第5章「お父さん、決意す」
第37話「家族」
娘の三和はあまりしゃべらない。
今でも私に対してはよそよそしい。
ほとんどがむすっとした表情。
会話。
一応挨拶はするようになった。
簡単な会話はする。
その言葉の端々に侮蔑の感情が含まれているのにも慣れた。
気に食わないことがあると――基本私が無神経なところが悪いのだが――母親仕込の忍術か武術かで暴力を振るう。
決して私をお父さん――前にそれぞれ一度だけ『パパ』『お父さん』と呼ばれたことはあるが――と呼ばない。
しかし、それでも時々。
時々は、あの幼い年長さんだった三和が見え隠れする。
そう……私に抱きついていたあの頃と同じような雰囲気が。
もちろん、娘はすぐに隠そうとする。
それもまたうれしい発見なんだが。
……隠す、そう。
他にもある。
数ヶ月同居して、気になることがある。
娘は怪我が多いとか、腕に包帯とか、切り傷があるとか。
最初はイジメでもあっているのかと心配――もっとも、いじめられている兆候とか信号とかそういう感情的な何かを読み取るほど、我々の間で
陸軍少年学校の文民教師である小山先生に頼んで、その教員同士の
次に、何かの武術の部活でもしているのかと思ったが、洗濯物を調べると、道着が入っていたことはない。
何度かスポーツブラとか運動着とかそういうのがないか確かめたこともある。
部活に行っているとしたら毎日洗われるはずだが、そういうのもない。
したがって部活はしていないのだろう。
あまり、そういうことをこそこそ調べていると、変態か何かと間違えられる。
先日娘の洗濯を見ていたことがバレて、怒られるよりも何か遮断される気分を味わった。
お父さんは、君の洗濯物をそんな目で見ていない。
だいたい下着を見たから欲情するなんて、十代ぐらいまでだというのに。
あれは好きな相手が身につけている状態だから価値があるもので、それ単体では意味をなさない。
つまり、娘がつけている状態だったら価値があるわけで。
いや、まて。
違う、そうじゃない。
別に三和の下着姿がどうのこうのいう訳ではない。
発育がいいと、男が寄ってこないか、とか。
下着が派手になったら男ができた証拠じゃないか、とか。
そんなことを気にするぐらいだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。
どうでもいい。
どうでもいいか?
よくない。
心配になってきた。
お父さん、心配になってきました。
……まあ、そんなことを繰り返すのも辛くなったので、三和にちゃんとその理由を聞いてみた。
先日面と向かって聞いてみたが『お母さんの手伝い』『バイト』と言い放って、それからは話をしてくれなかった。
まあ、学校でイジメとか、男の影がなければ心配しない。
うん、大丈夫。
男の影はない。
私の戸棚にある避妊具を見て、ああいう態度をとるぐらいだ、まさかカバンのなかに常備なんてしていないだろう。
だから、大丈夫。
それに、しつこく質問して何度も部屋に篭られたことがある。
余計なことは聞かないという処方箋を身につけている昨今だ。
それに……それ以上聞くのも、私にはそういう資格がないような気が最近している。
お母さんの手伝い。
そう、私には権利がない。
母親とのことを聞く権利がないのだ。
そんな後ろめたさがある。
それでもとりあえず、母親の絵里といっしょにバイトなら心配ない。
絵里は見た目が派手で妖艶で、男慣れしているように見えるが、そういう分別はある。
……はずだ。
いや、確かに、ところどころそういう方向でぶっとんでいるところがあるが。
まあ、大丈夫だろう。
大切な娘だ。
変なことはさせてないはず。
不意に。
ふと、恥ずかしい話を思い出す。
娘が年長さんだったころ。
――何して遊んだ?
――楽しかった?
――お友達と仲良くした?
と質問ばかりしていた。
今と変わらずあまり話をしてくれなかった。
娘は少しばかり言語障害があった。
確立された治療法なんかもなく、話しかけてくださいと医者に言われていた。
だから、何かを期待してしつこく聞くくせがついていた。
娘が来た当初、そのままの感じで会話をしてしまったのはそのせいだ。
もちろんその結果、お年頃の娘は「うざい」と言って部屋に消えることになったんだが。
ネットでちらっと見た嫌われるお父さんの理由。
まさに自分のやっていることはそれだった。
だが、学習能力の低い私は何回かそれを繰り返し、そして頭を抱えて後悔した。
そう、今よりも過ごした時間が長い幼い頃の三和の方が印象が強い。
私が妻と子を捨てた――つもりはないが、結果的にそういうものだったと思う――あの日までの娘の姿が。
妻だった絵里が娘と私を天秤にかけ、娘を優先したあの日まで。
あの日、三和はとても小さくて、そして無邪気だった。
あまり覚えていない……というのが正直なところだ。
当時住んでいたアパートからふたりが出て行く光景はもやもやとした記憶のみ。
あの時期はまだ病気が回復できず、まるで画面が切り替わるような錯覚――普通に見えていた世界から急にコントラストが強くなって目に刺さるような痛みが走る感覚か、またはフォーカスがずれたような、ぼやけてつかみどころのない不安に襲われる感覚のどちらか――の中にいた。
あの時は、後者だったんだと思う。
ただ、背中を見て。
不安に襲われ、後悔して、時間が戻って欲しいと願って、自分が妻にしたことを責めて、泣いて、そして、絶望した。
妻だった女性は、感謝してもし尽くせないほどの恩がある。
あんな私を支えてくれた。
娘のことを優先するまで、ずっと我慢してくれた。
絵里、君は強い。
私の看病を続けてくれたことも、生活費の負担も断り、三和を連れて去って行ったこともそうだ。
それなのに、私は何もすることもなく、あれからただなんとなく息をして、生きている。
絵里、私はやっぱり弱いままだ。
三和が私のもとに来てくれた今も変わらない。
……いや。
変わった。
変化している。
前よりも目に刺さるような痛みを感じることは減った。
前よりもつかみどころのない不安に襲われることは減った。
絵里。
君はどうして三和を私に合わせたんだ。
まだ、私を助けようとしているのか。
それとも……。
君は……。
……。
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