本日は傲慢になります⑨

 外はやはり、なんとなく寒いのです。

 駐車場の向こうは広場になっていまして、夏場はバーベキューにも使えるそうです。

 川に下りられる道もあります。

 彼の希望で、川に下りてみることにしました。

 道がある、というだけで、舗装されているわけではありません。

 彼は私の手を引いてくれます。でも、彼が足をすべらせて転びそうになります。

 「ひゃっ」と声を出してしまったのは、彼ではなく私の方です。

 無意識のうちに強く手を引いてしまいました。

洋也ひろなりくん……ごめんなさい」

「……助かった! ありがとう」

 彼は驚いて声が出なかったようです。



 川べりに着くと、水の流れる音が大きく聞こえます。

 ノイズみたいですが、ノイズのように耳障りではなく、むしろ心地良いです。

 波の音は寄せては返しますが、川の流れはだいたい一定です。音は絶えません。

 ざざざ、というのか、どうどう、というのか、文字に起こせない心地良い音に包まれ、心が穏やかになるようです。

 普段から心穏やかでいるようにはしていますが、まだまだ雑念が多いようです。



「悔しいな」

 川向うの山を見上げ、彼はつぶやきます。

「やっぱり、悔しい」

 でも彼は、怒っているわけでも落ち込んでいるわけでもありません。

「だから、来年も挑戦するよ。公務員試験」

 川の音に負けないよう、彼は明瞭に宣言しました。

 表情は晴れやかです。手に力が入っています。

 そういえば、手をつないだままなのです。

 意識してしまうと、こそばゆくて仕方ありません。

 ほどこうとしますと、指をからめられます。ほどいてはいけないようです。

「高校生のとき、はなちゃんと新田先生が話していたのを聞いたんだけど」

 彼は私を見ずに、山を眺めて話をします。

「新田先生も、この景色を見ていたのかな」



 ――自然物って、いいですよね。藤岡の日野という地区なんか、結構リフレッシュできます。



 入学式の次の日、大幅に遅刻した私に、新田先生は話してくれました。

 私が悩みを抱えているか落ち込んでいると誤解なさったのでしょう。

 新田先生は、悩んでいるときや落ち込んだときに、この景色を見ていたのでしょうか。

 冬枯れの山は、茶色一色です。でも、晴れ渡る空がまぶしくて、川の音が心地良くて、いつまでも居たくなります。



 彼はようやく手を離してくれました。

「はなちゃん、さっきからどうしたの」

 彼の手はいたずらさんです。次は、私のノンホールピアスに触れ、薔薇のモチーフを手に乗せます。壊れやすいものを扱うように、そうっと。

「傲慢になったつもりかもしれないけれど、可愛さの範疇を超えていないよ。健気で優しいんだね」

 耳元に顔を近づけられ、ささやかれます。

「ありがとう」

 ずるいです。彼は元気になりました。

 元気がありあまって、少女漫画みたいなことをしてくれます。漫画は読んだことがありませんが。

 そんな少女漫画みたいなことをされると、恥ずかしくてたまりません。

 でも、我慢。

 恥ずかしいけれど、嫌じゃないのです。

 私は傲慢です。

 そして、不埒です。



 彼は「お礼がしたい」と言い出しました。

 私は断ったのですが、「一か月早いクリスマスプレゼントだと思って」と押し切られてしまいました。

 今度は彼が車を運転してくれます。

 山を下る途中で、自転車に乗る女の子を追い越しました。

 「日野の里」でお会いした、日下奈央さんという子です。

 律儀にヘルメットを着用していたところは、中学生らしいです。

 学校終わりに自転車をこいで「日野の里」まで来るとは、すごい体力です。それも、行きは上り坂なのに。きっと今はご自宅へ帰るところなのでしょう。



 勝手に想像してしまいます。

 あんなに明るくて素直そうな子でも、大なり小なり試練が訪れるでしょう。

 高校入試が試練かもしれないし、高校入学後に壁にぶつかるかもしれません。

 でもきっと、あの子なら乗り越えてゆけると思ってしまいます。

 自分の力と、多くの人に見守られ、自分の物語を進んでゆける。

 そのように想像してしまうのです。

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