第2話 餅人形の男

 京が老婆を「妖術」で倒したあの後、京は先にわたしだけを帰らせ、自分はやることがあるといって残った。そこで何があったのか知らないが、すくなくとも翌日、校内が騒ぎになることはなかった。改めて京に聞くこともためらわれたので、わたしはとにかく無事にすんだことを喜ぼうと思い、あったことをきれいさっぱり忘れていた。そんなある日のこと、京はわたしの肩をたたいて言った。


「放課後、あたしの家にきてちょうだい。この前約束したとおり、話すわ。あたしのこと」


 数秒間、ぽかんとしてわたしは京を見つめた。


「ヤクソクって、なんの?」


「忘れちゃったの?あなた、あたしが何なのか話してって言ったじゃない」


「あ!」


 思い出した。京がどうしてかあの老婆の魔手ましゅを逃れ、京はそれを「妖術」と言ったのだ。わたしはそれが何なのかたずねたのだった。いま、その答えが聞ける。


 放課後、京の家にわたしは招かれた。こぢんまりとした、かわいらしい家だった。入ると、京の妹、翔子しょうこちゃんがお出迎えしてくれた。京と同じく人形のような美貌でよく笑う。京は大事な話があるからあっちいってて、と妹を追い出した。翔子ちゃんはくいっと首をかしげた。


 京の部屋は簡素かんそなものだった。貧乏くさいのではない、余計なものがないのだ。机や本棚も完全に整理され、すべてのものが収まるべきところに収まっている。小物やゴミが置き場もなく積み重なったわたしの部屋と比べたら、かなりすっきりしている。わたしはベッドに腰掛けた。京は椅子に座り、語りだした。


「あたしね、魔法が使えるの」


 唐突だった。わたしはすこし混乱した。予想していなかったといえばうそになる。なんとなく、そうじゃないと説明できない何かがあるということだけは察していた。しかし実際に面と向かって言われるとちっとも現実味がなく、そんな察しもどこかへ吹き飛んでしまう。現実と妄想の壁があいまいになってわたしは混乱してしまったのだ。


「あら、意外に驚かないのね」


「え、えーっと、うん。まあ、その・・・」


 しどろもどろにいま感じたことをそのまま喋った。すると京はふふっとほほえんだ。


「正直ね、朱美は。じゃあ今からその証拠を見せてあげる」


 そう言うと京はわたしのスポーツバッグから飲みかけのペットボトルを抜き取った。中にはお茶がまだ三分の二ほど残っている。


「よーく見てて」


 わたしはラベルのない、裸のペットボトルを凝視した。すると、この前と同じようにあたりが冷蔵庫をあけたときみたいな冷気に包まれ、何もしないのにボトルの中身がメキメキと白く氷結し、生ぬるいお茶はあっというまに凍りついた。当然、仕掛けなんてない。今朝行きがけに買っただけの、ただのお茶だ。京がわたしにペットボトルを投げよこす。冷たい。本当に冷たい。


「本当は魔法じゃなくて妖術って言うのよ、それ。あたしが使うのは氷の妖術」


「他にも妖術があるの?」


「ええ、人の数だけ妖術はあるわ。たとえばあのばあさんなんかは唾で人を塗り固める妖術者ね」


 わたしは数日前に老婆に固められた右手を思い出した。あれから風呂でしつこく洗っていたらなんとかとれたが、しばらく動かすのに不自由した。あの恐ろしい唾液を何層も重ねて人形をつくるのだろうか。


「あたしね、小さいころから怪奇現象に悩まされてたの。あたしがいる部屋の物があっちこっちに飛び交ったり、お風呂の水が一瞬で氷り付いたり。両親は困り果てたわ、このままじゃ日常生活ができないばかりか、いつか周りの人まで傷つけてしまうって。それからいろんなお寺や神社に頼み込んでおはらいをしてもらったけど、なんにも効果なし。途方に暮れたところで見つけたのが妖術だったの。こういった怪奇現象は本人の念力が強すぎるために起こるから、それをコントロールするための技術が妖術なんだって、そこの先生におそわった」


