タランテラとノラ③

 ピアノは堀越店長の喫茶店に置くらしい。

 軽トラックはハザードランプをつけて店の前に停め、店長と瑞樹と俺で店の中に運ぶ。

 この店は臨時休業になっているが、他の店は営業しており、近隣住民や富岡製糸場から駅に向かう観光客が一瞥して通り過ぎる。軽トラックも邪魔そうだ。

 早く作業を終わらせたいところだが、ピアノを雑に扱うわけにはいかない。

 ピアノの搬入は、遅々として進まなかった。



「おつかれさまでしたー」

 店長からOKが出たのは、17時半。

 少しだけど、と頂いた給料は、二万円と交通費。

「こんなにもらうわけには……!」

 店長にお金を返そうとしたが、店長は受け取ってくれなかった。

 始めから「アルバイトで」という話だったからお金は欲しいと思ってしまったが、約90分で二万円というのはもらい過ぎる。

 はやりお金を返そうとしたが、「片山さんから店長に」と瑞樹に里芋で割り込まれてしまった。

「田沢くん、ごめんなさい。両手がふさがってるんですー」

 両手に里芋の袋を下げ、どや顔の店長。

「じゃあ、店長。俺、帰るね」

「瑞樹くん、ありがとさん」

 店長は里芋の袋を持ったまま、瑞樹に手を振ろうとする。

 瑞樹は軽トラックに乗って去って行った。



「ピアノ、弾きます?」

 帰るタイミングを失った俺は、店長に訊かれた。

「俺はしばらく店のことをやってますんで、好きに弾いてて下さい」

「いいんですか?」

「田沢くんがピアノをやっていたって、みづきちゃんから聞きました。あっ、これ、バイトじゃないですよ。ただの興味です」

「俺、そんなに弾けないです」

「俺は全く弾けないです」

 店長は悪びれる様子もなく、にやにや笑う。



 ピアノなんて、1年以上弾いていない。

 それでも、椅子に座って鍵盤をたたくと、水に一石投じて水面が波打つように、ぶわりと感じるものがある。

 右手で「ド」から1オクターブ上の「ド」までのぼり、もとの「ド」まで戻る。左手も同じく。

 音はずれているが、それどころではなかった。

 やばい。もう楽しくなっている。



 指慣らしに演奏するのは「禁じられた遊び」。

 昔の映画のテーマ曲で、そのときの曲名は「愛のロマンス」

 しかし、ピアノのテキストでは「禁じられた遊び」だった。

 ギターのような技巧は再現できないが、早弾はやびきすると気持ち良いのだ。



 指慣らしにもう一曲。ブルグミュラーの「タランテラ」。

 早弾きはできないが、独特のリズムに乗れると面白い。



 ――タランテラって何?



 夢の中で聞いた声がよみがえる。

 あれは誰が言ったのだろう。

 夢だから、特定の誰かではないかもしれない。



 最後にもう一曲。リュックサックから楽譜を出す。

 高崎駅の本屋で見つからず、前橋のショッピングモールで探し当てた楽譜である。ようやく見つかったことが嬉しくて、いつもリュックサックに入れている。

 初見だから、全くもって上手く弾けなかった。



 気がつくと、30分以上ピアノの前にいた。

「すみません!」

「あれ、もう終わり?」

「いやいや、長居し過ぎました。すみません」

 俺は頭を下げて、そそくさと店を出た。



 外はすっかり暗くなっている。

 上州富岡駅のロータリーには、普通自動車が停まっていた。

 この駅は高校生も利用してそうだから、迎えの車だろう。

 改札を通ろうとすると、強い力で腕を引かれ、駅の外に出されてしまった。

「田沢!」

 そんな呼び方をする人を、俺は知らない。

「お兄ちゃん達と飲むべえ!」

 俺には兄がひとりいるが、こんなに馴れ馴れしくない。

 心当たりは、ひとりいる。

 年上且つ訛りの強い人と、今日知り合った。

 こいつは、須藤瑞樹だ。

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