麒麟は誰を愛す〜召喚された花嫁〜

藍上央理

プロローグ

第1話

 とにかく、凛子りんこはすぐにでも横になりたかった。ただでさえ、昼間受けたショックから立ち直っていないというのに、ホームルームが終わる頃から、ずっと目眩めまいと眠気がすさまじい。


 精神的なショックから、目眩が起こっているのかもしれないと、凛子は思うが、眠気は違う。立っていられない目眩とは比較にならなかった。


 ヨロヨロと教室を出るときに、友人から声をかけられた。ショックの元凶の一つだ。


「大丈夫? 熱でもあるの?」

 貴子たかこから背中を支えられる。

「大丈夫。一人で歩けるよ」


 凛子は気丈に振る舞った。貴子と話をしたくない。貴子が悪いわけじゃないのはよくわかっていたけれど、どうしても一緒くたにしてしまいそうになる。


「よう、赤羽あかばね」がどうかしたの?」

 背後から男子が声を掛けてきた。


「あ、安井くん、凛子がなんか気分悪そうなんだよ」

 凛子は背中に置かれた貴子の手から逃れて、安井と貴子に手を振った。


「なんでもない、なんでもないよ。あんた達、いっしょに帰るんじゃなかったの?」


 出来上がったばかりのカップルに向かって、凛子は笑ってみせた。多分、その笑顔は引きつっている。心から祝福していないせいだ。でも、それは自分のせいだと、凛子には分かっている。


「うーん……、でも放っておけないよ……」

 今日のお昼まで大親友だった貴子が、凛子に心配そうに声をかけた。


「足元フラフラじゃん。保健室も夕方には閉まっちゃうし……」

「そうかぁ……、じゃあ、二人で支えていくか」

 残酷な取り決めが、凛子の許しもなく、勝手に進んでいく。


「いいよ、いいよ」

 凛子は何度も断ったけれど、二人は強引だった。


 両脇から支えられて、荷物は安井が持ってくれた。安井に支えられていることが、凛子には辛かった。一時的にだと言っても、好きだった相手だ。たとえ、それが勘違いだったとしても、相思相愛かもしれないと舞い上がっていた相手が、友人の頼みで、自分を支えてくれている。拷問だった。まだ、立ち直ってない。好きかもしれない気持ちが残っている。体が触れ合えば、どきりとするに決まっている。


 凛子は安井に好かれていると思っていた。思い込んでいた、といったほうがいいだろう。意識し始めたのは修学旅行あたりから。男女混合のグループの中で、安井は凛子に親切で気安くて思わせぶりだった。同じ班だった貴子にも、安井がもしかしたら自分のことが好きなんじゃないかと漏らしたほどだ。けれど、それは他の女子も同じように感じていたのかもしれない。なぜなら、安井はだれにでも優しかったから。貴子も凛子に調子を合わせて、そうかも〜なんて騒いだりしていた。


 浮かれた気分のまま年末に入ろうとしている十一月半ば。中間試験も終わり、期末試験までのちょっとした宙空期間。ふわふわとした気分で休みを満喫するような、そんな気持ちが緩んでいる時だ。まだ本格的に進学先を考えないといけないような、緊張した空気のない十七歳の秋。


 安井が昼休みに呼び出したのは、凛子ではなくて、貴子だった。「安井が呼んでるから行ってくる」そんな感じで教室から出て行った。そして、帰ってきた時、神妙な顔つきで貴子が凛子に告げた。「告白されちゃった」

 衝撃だった。あまりにもショックで顔が固まった。


「ビックリだよね」

 修学旅行の時にあれほど騒いでいたにも関わらず、貴子はあっけらかんと言い放った。あれほど、「凛子に気があるんだよ〜」なんて言った口で、「わ~、どうしよう……、デートに誘われちゃった」などと騒いでいる。


 凛子は振られた以前の問題だったことにも衝撃を感じていたが、貴子の代わり身の早さや思いやりのなさにも腹が立った。貴子には気のない返事をして、これが親友なのか? と、疑問を胸にいだいていた。


 安井にも幻滅した。本当に好きな相手にだけじゃなく、いろんな女子に優しくして、気を持たせておいた。


 今だってそうだ。安井と貴子は友達だから優しくしているんだろうか……? なぜ、凛子に優しくしているのか? そう考えると、頭がごちゃまぜになっていく。


 目眩と眠気で、両脇から支えてくる手を振りほどくだけの力が出なかった。断っても良かったが、凛子の家は高校から近い。歩いて十五分ほどだ。だから、二人は送っていくと言い張った。もしも、遠ければ、送るなんて言い出さなかったかもしれない。


 猜疑心と友情と好意の板挟みにあって、凛子は胸が苦しかった。「離してよ」とわめきたかったけれど、そんなことをする勇気も元気もなかった。親友を突っぱねて絶縁しても良かったけれど、残り僅かな学校生活を一人で過ごすのが怖かったのかもしれない。


 足がよろける。ふらふらしている。気力を振り絞って、家までなんとか辿り着くために、凛子は頑張った。正直な所、安井と貴子に支えてもらっているのはありがたかった。そうでなければ、家に帰ることができなかったかもしれない。


 長い十五分間をやり過ごし、ようやく家の前までたどり着いた。二人が凛子の母親に事情を説明してくれて、凛子は二人の帰り際にお礼を言った。複雑なお礼の気持ち。それがどんなふうに伝わっているか、凛子には想像もつかない。二人の親切が、親切に感じられないようになっているからかもしれない。


「いいよ、いいよ。ゆっくり休めば良くなるよ」

「じゃあな、赤羽」

 二人を見送ってすぐに、凛子は母親にすがったまま膝をついた。


「大丈夫!? 凛子」

「大丈夫じゃない、かも……」

 母親に支えられて、二階の自室へ連れて行ってもらった。


 目眩はどんどんひどくなっていく。熱を測ったけれど平熱だった。

「明日病院に行こうね」

 母親はそう言って、部屋を出て行った。


 パジャマに着替えて、ひとりきりになると、静かな部屋の音が鼓膜を打ってくる。ツーンとした耳鳴りのような音の奥から、何か別の音が聞こえてくる。単調な音。声? 寝ているのでもう目眩とはいえない。体がぐるぐる回っているような違和感がある。空中に浮いて、宇宙空間かプールの中で体がぐるぐると回っているような感じ。それで目が回ってくる。眠りの度合いも深くなっていく。


 すとーんと奈落に落ちていくような眠気。そんな底なしの穴がぐるぐると回る体の下にあり、そこから声が聞こえてくる。耳を澄ませば、はっきりと聞こえるのかもしれない。凛子はぼんやりとしてくる意識を声に向けた。


 声は水の中から響くように話しかけてくる。

「来たれ、花嫁よ。召喚に応じし、乙女よ……」


 その声は、深く耳あたりのいい静かな男の声だった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る