 京はどこかあたたかい表情で語った。


 そもそも念力というのは感情や感受性かんじゅせいと同様に誰しも持っているもので、人によって強かったり弱かったりするのだという。そして正確に言えば、強すぎる念力を抑える技術を妖術と言うのではない。たいていの人は念力をコントロールできた時点でその訓練を終えるが、時折さらに修練を積んで力を昇華しょうかさせる人たちがいる。そうして昇華した力を妖術とよび、使い手となった者を妖術師と呼ぶのだという。つまり京もそのひとりなのだ。


「あふれる力はなにかに変えなきゃいけない。なんだってそうでしょう、怒りや感情だってそう。強すぎてその勢いに任せていてはいつか大事な人を傷つけてしまう。妖術はその延長なの。わたしの場合、冷たい念力の波動が強かったから氷の妖術使いになったのよ」


 妖術という妄想めいたイメージが、どこかしら現実味をおびてきた。ような気がする。わたしにとって、怪奇現象もまた縁のない話だから、現実味なんてなくて当然なのだけど。


「でもね、朱美。大事なのはここから。妖術で人形を作る老婆がいるとしたら、それを見る人がいるはずだよね。あの人ひとりが楽しんでいるのでない限りは」


「ええ、それはそうだけど。でも・・・」


 あの時屋敷には老婆ひとりしかいなかったではないか。彼女は夫の趣味だといっていたけれど、それはわたしたちをあざむくための方便ほうべんではないのか?


「いるのよ。あれを見て楽しんでいるやつらが、四人もね。それもみんなおそろしく強い妖術者たち。あの年寄りなんて足元にも及ばない。それが人形の唯一の制作者を潰されたと知ったら、どうすると思う?」


「・・・・・・復讐に来る」


 なぜ京がそんなことまで知っているのか、それを疑問に思う余裕はわたしにはなかった。まずわたしが感じたのは大きなショックだった。恐怖の戦いはあれで終わりではなかった。あれ以上に強くておそろしい敵が、あと四人も残っているなんて!


「それは確かなの?」


「ええ、確かよ。あたしは昨日、あのばあさんにいたの。他に誰か共犯者がいないかって。そしたらあっさりもらしたわ。自分が死んだことが知れれば、四人の妖術師の男が黙っていないって」


「・・・・・・・・・」


 京はどこか申し訳なさそうに言った。


「まさこんなことになるなんて思いもしなかった。知らなかったの、あそこが悪い連中のアジトだったなんて。あなたを誘ったことを本気で後悔してるわ。ごめんなさい」


「いいよ、別に。こうなったのは誰のせいでもないし、悔やんだってしかたないわ」


 そう、これは誰にも予想できなかったこと。自分を責めるべきではない。


「・・・ありがとう。そう言ってくれると、少し気が楽よ。あたしが言った約束、覚えてるでしょう。あなたには指一本触れさせないって。あれは本当よ。だから安心して」


 そういうと、突然京はわたしをベッドの上に押し倒した。京のほっそりした指がわたしの両眼を大きく開かせた。


「ただ、そのためにはあなたにも協力してほしい」


 わたしはわけもなく胸が高鳴るのを感じた。かすれた声がでる。


「な、なに・・・?」


 京は答えない。そのガラス玉のような目が潤んでゆく。そしてしたたる涙が一滴、二滴とわたしの瞳を濡らした。異物の入った嫌な感じはしなかった。むしろ心地よい清涼感せいりょうかんが目に溶けて、頭のしんまで駆け抜けるようないい気持ちだった。京はそっとわたしから離れた。


「涙映しの術。あなたとあたしの神経はつながったわ。あなたが見るものをあたしは見ることができるし、その逆もできる。もしあなたが敵に襲われたときは、あたしのことを心に思い浮かべて。そうしたらすぐに神経がつながって、駆けつけることができるわ」


 感覚の共有。ちょっと信じられないけど、テレビで見たことがある。血のつながった兄弟がいて、一方がけがをすればもう一方の兄か弟が同じ部分から血を流すという話を。それと同じようなものだろうか。


