セーブクリスタル 第12話


 朝を迎え、わたしたちは三人でチェリモファームに向かった。牧場主のおじさんに見物料の三十リアンを支払い、ハバニールの野菜を購入する。放牧スペースに入れてもらい、黒チェリモがいるところまで、おじさんに案内してもらう。すると昨日と同様に、黒チェリモが他のチェリモ数匹に囲まれて蹴られていた。黒チェリモもやり返そうとするが、他のチェリモに横から蹴られて倒される。おじさんが笛を吹くと、倒れた黒チェリモ以外のチェリモたちは、三々五々遁走した。みんなで黒チェリモを助け起こすと、おじさんは仕事に戻っていった。

「黒いチェリモ! 本当にいるんだ!」

 いじめられていた黒チェリモの体を、お母さんが労るように撫でると、黒チェリモは「キエ」と小さく鳴く。そして黒チェリモは、昨日と同じ斜面に移動し、頂上から駆け下りての飛ぶ練習を始めた。その姿からは、飛びたいという強い意志が伝わってくる。おそらく毎日あんな風に、体の色が違うという理由でバカにされていじめられてるんだろうに、この子はそれでも飛ぶ努力を続けている。学校に行けなくなったわたしと違って、この子もお父さんみたいに強いんだ。

「飛ぶ意志は充分みたいね」

 お母さんが腰のポーチの中からデッドペッパーを取り出す。わたしがさっきおじさんから買ったハバニールの野菜の上に、お母さんがデッドペッパーを大量にふりかける。昨日デッドペッパーをかけた料理を食べ、その辛さを身をもって知ったわたしは、こんなの黒チェリモは嫌がって食べないんじゃないかと心配になる。

 ちょうど斜面を降りてきた黒チェリモに駆け寄り、わたしは恐る恐るデッドペッパーをふりかけたハバニールの野菜を、黒チェリモの近くの草地に置いた。黒チェリモは嬉々として躊躇なく食らいつき、一口で平らげた。次の瞬間、黒チェリモは嘴を空に向け、

「キエ――――!!!」

 絶叫を迸らせて跳び上がった。そしてそのまま翼を激しくばたつかせ、上昇していく。

「「「飛んだ!」」」

 ある程度上昇すると、黒チェリモは翼を優雅に羽ばたかせ、大空を飛翔した。「キエー!」という上空からの鳴き声に、他のチェリモたちが空を仰ぐ。空を舞う黒チェリモの姿を瞳に捉えた地上のチェリモたちは「キエッ! キエッ!」と鳴きながら、自身の翼をバタつかせた。

「こりゃたまげた! 伝説は本当だっただな!」

 仕事をほっぽり出し、がに股で駆けつけたおじさんが、口をぽかーんと開けて空を仰ぐ。ファームの上空を気持ちよさそうに旋回していた黒チェリモが、わたしたちの傍に降下してくる。地上から見上げていた他のチェリモたちが集まってきて、黒チェリモの周りを囲み「キエ! キエ!」と翼をパタパタ広げてジャンプする。どうやら称賛しているらしい。空を飛ぶ黒チェリモの伝説では、空を飛んで見せた黒チェリモに対し、他のチェリモたちが頭を垂れるのだけれど、伝説と現実は少し違うみたいだった。さっきまで自分をいじめていたチェリモたちが、手の平を返した態度を取ることに対し、黒チェリモは別段怒ったり、自分だけ飛べることで威張り散らしたりしなかった。むしろみんなが自分を受け入れてくれたことを喜んでいるように見える。

 黒チェリモがチェリモの輪の中から抜け出てくる。野菜をあげたのがわたしだからだろうか。黒チェリモはわたしに歩み寄ってきた。

「やったね飛べたじゃない! 嘘じゃなかったんだね! すごいすごい!」

 頬擦りしてきた黒チェリモの頭を撫でてやると、黒チェリモがその場にしゃがみ込む。そして「キエ!」と一声鳴いた。わたしには背中に乗れと言ってるように聞こえた。お父さんを振り返る。

「アセビ、わたし今から飛んでくるからさ、わたしが飛ぶとこ、スコートカメラで撮影しといてよね」

「まかせて」

 少し怖かったけど、わたしは黒チェリモの背に跨る。

「キエェ――!」

 黒チェリモがジャンプしながら羽ばたく。みるみる高度が上昇する。

「きゃあああ!」

 わたしは怖くて黒チェリモの首に両手を回してしがみつく。地上にいるお父さんたちの姿が、米粒みたいに小さくなっていく。視界を前向けたわたしは目を瞠った。

「わあ! すごい!」

 今までに見たことのない景色が広がっていた。わたしは首をめぐらせる。視界の中に、いくつもの町や村があった。町の奥に村があり、そのまた奥には別の村の姿が確認できる。大きなお城も見て取れる。遠くにある山の山肌は、なんだか薄ぼんやりとして見える。山の稜線の向こう側に高原が広がり、盆地も見える。遥か遠くに望むるは、噂に聞く海だろうか。想像していたよりずっと茫漠だ。あんな大きな水溜りがあったなんて知らなかったから驚愕する。

 視界斜め下方に、昨日わたしたちが一泊した町があった。その中に学校の姿を見つける。ここから見下ろすと、もうミニチュアにしか見えなかった。充分広くて大きいと思っていたけれど、学校ってあんなに小さかったんだ! 世界ってこんなに広かったんだ! 眼前に広がる雄大な景色を眺めていると、学校でのわたしの悩みなんて、酷く小さいことのように思えた。

「キエ!」と鳴いた黒チェリモが、大空を自由に飛行し始める。風が全身を叩き、目を開けているのが辛くなる。でも視界に収まる光景が斜めに傾いたり、目まぐるしく移り変わる体験は、とても楽しいものだった。わたしは今日初めて空を飛んだ。世界にはまだまだわたしの知らないことがたくさんあるんだと知った。ひとしきり遊覧飛行を楽しむと、黒チェリモはお父さんたちの近くの草地に降り立った。わたしはしゃがんでくれた黒チェリモの背から降りる。すると黒チェリモはすぐに「キエーッ!」と鳴いて、再び空に飛び立った。黒いチェリモの姿が小さくなっていき、やがて見えなくなっていく。黒チェリモはどこかに飛んで行ってしまった。伝説では、チェリモたちの幻の楽園、チェリモの桃源郷という場所が、この空のどこかに浮かんでいて、飛べるようになった黒チェリモは、チェリモの桃源郷を探す旅に出るところで伝説は終わる。今飛んで行った黒チェリモも、チェリモの桃源郷を探す旅に出たのだろうか。黒チェリモを飛べるようにしてしまったことで、このファームから飛んで逃げてしまったことを、わたしたちは牧場主のおじさんに謝った。

「顔さ上げてくれ。空を飛ぶかもしれねえ黒チェリモの見物料として、あんたらは三十リアン払ってくれただ。だから謝らねくていいべさ。逃がしたのはおらの責任だで」

 おじさんが許してくれて、わたしたちはほっとした。

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