4-2

 天部あまのべの屋敷は、人々の格好と同じく、西側の国々では見られない造りをしていた。入口で靴を脱がされ、一枚一枚木目の違う板が張られた廊下を進む。扉の代わりに開いてゆくは、木枠に和紙を貼った、襖という間仕切り。

 それを幾つも抜けた先に、広い部屋が待ち受けていた。これが西方の王城で言う謁見の間なのだろう。両脇に天津地あまつちの重臣達が控え、奥は一段高くなっており、赤い座布団が敷かれた上に、一人の男があぐらをかいて座している。歳の頃は、四十代半ばと見える。恐らく彼が、盟主の轟也ごうやだろう。

 ライルもゴリラばりの体格をしているが、この男も負けず劣らず大柄だ。筋肉質の太い腕を着物からのぞかせ、額から右頬にかけて大きな刀傷がある。そんな傷があっても、若い頃は相当な美男子であった面影を残している。

 そして頭は、見事なまでのスキンヘッド。毎朝磨き上げているのかとばかりにツルッツルで、形も整っていた。

「ただいま戻りました、父上」

 轟也の前に凪音なぎねがすっと進み出て、両膝を揃えて座り、深々と低頭する。ライルも慌てて見よう見まねで慣れない正座をして、軽く頭を下げた。横目でちらと見れば、リルは腕組みして立ったまま、轟也をじっと見据えているが。

 天下の『真白まつくも』が人間ごときにひざまずきたくなど無いのだろう。だが、見た目リルは幼い少女で、相手は一国の君主だ。傍目からはとんでもない無礼に映る。ひやひやとしながら、ちらを目線を上げて、轟也の反応をうかがう。

 轟也は歳取って尚端正な顔を険しくして、凪音をじっと見つめていた。

 のだが。

 その顔が唐突にへらっとした笑いに崩れたかと思うと。

「なっぎねちゃあああああん!!」

 猿が飛び上がるような勢いで席を立ち、ばたばたと段差を駆け降りて、太い腕で凪音をがっちりホールドすると、ぐりぐりと娘の頭を撫で回し始めたのである。

「もう、凪音ちゃんがいなくて、お父さんとっても寂しかったんだよおおお! ちゃんとご飯食べてるかな、とか、ちゃんとお布団で寝てるかな、とか、生水飲んでお腹壊してないかな、とかあああ!」

 がらがらがらと。

 ライルの中で構築されていた、東国の厳格な君主のイメージが、素晴らしき崩壊音を立てて壊れてゆく。

「凪音ちゃんお人好しだから、悪い奴らに騙されてないかって、そんな奴がいたら、お父さんが直々にロワの彼方にブッ飛ばしに出向いちゃおうとか、ずーっとずーーーっと心配したんだからあああ!」

 ただの子煩悩にしては物騒な台詞を吐きながら、轟也は凪音をかいぐりかいぐり撫でまくる。ライルは思わず頭を下げる事も忘れてぽかんとしてしまったのだが、周りの重臣達が全く笑いも動揺も見せない事から、これがこの父娘の普段の姿なのだろう。

「ち、父上、落ち着いてください。それよりも」

 轟也に抱き締められてもがいていた凪音が、なんとかその腕を振りほどいて、拳三つ分ほど距離を取ると、ようやっとライルを振り返る。

「お喜びください。竜を倒せる優秀な戦士を、お連れしてまいりました」

 その途端。

 ぎろっ、と、限界までおっぴろげた轟也の目が、ライルに向いた。

 じろじろとライルのもじゃもじゃ頭から偏平足な爪先までを見つめ、

「……何だと?」

 先程までの親馬鹿と同一人物とは思えない、呪詛でも吐きそうなほど低い声が、形の良い唇を歪めて零れ落ちる。

「凪音、こんな薄汚い西方人に、何をほだされた?」

「ライル殿は薄汚くなどありませぬ! たしかに見た目はやや粗雑ではありますが、優秀な狩竜士かりゅうどであります!」

 ああ、やっぱりがさつっぽいって思ってたのか。脱力しかけたライルの身体は、次の瞬間、「それに!」と凪音が続けた言葉で、ガチッと硬直する羽目になった。

「ライル殿は、私と将来を誓った仲なのです!」

 この場ごと北の極みに移動したのではないかとばかりに、周囲の温度が急速に下がった気がした。「凪音様が」「まことか」それまで沈黙を保っていた家臣達もが、ひそひそと囁き交わす。

 轟也はライルと凪音を交互に見やり、

「……ほんまに?」

 と君主にあるまじき言葉遣いで呆然と洩らす。

「凪音ちゃんがそう言うって事は、誓いの口づけとか」

「いただきました! それはもう濃厚なものを!」

 父親の問いに、凪音は胸を張って答える。

(やめろやめろまじやめろ)