「ちょっと試してみましょう。朱美、あたしに見えないようにこの紙に数字を書いてみて。そうね、六ケタの数字がいいわ」


 言われた通り、わたしは京に背中を向けて適当な数字を書いた。そして紙を見ながら京のことを思い浮かべた。京、京、京・・・・・・。


「―――よく見えるわ。あなたの数字は161798ね」


「すごい!正解!」


 白紙には確かに161798とあった。京に書く音が聞こえないよううっすらと書いたのに。京は軽く笑った。


「リンク成功。でも、これが役に立つときがこないことを祈りましょう」



                  2



 京の家を出たころには日も暮れかけて、濃い西日が差していた。わたしは川沿いの土手を歩いて家路に向かった。周りには誰もいない。草むらから虫のさざめきが聞こえる。涼しく、気持ちのいい初夏だった。ただ、季節感を楽しんでいる場合ではなかった。わたしは京の言葉をずっと頭の中で繰り返していた。


 ―――いるのよ。あれを見て楽しんでいるやつらが、四人もね。それもみんなおそろしく強い妖術者たち。あの年寄りなんて足元にも及ばない。


 この町や近隣で起きている不可解な児童失踪事件。それはきっとその男たちが企てたことに違いない。さらった子供たちを塗り固め、生きたまま人形にする・・・・・・。おそろしさに身震みぶるいしそうだ。


 しかしそれよりもっとおそろしいのは、死の唾液を吹きかける老婆よりも強大な敵。考えるだけで叫びだしそうになる。京はどうしてあんなに自信満々に敵に立ち向かえるのだろう。


 不意に、五メートル先のわたしの行く手に黒い人影が立ちはだかった。真横に長い影法師が伸びている。右手に移るとその人も右にくる。左に移ると左にくる。影のようにぴったり張りついてくるのだ。絶対にわざとだ。わたしは少し怒って、「なんですか!」と強めに言ってやろうと思ったが、はっとして言葉を呑み込んだ。その男の普通でない相貌そうぼうに驚いたのだ。年齢はわからない。肌は餅のように白く、皮膚はふやけてしわだらけ。目は垂れ下がったまぶたに隠れ、見えない。それでも男にはわたしのことがよく見えているらしい。夕陽に濡れ、てらてらとつやめくその顔は恐ろしく、映画「仄暗い水の底から」に出てくる女の子の幽霊のようだ!


 わたしが後ずさると、今度は男の方から近づいてきた。顎を突き出し、ガニ股で歩いてくる。


「あー、お嬢さん。ちょっとたずねたいのだがね。このあたりに妖術師の家があるはずなんだが、知らないかい」


 妖術師!わたしは全身の毛も逆立つ気がした。すぐに思った、これが京の言っていたおそろしい敵なのだと。それが早くも老婆の仇討かたきうちに乗り出したのだと。妖術師とは京のことに違いない。・・・どうする?逃げるか?それしかない。下手な嘘は通じない。わたしはきびすを返しざま、ピシャリと言い放った。


「知りませんっ」


「嘘をつくな!」


 男は甲高い声で恫喝どうかつした。わたしは走り出した。早くこの場から離れよう。そして京に伝えなくては。とうとう追手がここまで来たことを。―――右手首をつかまれた。冷たく、じっとりとした嫌な感触。振り払ったが、まるで吸いついたように離れない。振り返ると、なんと男はさっきの位置からまったく動いていなかった。わたしが離れた分だけ腕が伸び、わたしの右手をつかんでいるのだ。


「言う気がないなら、こうするまでよ」


 男の左手が約五メートルも伸びて川につかった。そして水に触れた途端、ポンプのように水を吸いあげ、みるみるうちに膨らんでゆく。足が膨張し、腕も丸太のように太くなる。わたしをつかむ手はいまやこの身体を握りつぶせるほどに巨大化した。そして男は本当にわたしをつかみ上げた。どんどん地面が遠くなり、気づけばわたしの身体は宙にあった。男の身体は約八メートルもの巨体に変化している。まるで遊園地にある大きなバルーンだ。


「妖術者はどこか、言え。愚僧ぐそうがカンシャクをおこし、お前をひねりつぶす前にな」


 男は手に力を込めた。体中の筋肉が悲鳴をあげ、骨がきしむ音がする。息ができない。肺から空気が絞り出されるようだ。苦しい。―――だが、京を思い浮かべるだけでわたしは強くなれる。こんなやつに京のことを話してやるもんか!


