第三節

「分別とかしなくていいのかな?」

「良くはないだろうけど、仕方ないじゃん」

「人は、そうやって地球を汚すんだね……」

 彼は大げさな発言をすると、ゴミ箱に二個の空き缶を投入した。中身が無かったので、弾んだりぶつかったりしてリズミカルな音を奏でた。

「あー、まだ口が甘いよぉ……逆に喉が渇いちゃった」

 彼は咳払いしつつ、来た道を引き返す。

「こらこら、どこ行くの。こっちこっち」

 だが、彼女にまたマフラーを引っ張られ、逆方向に連行された。

「ちょっ、もう! 首が締まるから!」

 彼は急いで距離を詰め、彼女の手を軽く叩いてマフラーの端っこを取り返した。

「あー、いたーい、暴力はんたーい、もうお嫁にいけなーい」

 彼女はわざとらしく手を押さえ、大げさに痛がった。

「理不尽だ!」

 彼は締まっていたマフラーを一度解き、軽めに巻き直した。

「……で、どこに行くの? 帰らないの?」

「久しぶりなんだから、もうちょっと付き合えよー。おしるこ奢ってあげたじゃんか」

「チャラにさせられたどころか、恩を着せられてるし!」

「あそこのベンチに座ろうぜぇ~」

 聞く耳を持たない彼女に腕を掴まれて、向こうに見えるベンチまで引っ張られた。


 寒空の下、子供たちが遊具やその周りで遊んでいて、その母親と思われる女性陣が少し離れたところから見守っている。散歩をしている老夫婦や、公園の清掃をしている作業員などの姿も見られる。

 二人が腰を下ろしたベンチからは、そういった公園らしい景色がうかがえた。

「……寒い」

 つまりは見晴らしが良いわけだが、それは周りに景色を阻害するものが無いということで非常に風通しがよく、じっとしていると身体が芯から冷えてしまう。

 せっかく甘ったるいおしるこを飲み干して身体を温めたのに、その熱がどんどん失われてしまう。

「……ねぇ、なんでここに座んの? まさか、子供を眺めるためとか……?」

 目的がわからず、戸惑う彼。貧乏揺すりをするなどして身体を動かしつつ、隣に座っている彼女の顔を覗きこむ。

「いやぁ、そのぉ、実はさぁ、折り入って相談がありましてね……」

 すると、彼女は気まずそうな表情を浮かべていた。それでいて恥ずかしそうでもあり、今までとは様子が違う。

「相談?」

「うん、相談」

「それ、ここじゃなきゃダメなの? 家でもいいんじゃ……?」

「だ、だってぇ、うちもそうだけどさぁ、アンタんとこも必ず誰かがいるじゃんか。おばさまとか。聞かれたら恥ずかしいし……」

 手が冷たいのか、それとも手持ち無沙汰なのか、両手を股の間に挟んでしきりにモジモジしている。どうも落ち着きが無い。

「……相談ってなに? お金を貸すのは無理だよ、貸せるほど持ってないし」

「金とちゃうわ! なんでやねん!」

「なんで関西弁!?」

「なんとなくや!」

「またなんとなくか! ってか、もう早く本題入ってよぉ! 寒いんですけど!」

「急かさないでよ! ちょっと言いにくいことなんだから! けっこう恥ずかしいの!」

「恥ずかしいことなの……? えっ、ちょっ、俺は男だし、女の人の身体のこととか相談されても!」

「バッ、バカ! 違うから! もう黙れ!」

 独り狼狽える彼に苛立ち、彼女は弾けるように席を立った。正面に移動して手を伸ばし、彼の口を強引に塞いだ。

「ふむぐっ!?」

「うるさい! いいから聞きなさい! ……こっ、この間ね、クラスメイトの男子が……そっ、その、告ってきたのよ」

 彼女の頬が、ほんのりと紅潮した。

「!?」

 彼はひどく驚いて、目を丸くした。

 しばらくすると彼女が手をどかし、恥ずかしそうにしながら席へ戻った。前かがみになり、両手を揉み合わせるなどして、またモジモジし始める。

「……それって、告白ってこと、だよね?」

「う、うん……好きだって、付き合ってほしいって言われた……」

 彼女の顔が赤みを増し、声がそれまでの力強さを失くした。

 その一方で彼は、言葉を失くしたように押し黙った。

 二人の間に気まずい沈黙が訪れる。乾いた風の音や、子供たちの楽しそうな声だけが聞こえ、自分の心臓の鼓動がうるさく感じられた。

「……で?」

 先に沈黙を打破したのは、彼だった。

 内心、どうしたものかと悩んでいた彼女は、ドキッとした反面、ホッともした。

「でっ、でね、どうしたらいいのかなぁって思って……!」

 彼女は慌てて喋りだした。

「どうしたらって?」

「だから、返事とかさ……初めてのことだから、よくわかんなくて」

「俺にもわかんないよ、そんなの……断わるの? それとも、付き合う?」

「うーんと、断る理由は……無い、かな」

「……ふーん。じゃあ、付き合うんだ?」

「うん、多分……」

「ふーん……」

「それでさぁ、返事ってどんな風にしたらいいかな? よろしくお願いします……とか? なんか変じゃない? あと、面と向かって言うべきなの? それとも電話? メール? どっ、どうすればいいと思う!?」

