千羽鶴、承ります⑧
――続きまして、ラジオネーム「小幡のハナミズキのおにい」さんから。
『さとっちゃん、おはようございます。
昨日、会っちゃったんです。妹の片思いの相手に。
優しそうな男の子でした。悔しいけど、優しそうな男の子でした。
これって、嫉妬なのでしょうか? 邪魔しない方がいいんでしょうか?
兄として、何かしてあげた方がいいんでしょうか?』
……“おにい”、大丈夫ですよ。“おにい”の妹さんのことだから、何とかなるよ。“おにい”さんは、妹さんを見守ってあげて下さい。
……トークテーマは「会っちゃったんです」。この後もメッセージ、お待ちしています。
間もなく、9時30分。一旦、CMに入ります――
災害用に買ったラジオを切りの良いところで止め、アパートを出る。
今日も高崎駅前の予備校で自習をするつもりだ。
駅の駐車場は料金が高いから、バスで行くことにする。
バスを待つ間、スマートフォンをチェックする。
昨日、彼女にメッセージを送ったが、「既読」になっていない。
『昨日は付き合ってくれてありがとう。
世界遺産の話をしてもドン引きされなかったことが、とても嬉しかった。でも、今後は自重します。
広報も、大変助かっています。
振り回し過ぎたかな、と反省しています。
お兄さん、普通に心配するよね。俺のせいで、花村さんにもお兄さんにも迷惑をかけてしまって、ごめんなさい。
怪我、大丈夫だった?』
文面は悩みに悩んで、就寝前に睡魔に耐えながら入力した。
今読み返すと、「長いな!」と自分でもつっこみを入れたくなる。
彼女からの返信があったのは、昼過ぎだった。
『こんにちは。昨日は大変お世話になりました。
世界遺産のお話、大変興味深かったです。
地元住民なのに、富岡製糸場の功績も価値も理解できなくて、なぜ世界遺産や国宝に選ばれたのか、わからなかったのです。
田沢くんのお話を聞いていたら、明治政府がとても力を入れていた分野だったことや、今のホワイトな働き方の基礎をつくったこと、世界や後世に大きな影響を与えたことに納得がゆきました。
本当に、富岡製糸場は世界遺産にふさわしい史跡なのですね。
ひ』
メッセージは変なところで切れていた。
焦らせてはいけないと思い、こちらからはメッセージを送らずに待つ。
次のメッセージは16時過ぎだった。
『ごめんなさい。
田沢くんのせいではありません。
たまーにですが、兄は感情のやり場がなくなって暴力にはしってしまいます。
兄のことを悪く思わないで下さい。
私は平気です。
ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。
もっともっと、世界遺産のお話を聞きたいです。』
すぐに返信はせず、スマートフォンをリュックサックのポケットに入れた。
勉強を再開しても、メッセージの内容が頭にちらつく。
結局集中できず、18時には荷物を片付けて予備校を出た。
それなのにアパートに帰る気にはなれず、高崎駅の中をぶらぶらする。
駅直結の商業施設を冷やかしているうちに空腹を感じ、ファーストフード店に入ることにした。
入ることにした、のだが。
なぜか、ファーストフード店を通り過ぎ、その奥の階段を下りてしまった。
そこは、久々に見る場所だった。
高崎市と
俺は初めて富岡製糸場に行くときに、この電車を使ったのだ。
JRの喧騒から離れた、この静かな場所につっ立っていたら、自分でもよくわからない感じになってきた。
急激にこみ上げてくるものが抑えきれず、鼻の奥がつんとするのだ。
千羽鶴をひとりでつくってしまうくらい手先が器用な彼女。
高校の3年間大半の人から嫌われていた彼女。
それでも謙虚に皆のことを愛していた彼女。
大人になって一層綺麗になった彼女。
綻ぶような笑顔が美しい彼女。
黒目がちの大きな双眸がきらきら輝く彼女。
殴られても、殴った本人に気を遣う彼女。
そんな彼女が、電車から思いつめた表情で俺を頼ってくれることを、俺は妄想してしまうのだ。
彼女には、そうやって俺に弱みを見せてほしいと思ってしまうのだ。
そんなこと、あるはずもないのに。
俺はこの場でスマートフォンを取り出し、彼女にメッセージを送信した。
『もしも公務員試験に合格したら、「高山社跡」の「落書き」を見に行きませんか?』
返信はすぐに来た。
『高山社の落書き、噂には聞いていましたが、見たことはないのです。
ぜひ、見たいです!
見に行きましょう(^^)』
初めての、彼女からの顔文字。
液晶画面の向こうの彼女は、笑っているのだろうか。
上信電鉄の電車が来る前に、俺はもと来た階段を駆け上がった。
俺は卑怯だ。
彼女に謝りたいのに謝れない。
彼女は健気だと勝手に思い込んで、涙腺が緩む。
勝手にデート気分になる。
綻ぶような笑顔を、もっと見たいと思ってしまう。
殴られた彼女を支えたときの、痩せた肩の感触は、いつまでも手に残っていた。
【第1章「千羽鶴、承ります」終】
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