「やれるもんならやってみなさいよ、このしわくちゃお化け・・・!」


「強がるか。だが妖術師をあまり怒らせないほうがいい。さもないと―――」


 男の手にもっと力が入る。喉元まですっぱい胃液が逆流する。


血反吐ちへどを吐くぞ」


 だめだ。このままじゃ本当に潰されてしまう。頭の中でやかましく警報が鳴り響き、脳に血がさかしまに流れる。


 そのときだ。突然わたしの目の前で赤い光の輪が踊り、それははるか向こうまでフリスビーのように飛んでいった。そして顔に降りかかる大量の水。状況を理解する間もなくわたしは大地から吹き上げる風を感じていた。落ちているのだ、八メートルの高さから。迫りくる大地。耳障りな誰かの悲鳴。それが自分のものだと気づいたときには背中を地面に打ちつけていた。


「・・・・・・美・・・て!」


 妙に遠くから自分を呼ぶ声がする。わずかな間、わたしは正気と失神(の間をさまよっていた。目を開ける。視界が定まらない。わたしにおおいかぶさっているのは誰?鈍い衝撃、ほおを三回たたかれる。そして―――わたしは完全に覚醒かくせいした。


「朱美、しっかりして!」


「あ―――き、京!なんでここに?」


 目の前に心配そうな京の顔があった。


「馬鹿なこと言わないで。あなたがあたしのことを念じたんでしょう」


 ああ―――そうだった。握りつぶされそうになったとき、わたしは京を思い浮かべた。自分を鼓舞こぶするために。それがはからずも妖術「涙映し」を発動させ、京を呼んだのだ。彼女はどうやってか男の腕を切り落とし、わたしを助けてくれた。あの高さから落ちて無事だったのは奇跡だ。いや、ちがう、身体にへばりついた餅のような手がクッションになって助かったんだ。


「やりおったな小娘!」


 男の右腕は手首から先がなかった。そこから一度に水が抜けてしぼんだようだ。それでも十分大きい。ゆうに五メートルはあるだろう。無事な方の手のひらがこちらに振り下ろされる。ふたりを一度におしつぶす気だ!


 しかし京は慌てなかった。彼女もまた左手を男の掌に合わせるように開いた。京の右手首からは血が流れている。あぶない、つぶされる。―――ことはなかった。男の手は京の手前で寸止めするように固まったのだ。


氷獄ひょうごく!」


 巨大な右手は凍ってしまっていた。いや、腕だけではないようだ。一瞬で水を吸った体全体が凍りつたことは、その全身に見られる霜ときらめきでわかる。京が手のひらを軽く押すと、氷像はぐらりと揺らぎ、背後の川に倒れこんだ。大きな水柱が上がり、そこに小さな虹がかかった。


 京の右手に赤い棒のようなものが伸び、たちまち一メートルの真っ赤な刀となった。わたしをとらえた餅に刀を二、三度ひらめかせると、餅はぼたぼたと切れ落ちた。


「それは・・・?」


「妖術・赤典太あかてんた。・・・あたしの血を凍らせた、即席そくせきの刀よ」


 わかった。京はさっきこれと同じものを投げ、男の右手を切断し、わたしを助けたのだ。わたしが感心し、見入っている中でその「赤典太」はアイスのように溶け始め、あっという間にただの血だまりとなってしまった。京はわたしに手をかして立たせると、そこで世にも恐ろしい告白をした。