 ライルは割って入って制止したいが、完全に固まった身体は言う事を聞かず、口の中で舌は膨れ上がった気分で、腕だけがぎちぎちと変な上下を繰り返すばかり。

「じゃあ、裸のお付き合いなんて」

「しました!」凪音の爆弾発言が再度発射される。「それはもうご立派なライル殿の身体を拝見しました!」

 ちゅどーんちゅどーんちゅどーん!! と。

 かつて旧世界を破壊し尽くしたという危険極まりない爆弾が、三連発で脳内に投下されたかのようだ。ライルの思考は完全に停止し、それから、やっと動き始めたと思えばあらぬ方向へ暴走を始める。

 これは何だ。凪音は一体何を思ってこんな赤裸々発言を暴露したのか。第一口づけを交わしたのも裸を見たのも、完全な事故だ。そしてそもそもの原因は。

「ほほう、ナギネはこやつに惚れ込んでしもうたか。これはまた愉快な展開になって来たの」

 と、隣で腕組みしころころ笑っている、外見だけ可憐で中身は性悪な伝説竜『真白』――リルだ。

「もっ、元をただせばお前があああ……アヘッ!?」

 ぐぎぎぎ、と、いつもの筋肉痛でもないのに強張っている首の筋を叱咤して幼女の方を振り向こうとした時、いきなりぐわしと胸倉をつかまれて、ライルは変な声をあげてしまった。気づけば、血走った目をしたスキンヘッドのおっさんの顔が至近距離にある。轟也だ。

「貴様」

 地獄の悪魔も尻に帆かけて逃げ出しそうな、威圧感を込めた声で、問い詰められる。

「本当にうちの娘と将来を誓い合ったのか?」

 伊達に東国の主ではない。若い頃は凄腕の戦士であったのだろう、ライルの平時並の腕力で、轟也はぎりぎりとライルの胸倉を締め上げてくる。

 ぱくぱくと口を開閉しながら凪音の方を見やれば、彼女は父親の背後から、済まなそうに両手を合わせて何度も軽く頭を下げている。『話を上手く運ぶ為に口裏を合わせてくれ』という意思表示だろう。仕方無くライルは、こくこくと首を縦に振った。

 轟也の目が更に真ん丸く見開かれ、ぶるぶると全身が震え出す。

 ああこれは、「お嬢さんをお嫁にください」と挨拶に行ったら父親にブン殴られるという伝統芸が繰り広げられるか。これが嫌だから女性と距離を取っていたのに、この男相手では歯の二、三本とはお別れか、と、半ば諦めてふっと両肩の力を抜いた時。

 ぶわり、と轟也の両目から水分が溢れ出し、滝のように頬を流れ落ちたかと思うと、

「うおおおおおおおん!!」

 いきなりがばりとおっさんに抱き締められて、ライルは本日何度目かわからない驚きにとらわれる羽目になった。

「西方の人間だろうが、ちょいと薄汚かろうが、儂と大して歳が変わらなかろうが構わん! お転婆すぎて行き遅れるんじゃないかってずーっと心配だった凪音ちゃんにお婿さん候補ができた事が、お父さん嬉しい!!」

 ライルにも凪音にも、あんまりな言いようだが、どうやら半殺しに遭うような事態だけは回避できたらしい。だが何だか、不本意な方向へ話が転がり始めているような気がする。

「皆の衆、宴じゃ! 今夜は凪音ちゃんの婚約を祝って宴じゃ!」

 ライルから腕を解いた轟也が、ぱん、ぱん、と大きな音で両手を打ち合わせ、太い声を響かせた。

「宴」とリルが舌なめずりをする。「東国の料理が堪能できるかの」

「勿論だ。我が凪音ちゃんの婚約者の連れならば、存分にもてなそう」

 さっきまで険しかった顔をすっかり緩ませて、轟也はリルの言葉に何度もうなずく。そもそもライルの年頃の男がリルの外見の幼女を連れているのが、怪しい事極まりないのに、「娘が婚約者を連れて来た」にすっかり気を取られた轟也は、そこを問い詰める事さえ頭からすっぽ抜けているようだ。

「さあさあ、そうと決まれば、客人達には相応の格好をしていただこう」

 轟也が再度手を叩くと、どこからともなくさーっと現れた女性達が、ライルとリルを取り囲み、土埃まみれの上着を脱がせ始める。

「特に婿殿は磨けば光りそうだ。存分に身なりを整えてくれ」

 磨けば光るのは自覚しているので、色々と面倒くさいからやりたくなかったのだ。そう反駁する余地も最早無さそうだ。ライルは、リルと出会ってからもう何十度目になったかわからない溜息をつきながら、女達にずるずると連れられて行った。

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