4-3
そんな宴の席の、轟也の左隣に座する
「凪音様ったら、素敵な殿方を見つけて来られたわねえ」
「
食事を運ぶ女中達が、こちらをちらちら見ながら囁き交わしている。ふっと顔を向けると、彼女達は顔を赤くし、きゃーっと高い歓声をあげながら蜘蛛の子を散らすように大広間を出て行った。
久しぶりに顔で騒がれたな、と思いつつ両脇を見やる。右側に座する凪音は、少年にすら見える戦装束を脱ぎ捨て、桜柄の萌葱色をした衣に身を包み、肩まである黒髪を軽くまとめて、やはり桜の花が象られた簪を挿している。紅をのせた唇は艶々と色っぽく、いつもの凛々しさは鳴りを潜め、本当に彼女が姫なのだな、という事実を感じさせて、心臓が変な騒ぎ方を始める。
動揺を悟られないように慌てて左側を向く。と、今度は一寸金花咲き乱れる赤い着物を羽織ったリルの姿が視界に飛び込んで来た。薄桃色の髪を盛るように結って、白い寒椿の簪で留めている。楚々として正座し茶をすするその姿からは、普段の不遜な竜が想像できなくて、これまた心臓がばっくんばっくんと暴れ出した。
(いや待て何両手に花の気分になってるんだ俺。相手は半分以上年下のお子様と数十倍年上のババアだぞ。静まれ心臓静まれ)
両者に聞こえていたら、『子供ではない!』『ババア呼ばわりとは
小麦を練ったパンではなく米を炊き、あげと豆腐とネギの味噌汁が湯気を立てている。小豆を閉じ込めた色寒天と、山菜の浅漬けが小鉢に盛られ、湯葉のお造り、海老しゅうまいといった西方では馴染みの無いおかずが続き、主菜は川で獲れたという鮎の塩焼き。酒を注ぐお猪口がライルの膳にだけ載っていて、両脇の女性陣には無い事から、幼女に見えるリルはともかく、凪音はやはり天津地でも成人には達していないのだろう。
「まあまあ、呑みたまえ、婿殿」
すっかり出来上がって赤ら顔の轟也がライルの前にやって来て、徳利とやらを差し出す。ここはエールを注いでもらう時と同じ対応をすれば良いのだろうか。ライルが戸惑い気味にお猪口を手にして差し出し軽く頭を下げると、とぷとぷと、酒精の香り豊かな透明の液体が注がれた。
「ま、ぐーっといけ。ぐーっと!」
轟也が笑いながら仰いでみせるので、それに倣ってお猪口を傾け一気にあおる。かなりアルコール度数が高いのだろう、熱が喉を通り過ぎ、かーっと顔が熱くなった。
「はっはっは、いい呑みっぷりだ!」
轟也が豪快に笑い、「ささ、もう一杯。なあに、儂の酒が呑めぬという事はあるまいな?」と徳利をずいっと押し付けて来る。
「父上、ライル殿は天津地の酒に慣れておりません。無理強いは良くありませぬ」
「西側には、セクハラ、パワハラ、モラハラ、マタハラと並んで、アルハラという立派な嫌がらせも存在するぞ」
凪音が横からたしなめると、リルも珍しくしれっと援護弾を打つ。少女ふたりに叱られた轟也は、しょんぼりと肩を落とし、徳利を畳の上に置くと、
「だ、だって、朱音がいなくなってから、一人で酒を呑むしか無くて、お父さん寂しかったんだもん。凪音ちゃんが酒の呑める婿殿を連れて来てくれて、嬉しかったんだもん……」
と、畳にのの字を書き始めた。完全にはた迷惑な酔っ払いである。が、ライルとリルは、轟也の台詞にひっかかりを覚えて、眉をひそめた。
「朱音?」「いなくなった?」
途端、賑やかだった宴会場に、しん、と沈黙が舞い降りる。丁度楽器の演奏が終わったタイミングだったので、完全に音が消えた。その中で、誰もが痛ましげな視線をちらちらと送る人物がいる事に気づいて、そちらに目を転じる。
上座近くに座っている、二十歳ほどだろう小柄な青年だった。顔つきが年相応でなければ、そして膳にお猪口が載っていなければ、未成年者だと信じ切っていたに違いない。
「すまぬ、千草」
一瞬で素に戻った轟也が、その禿頭を深々と下げると、千草と呼ばれた青年は、黒髪を揺らして「いえ」と首を横に振った。
「朱音の事は、『
『禍土』
青年の口から飛び出した伝説竜の名に、ライルとリルは同時に表情を硬くし、凪音がびくりと肩をすくめるのがわかった。やはり天津地と『禍土』は、切り離せぬ関係にあったのだ。
それにしても、だ。『禍土』を「様」付けで呼ぶ青年。もういない朱音という女性。これは穏やかではない話が出て来そうだ。ライルが千草に問いかけようと口を開きかけた時。
「ライル殿」
凪音が隣から着物の袖を引っ張り、鋭く囁いた。
「中座いたそう。外で話を」
「お、おう」
黒の瞳があまりにも頼り無げに曇っている事に不安を覚えながらも、かくかくうなずく。
「父上、ライル殿は慣れぬ酒に酔われたご様子。少々共に席を外します」
「えー……って、はいすみませんわかりました」
物足りなさそうに子供っぽく唇を尖らせた轟也は、凪音にじろっと睨まれ、しゅんと肩をすくめて再びのの字を書き始める。
「ライル殿、行こう」
凪音はライルの手を取り立たせて、周囲に頭を下げると、早足に宴会場を出てゆく。
琥珀色の瞳が、明らかな不機嫌を含んで二人を見ていた事に、気づきもせずに。
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