「朱美、敵はまたくるわ。今度また同じ手が通じるとは思えない」


「え、同じ手って、まだ敵が生きてるってこと?」


「いま倒したのは人形よ。こいつはおそらく水を吸って巨大化する人形を操る妖術者。本体は別にいる。もしかしたらこの会話を聞いてるかもしれない」


 ぎょっとしてわたしはあたりを見回した。今の騒ぎで人が集まりだしているが、そのどこにもあのしわくちゃの奇怪な顔は見当たらない。


「騒がれると面倒ね、行くわよ」


 ふたたび戻った京の部屋で、水とねばっこい餅にまみれた制服を脱ぎ、京に借りた私服に着かえる。落ち着いてから、わたしは京にある「作戦」をたくされた。


 それはわたしなしでは成功しない、おそろしい人形使いを罠にはめるための作戦だった。最初、わたしは子供のようにいやがった。できるわけないと文句を言い、やめてくれと泣きついた。京は別に無理強いはしなかった。ただ、あなたがやらないなら自分ひとりでやると言い張った。これはある意味強制されるよりたちが悪い。そこまで言われてはわたしだってやらざるを得ないからだ。しぶしぶ承諾たわたしに京は感謝し、必ず守ると何度目かの約束をした。



                   3



 「作戦」を実行するための条件は、公園や広場のような水のない広い場所であることだ。それも人通りの多いところはまずい。無関係な人を巻き込んでしまうし、だいいち敵もよりつかない。しかしそう都合のいいところは見つからなかった。そこでわたしたちはアイデアを変えた。噴水など水場のない公園はいくらでもあるのだから、時間帯を夜に変えたのだ。


 ある夜から、わたしは頻繁ひんぱんに家を忍び出てゆくようになった。行く先はまちまちだが、その先では必ず見えないところで京がスタンバイしている。何日かそんなことを続けたが、一向に獲物がかかる気配はなかった。テストが近いというのに寝不足が続き、京に話したらそんな場合じゃないと怒られたり、さんざんな思いをして八日目、ようやく獲物はかかった。


 わたしは緊張と寝不足の連続でいい加減疲れ果て、ベンチに腰掛けうつらうつらしていた。どうせ今夜も収穫なしだろうと思い、ややだらけていた。京がそんなわたしを見たら、しっかりしろと気合のひとつも入れたかもしれない。しかしそうされるまでもなく、そのとき、わたしの脳は危険を感知し、眠気を吹き飛ばした。向こうから白い「人形」がやってきたのだ!


 それほど大きくない、手のひらサイズの人形だった。かわいらしいお相撲さんを模してあるのだが、それがかえって不気味だ。二体はわたしの足元でちょこんと止まると、言った。


「水のない場所に愚僧ぐそうをおびき出したつもりか、小娘。あまいわ」


 そのとき、目の前で信じられない光景が展開された。公園の入口から、遊具の陰から、木々や植込みの隙間から、無数の小さい「餅人形」が現れて、ぞろぞろと集まってきたのだ。それはたちまち地面を埋めつくし、お互いの身体をきゅうくつに押しつけあった。わたしはベンチの上に立ち、地上の光景を息をひそめて見守った。人形はくっつき、溶け合い、重なり合い、一体となってひとつの巨大な餅へと変化した。それが見えない手でこねられたようにぐねぐねうごめくと、この前よりさらに巨大な約一五メートルもの人型を形作った。


「妖術 餅人形!水がなくともこの通りだ」


 わたしは圧倒された。そしてあのときの恐怖がまざまざと思い出された。巨大な手につかまれ、潰されそうになったあの恐怖を。京、はやく助けて!


 と、頭上のこずえで京の声が高らかに響き渡った。


「来たわねバケモノ!今度こそ息の根を―――」


 声は、そこで途切れた。人形の手が梢をつかみ、声の主を握りつぶしたのだ。わたしの顔に氷の粒と冷たい液体が降りかかった。血だ。京の血だ。悲鳴をあげる間もなく、京は殺された。作戦は失敗だ。あまりにもおぞましく、京があわれで、わたしは泣き叫んだ。京は勇敢だった。わたしを助けると言ってくれた。それなのに、わたしは彼女になにもしてあげられない。京は強い、戦い方も知っている。わたしは京より弱い。妖術師なんかに勝てるわけがない!


 そのとき、人形の陰からひとりの男が現れた。背の低い、しわくちゃ顔の不気味な男だ。こいつが術者本体なのだろう。いやらしく笑いながらわたしに近づいてくる。


「おお、しまった。最初は耳だけいただくつもりだったのに・・・・・・。まあよいわ。泣くな娘よ。お前もすぐやつの後を追わせてやろうほどに」


 人形の手が伸びてくる。どす黒い血のべっとりついた恐ろしい手が。死ぬ。いやだ。こんなところで・・・・・・!