 彼女は独りで興奮し、焦り、狼狽えた。とにかく答えを欲し、助けや教えを乞うように、彼の顔を覗きこむ。すると彼は、何故か無表情で、あらぬ方向を見つめていた。

「……え、どうしたの? ……怒ってる?」

 その表情から怒りが感じられたので、恐る恐る問いかけた。すると彼は目を合わそうともせず、「チィッ!」と荒々しい舌打ちをした。

「えっ!? なっ、なに? なんで……?」

 不機嫌なのは明らかだった。だがその理由がわからず、困惑してしまう。

「ちょっと、どうしたの?」

 理由が知りたくて肩に触れようとすると、彼は逃げるように席を立った。

「もう帰る」

 カバンを引っ掴み、振り返りもせずに歩きだす。急いでいるのか一歩が大きく、あっという間に遠ざかる。

「ちょっ、ちょっと待ってよ! 待ちなさい!」

 彼女は慌てて追いかけ、腕を掴んで強引に引き留めた。

「なんなのよいきなり! 急にどうしたの? なんで怒ってんの?」

 問い詰めても彼は返事をせず、振り向いてもくれない。それどころか、掴んだ手を振りほどこうとする。これには彼女も苛立って、よりいっそうの力を込めた。

「なによっ! あっ、もしかしてあれ!? 私だけ彼氏が出来るからって妬いてるんじゃないの!?」

 彼の態度に腹が立って、衝動的に意地悪な発言をしてしまった。

 しまった、余計なことを言った。

 彼女はすぐに悔やんだが、もはや後には引けず。今の発言に対して、彼がどのような反応を見せるのか、それを待つしかなかった。

「なんで……なんで、だよ……」

 そのとき、光るものがすっと地面に落ちた。目で追うと、彼の足元に一点だけ色の違うところがあるのを見つけた。

 始めは雨粒でも落ちたのかと思ったが、濡れているのはその一点だけで、すぐに違うと気づいた。それで、もしかしたらと思って彼の正面に回りこんでみれば、予想は的中した。やはりそれは雨じゃなく、彼の眼からこぼれ落ちた一滴の涙だった。

「なんでだよぉ……なんで、俺にそんな相談するんだよぉ……」

 彼は必死に堪えていた。堪えようとしていた。けれど、どうしても抑え切れず、一滴、一滴と、次々に溢れだしてしまう。

 人目もはばからず落涙する彼の姿を目の当たりにし、彼女は言葉を失くした。考えているのだ、涙の意味を。

 答えはすぐに思いついた。

「え……は? えっ、ちょっとなに!? まさか、そうだったのっ!?」

 その途端、顔を真っ赤にした。一方の彼も、胸に秘めていた想いを覚られたと知り、負けないくらいに赤面する。

「嘘でしょ!? なんで!? そんなそぶり、一度も見せたこと無かったじゃん!」

 追求を受けると、彼は再び抵抗を始めた。居ても立っても居られず、とにかくこの場から逃げだしたかったのだ。しかし、彼女がそれを許してくれない。

「女の子の好みだってそうじゃん! 私とは真逆みたいなこと言ってたのに、あれは嘘だったの!?」

「あっ、あれは……気づかれたら恥ずかしいし、気まずくなるし……だから……」

 彼はその場にカバンを捨てると、コートの袖で涙をぬぐった。

「……いつからよ?」

「え……よ、四年のとき、ぐらいから」

「四年……? あー、そういえば、あのときぐらいからスキンシップが減った気がする。それまではよく、お姉ちゃんって言って抱きついてきてたのに、急にしなくなったよね。あー、そういうことかぁ」

 思い当たる節がいくつもあり、彼女は大いに納得した。

「もういいでしょ! 離してよ!」

 彼はまた手を振り解こうとする。

「なんでよ! 話はまだ終わってないでしょうが!」

 逃がしてたまるものかと、彼女もカバンを捨て、両手で腕を掴む。

「もうっ! 離せぇー! 離せよぉー!」

「なによ! 恥ずかしいのはアンタだけじゃないんだからね! 私だってすっごく恥ずかしいんだから!」

 こうなったら意地だと、二人は綱引きのように腕を引っ張り合った。

 そんな二人の激しいやりとりに、周りにいる子供たちやそのお母さん方、老夫婦や清掃員といった人々もさすがに気づき、こっそりと様子をうかがっていた。子供たちは傍観しているだけだが、大人たちは状況を察し、これからどうなるんだろうとドキドキしながら見物していた。

「さすが男ね! ずいぶん力が強くなったじゃん! でも、まだまだ!」

「なっ、なんで離してくれないんだよぉ……!」

 二歳年上とはいえ、女性に力で負けた現実に打ちのめされて、すっかり心が萎えた彼。踏ん張りが弱くなったのを察した彼女はここぞとばかりに全力を注ぎ、彼をベンチにまで引きずり戻した。

