タランテラとノラ⑦

 ――今日のラッキーさんは……ラジオネーム「ロマネスコ育成中」さん!

『さとっちゃん、おはようさんです。

 「ブロッコリー育成中」改め「ロマネスコ育成中」です。

 今年から、本格的にロマネスコの栽培に着手しています。

 まるまるもっさりしたブロッコリーもいいけれど、ちっちゃなもみの木みたいなロマネスコも、たくさんの人に食べてもらいたいなあ。

 これからどんどん涼しく、寒くなってきます。

 みんなの心が温まりますように。大切な人との時間を大切に過ごしてもらえますように。

 さとっちゃん、ぜひこの曲をお願いします!』

 ……“ブロッコリー”……じゃなかった。“ロマネスコ”、ありがとう!

 確かに、ロマネスコって、ひとつひとつの房が円錐みたいで、もみの木みたいな形だよね。

 クリスマスの時期の料理にいいかもしれない。

 では、今日のラッキーさん、「ロマネスコ育成中」さんからのリクエスト!

 藤原さくらで「Soupスープ」!



 ラジオDJの陽気な声が耳に入ってくる。

 朝のラジオ番組の8時のコーナー。前日の正午ぴったりに送られてきたメッセージの中から「今日のラッキーさん」を選んで、メッセージとリクエストの曲を流すというコーナーだ。

