5:闇樹編――世紀の大告白の顛末は――
5-1
ざあざあと滝のように雨が降る。暗い空に時折稲妻が走り、ずどおおおん! と鼓膜を突き刺すほどの雷音を響かせる。
そんな天気が、もう、三日。
災害に対応する建物造りも、排水機構も、それなりに整っている
明らかな異変であった。
『異国の
だが、新たな難問は湧いて出る。
「狩竜士さえ敵わなかったその『
『闇樹』が『
不安は恐怖へと肥大し、波のように伝播する。天部王宮内でも、誰もが顔を合わせれば、口をついて出る話題は伝説竜への畏怖と、芳しい対策を講じてくれない
だが、轟也は手をこまねいていた訳ではない。
『まだ、希望はある』
綺麗に丸めた頭を撫でながら、天津地の主は自信を持って言い切った。
凪音も父の言葉の意味を正しく理解し、機を待ち続けている。
こそこそと囁き交わす家臣達の胡乱げな視線を浴びながらも、大股に廊下を歩き、滑り込むようにとある一室へ入って、布団で眠る大男の傍らに正座して、その顔を見つめる。
「ライル殿」
『闇樹』の前に倒れたあの日から眠り続ける、狩竜士の手を軽く握り、名前を呼ぶ。
「私は、いや、父上も信じている。きっとそなたがこの状況を打開してくれると」
ライルの顔は無精髭が再び濃くなり始め、その目はいまだ、開かれる事が無い。
辺り一面の暗闇の中、ライルは一人立ち尽くしていた。視線を下ろせば自分の手や足元はきちんと見えるのに、周囲を見渡しても、どこまでも真っ暗な空間が続いているばかりで、何も見えない。
自分はとうとう死んだのだろうか。だが、迎えに来ても良いはずの養父も姿を見せない。死後の世界とは、案外味気無いものだ。ぼんやりとそう考えた時。
『どあほ』
最早聴き慣れた高い声の罵倒が耳に入って、ライルははっと背後を振り向いた。
黒いワンピースは何も無かったはずの闇に沈み込む事無くきちんと見えて、薄桃色の髪と琥珀色の瞳は、この暗黒世界に灯った光のようにさえ思える。
『わらわが貴様の傷を治してやったじゃろうが。何を死んだ気になっておる。貴様、本当に脳筋ゴリラだの』
相変わらずの毒舌が、今はこんなにも安心できる。思わずへらっと笑いを洩らすと、相手の少女は『何を笑うておる。大丈夫か貴様?』と、眉間に縦皺を寄せた。
『まあよい。「闇樹」が眠りについている隙を突いて、貴様にこうして意識を飛ばしておる。手短に話すぞ』
少女――リルは、ふうっとひとつ息をつくと、いつも通り腕組みして偉そうに胸を張り、神妙な顔をして語り出した。
『わらわが貴様の傷を治してやった時に、わらわの力の欠片を、ほんっとうに少しだけだが貴様に注いでおいた。その影響で貴様の身体に負担をかけ、深い眠りにつかせたが、それがきちんと繋がりさえすれば、貴様でも「闇樹」の行方を追う事ができるだろう』
言われて、ライルは現実を思い出す。闇に落ちる前、『闇樹』にこてんこてんにされて、リルに傷を癒され、その後、猛烈な眠気に襲われて、事の次第を最後まで見届けられなかった事を。
『わらわは今、これ以上の事ができぬ状態に置かれておる。貴様に頼るしか無い』
『もう終わりじゃ』などと告げておいて、全く終わる気など無かったではないか。いつものライルなら、即行でそう突っ込みを入れていただろう。だが今、ライルの胸に溢れるのは、リルがまだ自分を頼りにしてくれている、という嬉しさと安心感である。
「任せておけよ」
どん、と拳を己の胸に当て、『敵無しのライル』に相応しい、自信に満ちた笑みをにやりと浮かばせる。
「絶対行くからな。それまでくたばらずに待ってろよ」
リルの琥珀色の瞳が真ん丸く見開かれ、それから、嬉しそうに細められる。
『その言葉、信じて待っておるぞ、我が
微笑んだその姿が闇に溶けて消えてゆく。後には小さな、親指の先大の白い光が残った。
絶望の中に灯った希望のごときそれに、ゆっくりと手を伸ばす。指先が触れた瞬間、光はさらにまばゆく輝いて、映し出される光景がある。
あの、いつも見る赤い夢だ。だが、あの夢には続きがあったのだ。
気が動転したまま竜に追いかけられて、すっ転び、すわ自分も化け物の餌かと諦めかけた、少年ライルと竜の間に、ぶわりと白い翼をはためかせて降り立つ、小柄な少女の影があったのだ。
彼女は、竜の鼻面に向けて拳一発を繰り出す。笑ってしまいそうなほど華奢な拳は、しかし、一撃で竜を吹っ飛ばし、竜は悲鳴のような咆哮をあげながら一目散に逃げ出した。
薄桃色の髪を翻しながら、彼女が振り返る。琥珀の瞳を細めて、にやりと笑いかけてみせる。
(ああ、何だよ)
まるで今の自分が乗り移ったかのように、少年の自分が、くしゃりと情けない笑いを浮かべる。
(お前に、助けられてたんじゃねえかよ)
そして夢は終わりを告げ。
世界が、開けた。
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