4-7
(暗いな)
体内時計は朝だと告げているが、わずかにしか差し込んで来ない朝の光を、訝しげに思いながらライルはのろのろと目覚め、そうして、唐突に現実に呼び戻されてがばりと起き上がった。
「貴様」部屋の隅で膝を抱えたリルが、じとりと半眼で睨んで来る。「この状況でよく眠れるな。いびきまでかいておったぞ」
言われて昨夜の経緯を思い返す。『
千草は
『やはり西方の人間は野蛮だ』『天津地を征服しようとする輩の尖兵だったのか』
「娘の選んだ婿殿だ、間違いは無かろう。だが、反省はしていただく」
と言う
慣れぬ格好をし、色んな話を聞いて、『闇樹』相手に最大限の緊張もしたので、疲れ切って、横になった途端にすっかり眠り込んでしまっていた。リルはさすがに睡眠を取るどころではなかったらしいが。
普段なら逆で、ライルがあれこれ思い悩んでいる内に、リルはぐーすかぴーひょろと寝息を立てていただろう。だが、『闇樹』との邂逅は、ライルの目に見える以上に、彼女に衝撃を与えていたらしい。暗いせいもあるだろうが、愛らしい顔に、すっかりかげりが差している。
ここを出たら『闇樹』を追うか、『
「ライル殿、リル殿」
座敷牢の外から名を呼ばれたかと思うと、がたん、とつっかえ棒が外される音がして、木戸が開く。姿を見せたのは、凪音だった。昨晩の姫衣装が幻だったかのように、いつもの戦装束に身を包んでいる。
「不自由を強いてすまなかった。ライル殿達が天津地の人間に危害を加えるつもりは無いと、父上や家臣達には重々申しておいた」
そう言いながら彼女は、持参した風呂敷の包みを解き、ライル達に向けて中身を差し出す。そこには、いつもの服が一式と、ライルの大剣があった。着替えろという事か。
「実は」凪音が声を低める。「千草殿が姿を消した」
その言葉にライルとリルは同時に眉をひそめた。ライルの腕力で引き倒された千草は、相当な衝撃を受けただろう。頭も打ったのだ、しばらくは安静にしていなくてはならない。大怪我を負ってもリルの助けですぐに治るライルとは、訳が違うのだ。
「千草殿は姉様を想っているのか、巫としての務め以外でも、屋敷を抜け出し、
「どういう馬鹿だ、あいつ」
いくら婚約者を偲びたいとはいえ、いくら竜の巫――代弁者を務めているとはいえ、伝説竜が棲む山へおいそれと向かう事は、『禍土』に食ってくださいと言っているような自殺行為だ。無謀に過ぎる。
だが、馬鹿だと思いつつも、狩竜士として、人間が竜の餌食になるのを放っておく訳にはいかない。あの赤い記憶の姉妹のようにはしたくない。
「仕方ねえ。追いかけるぞ」
凪音がほっと息をついて、「かたじけない」と深々とお辞儀をする。
着慣れた服を手にし、着替えようとしたところで、「あほたれ」と、小さいが馬力を込めた足に背中を蹴られて、ライルは「ぐぺえ」と潰れた蛙のごとき声をあげた。痛みをこらえながら振り返れば、フリルの黒ワンピースを手にしたリルが、猛禽類でも射殺せそうな眼力でこちらを睨んでいる。
「レディと同じ場所で着替えるつもりか。気を遣え、このどあほ」
昨夜のどこか頼り無い物憂げな雰囲気はどこへやら、すっかり不遜さを取り戻した琥珀色の瞳に気圧され、ライルはすごすごと座敷牢を出て、木戸を閉める。出会った当初は平然と目の前で着替えていたり、混浴までしていたくせに、今更何なのだ。こきこき首を鳴らしながら傾げ、そして。
「あー……」
正座をしたまま、きょとんとこちらを見上げる凪音に、苦笑いを見せた。
「とりあえず、向こう向いててもらっていいか?」
理解した凪音の頬が、たちまち紅潮し、
「わ、わかり申した!」
裏返った声で答えると、くるりと背を向ける。もっとも、名目上将来を誓い合って、事実裸も見てしまったのだから、今更か、と思いながらも、ライルは着物を脱ぎ捨て、いつもの格好に着替える。
大剣を背に負って、顎を撫でれば、一晩で伸びてしまった不精髭がざらりと触れたが、色男のままよりはいいか、と納得した頃、襖が開いて、こちらも元の姿に戻ったリルが姿を現した。
「行くぞ」
相変わらず指揮権を持つのは自分だとばかり、腕組みして、竜の少女は高らかに宣言する。
「『禍土』を討つ。天津地の人間に恨まれようと、『闇樹』を倒してわらわの力を完全に取り戻すための布石じゃ。容赦はせぬ」
その言葉に、ライルも、凪音も、深く頷き返すのであった。
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