけが、セヴィルさんの瞳と表情を写していた。

 彼は、一度真一文字に口を引き締めてから、ゆっくりと開けていった。


「…………我は、導く者」


 セヴィルさんはそう言った途端、僕の左手を離してから大きな手で僕の頬を包み込んだ。

 顔がさらに近づき、額同士が合わさる。


きつ、わか永遠とわの果て。導き求む、が者の御名字みなじ。我が名はセヴィル=ディアス=クレスタイト。この者の対になる者なり」


 至近距離で次々と紡がれる言葉の数々。

 耳からちゃんと聴きとれているのに、頭に残らない。素通りしていき体を巡るように伝導していくのだけが感じられた。


(熱い……)


 ただの火照りじゃない。

 胸の奥にある、心臓よりも更に奥を灼かれてるような熱さ。痛みはないが、そこから何かが湧き上がってくる感覚。


「開け、つがい真古戸まこど。この者の真名を我に伝えよ」


 彼の問いかけに、口が自然と開いていく。


「……ゼヴィアーク……クロノ」

「御名字は?」

「………………ティア」


 記憶にない言葉達がきっと真名と呼ばれるものだろう。

 この人に聞かれたから答えなくちゃと言う義務感ではなく、ただ早く伝えなくちゃと急くような不思議な感覚。


「……中に閉じよ」


 静かに告げられた言葉で、呟いた真名達を忘れてしまった。

 だけど、それで良いと心では何故か納得していた。


「……告げよう、お前は『カティア』だ」


 力強く告げられた名前。

 元の世界で名乗っていた名前じゃないのはわかっている。

 なのに、体だけでなく心が自然と喜びを感じてしまう。

 素直に嬉しく思えて、目端に涙が滲んできた。

 額が離れていくと、セヴィルさんはポケットから取り出したのか柔らかいハンカチで僕の涙を拭き取ってくれた。


「……終わったのか、ゼル?」

「ああ、なんとか引き出せた」


 少し不自然な会話に内心首を傾げる。

 エディオスさんもほぼ至近距離にいることに変わりないのに聴きとれなかったのだろうか?

 その疑問には、面白そうに笑っているフィーさんが答えてくれました。


「御名手の儀式が始まると、僕以外には見えない結界が張られるんだよ。君達の声も姿も外部には漏れない。だから、エディには見えなかったり聴こえなかったのはしょうがないんだ」


 僕は普通の状態じゃなかったから認識は出来なかったからだけど、そう言う仕組みなんだ。

 その結界とやらは、僕の名前が決まってから壊れたらしい。


「んで、ちみっこの名前は決まったのか?」

「……カティアだ」

「へぇ?」


 エディオスさんは関心したように口笛を吹いた。


「お前、すげぇ神の愛を受けてんのな?」

「はい?」

「うんうん。どの世界でも共通する意味になるね? 『愛しの涙』って意味になるんだよ、『ティア』って名前は」


 なんかけったいな意味の名前なんですね。

 しかし、こそばゆい!

 どこのお伽話なんだよ、その意味!


「おまけに『カ』だと太陽の光を指すから、月の意味を持つセヴィルの対にぴったりだね?」


 尚こそばゆいわい!

 僕は目元を袖でゴシゴシしてから、ぷくっと頬を膨らませた。だって、恥ずかしいものは恥ずかしいよ!

 けど大した怒りは現れてなかったからか、二人にはからからと笑われただけ。解せぬ!


「だけど、真名が開示されても身体の方は変化なし、か。これは他の方法も検討しなきゃだね?」


 ひとしきり笑い終わってからフィーさんは笑顔を引っ込めてそう言った。

 僕自身も少しはその可能性があるんじゃないかと思ってたが、火照りも頭がホワホワしてたのも今はすっきりしてなんともない。フィーさんの小屋であったような関節が動き出すといった症状もなかった。


「……元の年齢が違うのか?」


 至近距離で聞こえる美低音。

 あれ?、とそっちを向けば……大理石のような真っ白な肌と瑠璃色の瞳とご対面。

 まだお互い離れていなかったのに今更気づいた。


(ぴゃぁあああああぁああ⁉︎)


 悲鳴を上げなかった自分を褒めたい!