 巨大な手はわたしの頭上で止まった。まるでわたしに手のひらの血を見せつけるかのように。わたしの恐怖をあおって楽しんでいるのかのように。・・・・・・いやちがう。男は狼狽している。人形の手は本当に動かないのだ。


「これ、どうした。なぜ動かん!」


「凍ってしまったもの、動かないわよ」


 声は依然、梢の上だった。男はぎょっとして木を見上げたが、本当の敵は別のところにいた。突然地面からにゅっと両手が突きでると、男の足首をつかんだのだ。男が何か叫んだようだが言葉にならない。人形と同じように、彼も凍りついてしまっていた。なにがなんだか見守るわたしの前で、地中から巨大なもぐらのような影がはい出てきた。影が立ち上がると、それは華奢きゃしゃな人間の体になった。はたはたと土をはたくと、わたしににっこり微笑んだ。


「怖がらせちゃったみたいね。ごめんなさい、朱美」


「京!」


 京は生きていた。なんだかわからないけど、生きていたんだ!わたしは泣きじゃくって京に抱きついた。京はやさしくわたしの背中をなでながら、わたしを落ち着かせた。


 京の提案した作戦とは、わたしがおとりとなって男をおびき出すというものだった。人形を凍らせると同時に本体の男も始末すると京は言った。それ以外の詳しい内容は聞かされていないが、彼女を信頼してわたしはとにかく引き受けた。わたしは京が木の上に隠れているとばかり思っていたが、本当は違った。京が隠れていたのは地面の下だった。落ち着きを取り戻してから、わたしは京にたずねた。


「でも、どうやって木の上から声を出したの?」


「それはね、これよ」


 京はもう一度木の上から声を出して見せた。


「やまびこの術。自分のいるところとは違うところから声を出す。簡単な妖術よ」


 京は血糊ちのりを含ませた袋を木の枝にかけておき、自分は「土蜘蛛つちぐも」という術で地面に潜ったのだ。そして敵に自分を殺したように見せかけて油断を誘い、地中からの奇襲をしかけたのである。


「あなたにこれを教えなかったのは、あなたにも本当にわたしが死んだと思ってほしかったから。敵をだますにはまず味方からって言うでしょう。あなたが平気な顔をしていると、敵がうまくかかってくれないかもしれない」


わたしは安心すると同時に内心舌を巻いた。まさかわたしがパニックを起こすことまで想定内だったとは。京は凍った男の亡骸を地面に横たえた。何をするのかと思えば、取り出したカッターナイフで自分の五本の指を傷つけ、男の体に突き刺したのだ。


「妖術・死人しびと返し」


かたずをのんで見守るわたしの前で、男はぱきぱきと音をたてて起き上がった。わたしはぎょっとして後ずさった。


「こわがらないで。これはわたしの言いなり、危害を加えることはないわ」


 そう・・・なのか?わたしは京の肩越しに男を見た。生気のないうつろな目だ。京は男に問いただした。


「あなたに訊きたいことはひとつだけ。残る三人の妖術を教えなさい」


「・・・・・・知らん。妖術師は互いの術を教えあわぬでな。ただ、ひとりだけお前と正反対の術者を知っている」


 京はしつこく問い詰めることはしなかった。かわりに短い質問を返した。


「それは?」


「熱だ。我らのリーダー無明坊さまはすさまじい熱の妖術を操りなさる。お前の氷など歯が立たぬだろうよ」


 熱の妖術?それなら京は不利じゃないか?その妖術師というのがどんなものかはわからないが、この男が「さま」と呼ぶからには相当の実力者に違いない。わたしは未知なる強敵に対しおそれおののいた。


「どんなに強い相手でも、わたしは負けない」


 京は動じなかった。そして男にそっと耳打ちした。男はとたんに顔色を変え(たように見えた)、いやいやするように首を振った。しかし京ににらまれるとしぶしぶといったふうに立ち上がり、大きな人形を捨てて歩き去った。