「ほら、座んなさい! 座る! お座りっ!」

 彼女はベンチを指差し、命じた。疲れと心の萎えで、抵抗する気力をとうに失っている彼は、素直に従った。

「ねぇ、言わなきゃいけないこと、あるよね?」

 彼が腰を下ろすや否や、彼女は正面に移動し、仁王立ちになる。

「い、言わなきゃいけないこと……?」

「アンタの気持ち、ちゃんと言葉にしてくれないと、わかんない」

「こっ、ここで言えと……!?」

 彼はハッとし、周囲を見回した。すると、お母さん方や老夫婦、清掃員など、見物していた人々が、一斉に視線を逸らした。

「しっ、死ぬ! 恥ずかしくて死ぬぅっ!」

 観られていると気づいた彼は、勘弁してくれと激しくかぶりを振る。

「ほー。じゃあ、どっちかの家に帰って、親の目の前で言うってのはどう? そっちのほうがキツイと思うけどなー」

 彼女は口端を吊り上げて、ニンマリと笑った。彼はその状況を想像し、絶句。

「流れを考えたら、今のほうがいいと思う。興奮が冷める前に、勢いで言っちゃったほうがいいと思う! そのほうがいいと思うっ‼」

 彼女はズンズンと距離を詰め、彼の揃えられた両膝を自分の両足でがっちり挟み込んだ。そして腕を組み、ずずいと顔を近づけた。

 迫力も然ることながら、想いを寄せる人物の顔が目の前に迫ったため、彼はもう一杯一杯。完全に追い詰められていた。その顔はもう耳まで真っ赤で、熱でもありそうだ。

 恥ずかしさがピークに達したのだろう、エサを求める鯉のように、口をパクパクさせている。正確には“恋”なわけだが。

 とっくに限界を迎えている彼。その情けないとしか思えぬ姿を前にし、彼女は幻滅とも取れる表情を浮かべた。

「……じゃあ、ずっと、お姉ちゃんのままで、いいってこと……?」

 彼女は視線を落とし、どこか淋しそうに呟いた。落胆したような表情に、儚げに思える眼差しを浮かべている。

 そんな彼女の様子に気づいた途端、彼は目の色を変えた。

「いっ、嫌だ! よくない!」

 彼女はハッとして顔を上げた。すると彼は、その目をまっすぐに見つめ返し、ごくりと息を飲んだ。

「ず、ずず、ずっ、ずっと……ずっと好きでした! 弟以上になりたかった! 本当は、いつも一緒にいたかった! 恋人になれたらって、ずっと思ってた!」

 拙いながらも、本心。

 胸に秘めた思いの丈を、喉の奥から――胸の奥底から搾りだした。

「こっ、恋人……?」

 告白を真正面で受け止めた彼女もまた、発熱したように顔を真っ赤に染めあげて、口をパクパクさせた。その様子を黙って見つめていた彼だが、何を思ったのか、運動不足で鈍った腹筋を使って上体を前に逸らし、その顔や尖らせた唇を、彼女の顔に近づけた。

「それはまだ早い!」

 唇と唇が触れる――というそのとき、彼女がすかさず上体を起こして、彼の額にデコピンをお見舞いした。バチンといい音がする、痛烈な一撃だった。

「いってぇーっ!」

「マセガキ! 勢いで唇まで奪おうとすんじゃないわよ! ここから先はね、シチュエーションというものが必要なの! わかる?」

 勢い任せのキスが失敗に終わると、周囲の見物人たちから大きな溜め息が漏れた。

「……でもまぁ、最初としてはいいんじゃない。いいスタートダッシュって感じ」

 彼女は微笑むと、いつぞやのように彼の頭を撫でた。

「え、それって……?」

「ハァーア、困ったなぁ、二人にも告白されちゃったよぉ。先客のほうはどうお断わりしようかねぇ。もういっそ、好きな人がいるって素直に言っちゃおうかな」

「す、好きな……」

 嬉しそうな彼女からの目配せを受け、彼は両手で顔を覆い隠した。恥ずかしさが限界を超えたのだ。

「アンタは乙女か! ――ほら、もう帰るわよ」

 彼の腕を掴み、後ろに下がるついでに強引に立たせた。そしてすかさず彼の手を取り、また強引にすべての指を絡ませた。いわゆる“恋人繋ぎ”をしたのだ。

「うわ、あっつー。アンタ、熱でもあるんじゃないの? 知恵熱とか? あ、でも、あったかいし、ちょうどいいか」

 彼女は満足そうで、ついでに意地悪そうにニヤニヤしているが、一方の彼は完全にのぼせ上がっていて、左右にも揺れており、今にも倒れそうだった。

「じゃあ、帰ろっか」

 彼女が問いかけるでもなくそう言うと、彼はこくりと頷き、早足で歩きだした。

「ちょっと、早いってば! 私にペースを合わせなさい!」

 一刻も早く公園を出たくて、とにかく急ごうとする。彼女はそんな彼を抑制し、強引に自分のペースに合わせた。

 感動と満足と安堵の溜め息をこぼす見物人たちに見送られて、二人は公園を後にした。

 その後、お母さん方が色めき立ったのは、言うまでもない。

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