 慌てて離れようにも何故か肩に手を置かれてたんで後退り出来なかった。

 近くで見ると益々美形レベルが凄いのがわかる。

 睫毛が女性並みに長いし、眉も綺麗に整っている。鼻もすっと通っていて高いし唇は男の人だから薄いけど柔らかそうだ。髪だってお手入れしまくってるくらいサラサラで、至近距離だから横髪が僕の頭にかかってしまってる。

 こんな美の象徴でしかない人が、僕の運命のお相手?

 色んな意味で信じがたい気持ちと申し訳なさしか湧き出てこない!


「どうしたカティア?」


 彼はなんとも思ってないのか、目線を合わせたまま僕を呼ぶ。

 ……と思ったのは一瞬だけで、セヴィルさんもお互いの距離感に気づき、また無表情が激変して顔どころか首や手まで伝わったんじゃないかってくらい紅くなった。そして彼の方が後ずさってくれたので肩から手は離れた。


「す、すまない!」


 そうあからさまに慌てられるとかえってこっちが冷静になっちゃう。女性慣れしてなかったとしても、外見が子供でも同じなのだろうか?


「……お前、よっぽどちみっこが気に入ってるみたいだな?」


 いきなり割り込んできたエディオスさんが全然違うことを言ってきた。


「き、気に入る?」

「おう。あいつは女子供が苦手でな? 普通なら睨んで突き返すなりなんなりすんだが、あれはなかったぜ」

「よ、余計なことを言うな!」

「知っといた方がいいだろ? 御名手なんだしよ」

「くっ……」


 嫌われてるわけじゃなかったのは良かったけど、僕のどこに気に入る要素が?

 顔、とかかな?

 鏡見てないから変化してるのかわからないが、そうだとしたらセヴィルさんはロリ……げふんげふん、失礼。それはセヴィルさんへの評価がぐっと変わるから考えないでおこう。

 あとは、『みなて』とやらのくくりだからか。僕が彼に対して思ったように、セヴィルさんも僕にいつもと違う感情を抱いたのかもしれない。その方が自然かな?


「まあ、名前が決まって良かったよ。改めてよろしくね、カティア?」

「あ、はい!」

「あー、ちみっこ卒業か?」

「僕は20歳なんですからちみっこじゃないです!」


 エディオスさん色々女性に失礼だと思いますよ!


「……ににに、じゅう……だと?」


 背後から聴こえたカミカミの言葉。

 振り返れば、赤い顔どころか180度変わって真っ青な顔色。それと肩どころか足までカクカクしている気が。


「……エディオスさん」

「あ?」

「僕のこの姿・・・って、こちらじゃいくつくらいですか?」

「そうだなー? だいたい80じゃね?」

「おばあちゃんじゃないですか!」


 実年齢の4倍ってどんなけ老化が遅いんだ!

 そりゃこちらの常識しか知らないセヴィルさんじゃ、ああも驚く以上に反応しちゃうか。


「あいつも俺とタメだぜ?」

「……そこは先にエディオスさんのを聞いたので驚きませんが」


 セヴィルさんも345歳。

 外見が25歳前後でその年齢ってことは、ご両親やお祖父さんとかは一体どこまで上なんだろうか。想像しにくい。


「あ、君もこっちの世界の身体に創り変えたから。身体の大きさが戻っても寿命は一緒だよ?」

「えぇえええええぇえ⁉︎」

「だって元いた世界に戻せないんだからしょーがないじゃない? セヴィルと結婚した後とかどうすんの?」

「だだだだだからまだ結婚とかそう言うのは!」


 お付き合い以前に婚約とか、これ本当に決定事項⁉︎

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