花は微笑む④

 俺は、多胡の名前は知っても、本人の顔を知らない。

 千羽鶴の行方も知りたくて、布施に電話した。

 布施は多胡と顔見知りで、今朝のSNS投稿後にゴミ箱から千羽鶴を拾い出していた。

 ちょうど昼休みの時間だ。

 多胡は、友人達と空き教室でランチをしていた。

 教室の出入り口から多胡をうかがう。

 あれが彼女を追い詰めた張本人かと怒りが湧いてきたが、言われてみれば根岸に似ている。さすが、従姉妹。性格も似ているのか。

「ザワちゃん、そんなに睨んでいると怪しまれるよ」

「そうだよ、。みづきちゃんに泣かれちゃうよ」

「布施ちゃんはともかく、須藤さんには“ザワちゃん”と呼ばれたくないです」

 布施と瑞樹に肩を叩かれても、落ち着けるはずがない。

「じゃあ、俺が行ってくるわ」

「え、布施ちゃん?」

 布施は、黒縁眼鏡を正すと、軽い調子で教室に入り、多胡に話しかける。



「多胡さん、根岸さんは元気?」

「え、急になんで……そっか、布施くんは、結音と同級生だったんだよね」

 多胡は警戒していない。

 会話がはずんでいる。



 瑞樹に腕を引っ張られ、俺も教室に入ってしまった。

「俺達の顔を知らないんだろ?」

 小声で言われ、俺は頷いてしまった。

 俺が多胡の顔を知らなかったように、多胡はきっと瑞樹も俺も知らない。

 だとしたら、教室の出入り口でこそこそしているより、堂々と教室にいた方が怪しまれない。

 一応、多胡の死角になるようなところの椅子に腰を下ろす。



「多胡さんは、根岸さんのことが大切なんだね」

「うん。親戚からは、双子みたいって言われるよ」

「わかるー! SNSのツーショット、双子っぽいよね」

「あれはわざと似せたんだよ」

「そうなの? 写真撮るの上手いね!」

 布施がチャラい。でも、布施のコミュニケーションスキルの高さと度胸は俺も見習いたい。

「これ、駐車場のゴミ箱から拾ったんだけど、根岸さんにあげる」

「いや、いらないし」

 根岸は鼻で笑った。周囲の女子が凍りつく。

 根岸はそれを一瞥し、にこりと笑った。

「結音、言ってたよ。千羽鶴なんか無駄だって」

「そういう考え方もあるのか。大きいから場所を取るもんね。……でも、つくってもらったのにキャンセルするのも良くないよね」

 後半、布施の声が低くなった。

 多胡は小首を傾げる。

「うーん……そう思ったんだけど、千羽鶴をつくってくれた人が、あまりにも嫌味ったらしくて我が儘全開だから、ドタキャンしちゃった」



 冷や汗は人の感覚であり、実際に汗腺から生じるものではないらしい。

 でも、俺は冷や汗が首から背筋にはしるのを感じた。

 多胡こいつ、何を言っているんだ。

 俺より頭半分くらい小さい瑞樹をうかがうと、瑞樹は腕を組んで多胡を睨みつけていた。

 瑞樹も充分に怖い。



 多胡はエンジンがかかったように喋る。

「あの人ね、何様って感じだったの。行きづらいお店をわざわざ指定してきて、こっちが渋滞に巻き込まれたり有料駐車場を探すのに時間がかかったのに、ねぎらいの言葉もなし。なに遅刻してんの、って顔で私のことを見るんだよ。手先が器用だからって、得意げになって千羽鶴のことを話すし、見下された気分だった。結音が神経をすり減らしていたの、わかるなあ。あの人、高校でも被害者面してクラスメイトを不快にさせていたんでしょ? 今でも結音に会うと、そのときの話を聞くよ。クラスメイトの足を引っ張って、士気を下げて、クラスの雰囲気を悪くしていたんだって。それに、あの人が原因で退学した人もいたらしいじゃん。……話を戻すけど、早く折り紙ができるのに、2週間後の引き渡しを指定してきたり、こちらから追加でお願いをしても、はっきりとOKしてくれないし、こっちが神経すり減っちゃった。私、普段はドタキャンなんてしないよ? 頭を冷やしてあげたくて、親切心でやってあげたんだよ」

 周囲の女子が、「多胡ちゃん、先に行ってるね」と席を立つ。

 布施は多胡の話に「そっか、そっか」と相づちを打つ。

「じゃあ、多胡さん、この千羽鶴どうする?」

「捨てちゃってもいいんじゃない?」

「もったいないよ! 『スパズ』のユニフォームの色に似ているから、『スパズ』の事務局に寄付しようかな」

「布施くんの好きにすれば?」

「多胡さん、ありがとう。じゃっ!」

 布施は廊下に出ると、千羽鶴を持ったまま駆け出した。



 布施は相変わらず足が速い。

 高校では部活動に所属していなかったが、体育祭ではクラスを上位に引き上げてくれた。

 その布施を追う瑞樹も、農業をしているだけあって持久力がある。

 キャンパス内を滅茶苦茶に走り回る布施を、根気強く瑞樹が追いかける。俺はだいぶ離れてふたりを追う。

 布施が体力切れで足を止めたのは、大学関係者用の駐車場だった。

「ちくしょう!」

 布施は肩で息をしながら、喉の奥から太い声を吐く。

「自覚しろよ、あの女!」

 驚いた。あんなに怒る布施は初めて見た。



 本当は俺が多胡に説教をしなくてはならないのに、布施に話しを任せてしまった。

 布施が穏やかに対応してくれたから、騒ぎにならずに済んだ。しかし、布施に余計なストレスを感じさせてしまった。

 そもそも布施は、駐車場のゴミ箱に捨てられた千羽鶴を目撃して拾った張本人だ。平常心ではいられなかったはずだ。

 申し訳ない。無関係だった布施にも、できることを探して大学に侵入してくれた瑞樹にも、彼女にも。

 多胡の理解は得られなかった。彼女のことも、千羽鶴も。



 布施は3限の授業に向かう。

 瑞樹は、千羽鶴をサッカーチーム「スパズ群馬」の事務局へ持って行ってくれる。

 俺は就職課に行き、模擬面接の予約をした。偶然にも明日の午後に空きがあり、そこを指定した。

 夕方まで図書館で卒論の資料を集めて下書きをした。

 その頃には、SNSの投稿は減っていた。

 「スパズ群馬」の投稿とブログのURLがリツイートされている。

 千羽鶴と一緒に笑顔で写る、若い選手の写真。感謝の言葉。それに対する同感のコメント。

 多胡の理解は得られなかったが、最良の結果だと思いたい。



 1日ぶりに車に乗り、アパートに向かう。

 赤信号で止まったとき、サイドミラーに西の空が映った。

 紅色の夕焼けに染まる空と、紫色にたなびく雲。

 彼女もこの夕焼けを見ているのだろうか。

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