 たまに名前を聞いていた「ブロッコリー育成中」は、ラジオネームを変えたらしい。



 そもそも、なぜラジオがついているのだろうか。

 俺のラジオはダイナモ発電式だから、つけたままにしていると充電がなくなって自然にノイズしか聞こえなくなってしまうのだ。



 目を開けると、それまで目を閉じていたことに気づいた。

 視界には、白い天井。俺のアパートでも、病院でもない。

 おっこらしょ、と起き上がってみた。

 周囲を見回す動きに合わせて、頭がずきずきと悲鳴を上げる。

 昨夜はアルバイトの後に須藤瑞樹に拉致されて、飲みに行って、瑞樹と花村秋瑛から彼女の身の上話を聞かされた。

 目をそむけたくなる、耳をふさぎたくなるような内容だった。

 それでも、彼女は健気に生きている。

 柔らかな日差しを受けて、鼻歌を歌いながら、鶴を折りながら。

 綻ぶように微笑んで、俺の視界にいる。



 俺は、今の状況が理解できない。



「田沢くん、おはようございます」

 彼女は、ローテーブルの折鶴を片付ける。

 細身のジーンズにチュニックみたいなブラウスというラフな服装だが、森の女の子みたいな素朴さが、かえって可愛らしい。

「ごめんなさい。兄と瑞樹くんが無理やり飲ませてしまったみたいで」



 彼女曰く。

 夜中の2時頃に、酔って眠ってしまった俺を、瑞樹が彼女のアパートここまで連れてきたらしい。

 当然、彼女は夜中なのに起こされることになる。

 座布団を何枚も使って即席の布団をつくり、使っていない掛布団をかけ、「一泊の恩義」とか言って里芋を一袋渡して、瑞樹は帰っていったのだそうだ。

 俺はそれに気づかず、約7時間爆睡したのである。



 現在、およそ9時。

 ラジオの「今日のラッキーさん」を聴いた後、また眠ってしまったらしい。

 「朝ご飯食べる?」と彼女に訊かれ、俺は勢いよく頷いてしまった。

 何時まで飲んでいたのか覚えていないが、空腹である。

「あ、でも、嫌じゃなかったら……」

「嫌じゃないです! 嬉しいです! 食べます!」

 彼女はきっと、高校の調理実習のことを気にしているのだろう。

 気にしなくていいのに。



 ローテーブルに和風のランチョンマットを敷いて、ご飯とすまし汁で朝食。

 副食は、だし巻き卵と里芋の煮物。おそらく、昨日の里芋だ。煮物のつけ合せの人参は、花の形にくり抜かれている。

 りんごもお洒落に切ってくれた。赤い皮をV字に残して、うさぎみたいになっている。

 白米は、つやつや。粒が立っている。口に入れると、ほのかな甘さが広がる。

 夢中になって無言で箸が進んでしまう。

 気がつくと、自分の分は全部食べてしまった。

「ご飯とお芋は、おかわりがあります」

「いただきます」

 俺は2杯目を要求してしまった。

 「ごはん!」という感じの食事を摂るのは、久しぶりかもしれない。

 食事がおいしいことが幸せのひとつなのだと実感した。



 食後にコーヒーを飲みながら、彼女に訊ねてみる。

「昨日、俺……変なことしてないよね?」

「変なことって?」

 黒目がちの大きな双眸に見つめられ、訊き返されると、言葉に詰まる。

「……寝相が悪かったりとか」

「悪くなかったよ」

「……布団から出て襲いかかったりとか」

「布団から出なかったよ」

「……花村さんの布団に入ったりとか」

 くすっ、と。

 聞き逃しそうなほど小さな音が鼓膜をくすぐる。

 彼女は自分の口元を手で隠していた。

「ごめんなさい。笑ってしまって」

 彼女は軽く咳払いをする。

 くすっと笑ったり、咳払いをしたり、午前中の柔らかい光に包まれた彼女は、生き生きして見える。



 水に一石投じて水面が波打つように、ぶわりと感じるものがあった。

 言葉にすると、彼女を傷つけてしまうかもしれない。

 でも、今、言いたい。



「花村さん」



 今、言いたい。

 「ごめんね」でなくて、「ありがとう」とも異なる言葉。



「好きです」



 黒目がちの大きな双眸が、こぼれそうなほど大きく見開かれる。

 一度言ってしまったから、二度目もはっきり言ってしまおう。

 彼女が好きだ。



「昨日、お兄さん達から聞きました。花村さんが置かれた環境のこと。でも、俺は今の花村さんが好きです。一緒に富岡製糸場に行ったり、ご飯を食べたり、一緒にいる時間が幸せなんです。そういう時間を、これからもつくりたいんです。花村さんさえよければ、つき合って頂けませんか?」

 情けないことに、俺は下を向いている。

「返事はすぐじゃなくていいから、ゆっくり考えて」

 えいやっ、と顔を上げると、彼女は泣きそうな笑いそうな、何とも言えない表情を浮かべていた。

 彼女は多分、混乱している。

  なぜ「私なんか」を、と疑問に思っているかもしれない。

 そもそも、こんな情けない男のことなんか嫌いかもしれない。

 義理立てのためにイエスと言わなくてはならない、と考えているかもしれない。

 そんな彼女に、即答は求めたくない。

 自分の気持ちと向き合って、自分のペースで答えを出してほしい。

 というのは俺の建前で、本当は返事を聞くのが怖いのだ。



 アパートに帰って寝直すことにする。

 狭い玄関で自分の靴を見つけて履くと、「待って」と声をかけられた。

 振り返ると、潤んだ瞳で見つめられる。

「お芋とご飯……持って行って」

「いいの? ありがとう」

 里芋の煮物はタッパーに、ご飯はおにぎりにして、「chouchou」と書かれた紙袋に入れてくれた。

「私は、良い女じゃないよ?」

「それはないよ」

ないよ」

「ウェルカムです」

「ゲロ吐くかもよ?」

「それでも好きです」

 軽くハグの真似をすると、彼女もハグしてくれた。

 意外にも、しっかりと腕をまわしてくれて。



 これは余談だが。

 電車の中で紙袋を開いて覗いていたら、近くのおばさんに「嘔吐したの!?」と早とちりされ、途中の駅で降ろされた。

 次の電車を待つ間、気を抜くと彼女のことを妄想してしまう。

 そうならないように、タランテラのメロディーを必死に脳内再生したのである。



 【第3章「タランテラとノラ」終】

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