「・・・なんて言ったの?」


「あたしたちの敵を減らすようにって、ね」


 京はいたずらっぽく笑った。



                   4



 例によっておぼろな月明かりの草むらを、不空坊は歩いていた。背後に巨大な人形を従えて。それはずしんずしんと歩くたびに地響きをたてるので、人形屋敷の坊主どもを叩き起こさないわけにはいかなかった。出てきた三人の男はそれを見てすこし驚いたようだが、すぐに状況を理解した。仲間の不空坊が帰ってきたのだと。


不空坊ふくうぼう、やったか?」


「お・・・金剛坊こんごうぼう・・・オレは・・・・・・」


 金剛坊と呼ばれた坊主は怪訝けげんそうに顔をしかめ、探るように仲間を見た。そして叫んだ。


「こいつは傀儡かいらいだ!」


 背後の人形の腕が伸び、拳を地面に叩きつける。そこにはすさまじいクレーターができたが、直前に三人はクモのように素早く飛びのいていた。


「不空坊、敵の操り人形となりおったな!」


「止めてくれ、オレを止めてくれえ!」


 激しい怒号と悲痛な叫びが交差した。不空坊の意思に反して人形は暴れまわる。木々をへし折り、地面をえぐり、吹き飛ばす。


「不空坊を殺せ!」


 誰かが叫んだ。人形の平手が地面を叩いた。すかさず無明坊がその上にへし折れた木を刺し通し、手のひらを地面にい留めた。そこへ今度は人形の左拳が飛んできた。しかし無明坊はあわてない。素早いパンチを軽くかわすと、丸太のような腕をわきで抱え込んだ。


赤熱掌せきねっしょう!」


 無明坊の両手が灼熱しゃくねつしてゆく。それは人形の水分を奪い、カラカラに乾燥させていった。・・・とうとう、巨大な右手は乾ききって崩壊した。


「今だ、やれっ」


 不空坊は両手を顔の前にあげて降参のポーズをとった。しかし傀儡となり果てた弱者にかける情けはない。もうひとりの坊主の右手から無数のパチンコ玉が弾丸よろしく放たれて、不空坊の頭に穴をあけた。金剛坊の青銅の剣がひらめくと、不空坊のしわだらけの首と手首は宙を飛んでいた。残る体は立ち尽くしたままである。


「手間をかけさせおって、この恥さらしめ」


 無明坊は落ちた生首を赤熱する右足で踏みつけた。たちまち顔は氷解し、どす黒い血が流れ出す。すぐにそれも赤い霧となって蒸発し、骨だけとなった彼の首は無残に踏み砕かれた。


「無明さま。まだゲームを続けますか」


「無論だ。こうなったからこそ、小娘どもに目にもの見せてやらねばならん」


 ゲームとは言うまでもなく、京の身体の一部分を切り落とし、苦しめながら殺すという無明坊の提案だ。いま、仲間がひとり討たれたというのに、彼はまったくこりていない。


彼岸坊ひがんぼう!」


「―――はっ」


「次はお前が行け。行って不空坊の恥をそそぐのだ」


御意ぎょいに」


 彼岸坊は音もなく消えた。金剛坊は不安そうに言った。


「いいのですか、彼岸坊を行かせて。まさかとは思いますが、不空坊の二の舞を踏む可能性も・・・・・・」


「そうなればそれまでよ。小娘ひとりに倒されるような妖術者、どうして我らの同士を名乗れようか。それにやつが倒れたとてわしの赤熱掌とお前の我観音われかんのん、それさえあれば敵はない」


 無明坊は冷たく見放すように言った。金剛坊は憂鬱だった。人の情もないような男だが、仲間に手をかけたのにはこたえたようだ。もしあの彼岸坊が同様に傀儡かいらいとなって戻ってくるようなことがあれば、今度は自分かこの無明坊さまが手を下さなければならない。たかが小娘とはいうが、あの不空坊を倒した腕前からしてただ者でないのは明白だ。


 ―――生きて帰れよ、彼岸坊。


 彼はひそかにそう祈っていた。



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