第一章 召喚された花嫁

第1話

 東麒とうき・イスキア族は、上半身が人、下半身が神獣・麒麟という部族だ。雄のみが半人半獣。雌は人の姿をしている。雌に雄と同じ徴候が現れることを、先祖返りといい、雄から隠されて育てられることになる。




 イスキア族には、シャーマンという役割を持つものがいる。その者は長のめいに応じて、支配する領域の豊作を祈ったり、まじないによって奇跡に近いことをなす。大半は、今年の作物の出来具合や、数少ない雌が何頭生まれるか、そういったことを占う。時には、敵を呪うこともなす。


 たった一頭のシャーマンであるドゥルラナは、部族の長・リョダリに命じられた。

「俺にふさわしい花嫁を異界から召喚しろ」


 それは絶対的な命令だった。すでに部族の雌は、リョダリの命令によって後宮に収容されている。それは、今までからは考えられない所業だった。


 部族の雌は地位が高く、一頭の雄の言うなりになることはない。しかし、雌を束ねているリョダリの許嫁、ディヴァナシーがリョダリの命令に応じたのだ。


 発情期を迎えた雄達は、リョダリの判断に不満を感じていたが、今はリョダリの親族の支配下にあるために、おとなしく命令に従っていた。


 そういった不満が渦巻く中で、リョダリは、許嫁を差し置いて、異界から花嫁を迎える命令をドゥルラナに命じたのだ。


 ドゥルラナはためらった。黒い巻き毛を透かして青い瞳をリョダリの芦毛に向けた。リョダリの緑の瞳が、傲慢に輝いている。この若い雄は、幼い頃、身内の裏切りに遭い、不遇な人生を送っている。自分を取り巻く殆どの親族や一族を信じることができないでいる。許嫁のディヴァナシーは先祖返りだ。その不満が、この命令を考えさせたのだろう。


「容易なことではありません」


 ドゥルラナは茶の巻き毛の若い麒麟を見据えた。若いといえども、長に選ばれるだけあり、リョダリの体軀たいくは見事なまでに大きい。しかし、ドゥルラナは長よりも二百歳は年長だ。長の威圧的な態度に恐怖を抱くことはない。それでも、長の命令に逆らえば、たとえ貴重なシャーマンでも処刑される可能性はある。ドゥルラナにはいまだ後継者がいない。適材者が生まれないのだ。シャーマンは世襲ではない。特別な力を持つ者のみ、シャーマンになることができる。ここで、長の不興を買い、彼の後継者を見つける前に処刑されることになれば、それは部族の破滅と言えた。


 長にはその判断がまだできない。いや、持つべきでない稚拙なプライドが、愚かな判断をさせるかもしれなかった。


 ドゥルラナは太古から伝わる、召喚の儀式を思い起こした。ただ、それは一朝一夕でなせる呪いではなかった。それが、この幼い長に通じるだろうか、と彼は危惧した。だから、慎重に念を押した。


「召喚するためには時間が必要です。すぐに召喚できるとは限りません。召喚される乙女は我が部族のみならず、このユトラウスの世界全域の部族とも交わることの出来る貴重な雌になることでしょう。それを知った部族が、我らの領土に入り込むことも考えられます。呪いに敏感な部族もいます。それでも、この危険な呪いを行いますか?」


 リョダリは傲慢な笑みを浮かべた。


「俺は従順な雌が欲しいだけだ。ディヴァナシーは俺の命令を素直に聞かない。俺の力を見くびっている。異界から呼び出した雌ならば、俺に言われるがままになるだろう。何日かかろうと気にしない。それにどの部族が雌を狙おうとそれも一蹴するまでだ。召喚した雌との間に俺の仔をなせば、後宮に閉じ込めた雌を解放しよう。そういう条件ならば、皆、俺の言うことに逆らうまい?」


 たしかにそのとおりだ、とドゥルラナは思った。雌を求める雄の欲望は、本能だ。その本能を、今、無理矢理に抑えこまれている。雌欲しさに、リョダリのいうことを聞く者も多いだろう。残念なことだ、とドゥルラナは心のなかで舌打ちをした。


「承知いたしました……。今宵から、召喚の儀を行いましょう……」


 そう言って頭を下げ、さっと顔を上げる。巻き毛が四叉に分かれた二本の角の周囲をサラリとすり抜けていく。その感触に、ドゥルラナの身も引き締まった。


 見れば、リョダリも興奮したようにかぶりを振り、たてがみを揺すって、角を誇示していた。


 誰もが、リョダリの命じた内容に興奮するだろう。雌が解放される。これは希望だった。五十年近く、交配の儀から遠ざけられてきた。他の部族よりも雌が多いと言われても、血気盛んな発情した雄が今までおとなしくしていた事自体、奇跡的だった。今回の命令で、皆がリョダリに従うだろう。雌のために……。

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