セーブクリスタル 第11話

 深夜。扉が激しくノックされる音と誰かの大声で、眠っていたわたしは目を覚ました。こんな夜更けに一体何事だろうといぶかしみ、尚も激しくノックされる扉に歩み寄る。すると声が言葉として聞き取れるようになる。「起きてください! 火事です!」その声に眠気が吹っ飛ぶ。慌てて扉を開けると、血相を変えた宿屋の従業員が立っていた。

「隣の宿屋が火事になってます! こちらに飛び火してくる可能性があるので、外に避難してください!」

 わたしは目を瞠る。他の部屋の前にも従業員たちがいて、激しく扉をノックしながら声を張り上げていた。そして隣の部屋からお父さんが、更に隣の部屋からお母さんが、寝巻き姿で出てくる。事情を聴いて驚愕する両親、他の宿泊客たちや従業員たちと一緒になって、わたしたちは慌てて外に避難する。

 外に出たわたしは隣の宿屋に顔を向ける。三階建ての宿屋の一階部分が火に包まれていた。大量の黒い煙が暗い空に吸い込まれていく。十五メートル以上離れた位置にいるというのに、体が焦げるんじゃないかと思う程の猛烈な熱さを感じる。周囲を見回す。井戸から宿屋の前まで人がずらりと並び、汲み上げた水が入った桶を、隣の人に渡して宿屋の前まで運び、一番宿屋に近い人が水を掛けているが、焼け石に水状態で、消火は間に合っていない。騒ぎを聞きつけた野次馬たちが、それを見守っている。わたしたちの宿、隣の宿の入り口から、次々と避難してきた宿泊客や従業員たちが出てくる。

 暫くすると避難はあらかた終了したようで、従業員が宿帳を持ち、避難確認の点呼を取り始める。わたしも名前を呼ばれ、返事する。隣の宿屋も同様に、従業員が大声で名前を呼んでいるのが聞こえてくる。

「ジャオ・ポダさん! いませんか!? ミユウ・ポダさん!? いたら返事してください!」

 ついさっき酒場で強烈な印象を残したミユウちゃんを覚えていた避難客たちが、動揺してざわつき始める。

「おい、ミユウって酒場で歌ってた子じゃないか? あのすごいうまかった小さい女の子」

「ああ、確かミユウって名乗ってたな。まさかあの子と父親、取り残されてるのか」

 ミユウちゃんとミユウちゃんのお父さん、ジャオさんを探して、周囲を視線でなぞるが、二人の姿は見当たらない。いつの間にか炎が二階にも達している。

「早く助けに行かねえとやべえぞ!」

 焦燥の声が飛び交うが、この炎の中、救助に向かおうとする人はいない。

「逃げ遅れてるのは今名前を呼んでた二人だけですか?」

 ふとお父さんの声に振り返る。お父さんが隣の宿屋の従業員に話しかけていた。

「はい。従業員も含め、ポダさん親子以外は全員無事です」

「ぼくが行きます! 二人の部屋の場所を教えてください」

 一瞬呆気に取られた従業員だったが、すぐにお父さんに部屋番号を教える。ミユウちゃんたちの部屋は最上階だった。寝ているところを叩き起こされ避難する時、もし取り残されてる人がいた場合に、最初から助けにいくつもりだったのだろう、お父さんの手にはセーブクリスタルが握られていた。お父さんが「セーブ」と口にする。なるほど。わたしがこの時間軸にやってくるためにロードしたのは、このセーブクリスタルだったんだ。お父さんが近くにいたわたしにセーブクリスタルを手渡してくる。

「ソプラナ、助けに行ったぼくが暫く経っても戻ってこなかったら、その時は」

 お父さんのセリフを最後まで聞き終える前に、わたしはお父さんのセリフの続きを理解する。お父さんは『ロードして、助けに行く直前のぼくに、さっき助けに行ったあなたは死んでしまったから、助けに行ってはいけない、と伝えて欲しい』とわたしに言おうとしてるんだろうな。

「ロードして、助けに行く直前のぼくに、ミユウちゃんたちの部屋までの、ぼくが今から選ぼうとしているルートでは助けられなかったから、別のルートから助けに行けって伝えて欲しいんだ」

 なに言ってんだこのハゲデブは!? 助けられなかった時に、もう一度助けに行くためにセーブしたっていうの!? わたしのお父さんってば頭おかしいんじゃないの!? 開いた口が塞がらず、わたしは絶句する。

「アセビ君、危険だよ! 行っちゃダメ!」

 お母さんがお父さんの腕にしがみつく。

 お父さんはお母さんの手を引き剥がしながら唇を開く。

「誰も行かないのなら、ぼくが行くしかないじゃないか。一刻を争うんだ。放してリーシャ」

 引き離しても尚、しがみつこうとしてくるお母さんから逃げるように、お父さんが駆け出す。

「それじゃ、ソプラナ頼んだよ」

「アセビ君!」

 お母さんの制止の声を置き去りにし、お父さんは駆けて行った。唖然となっていたわたしはなにも言えなかった。お父さんが桶リレーをしていた人から桶を受け取り、頭から水を被る。そして一切の躊躇いなく炎に包まれる宿屋の中に飛び込んで行った。固唾を呑んで暫く見守る。

 炎の中、宿屋の入り口から、泣いているミユウちゃんの肩を抱き、ジャオさんを担いだお父さんが戻ってきた。お父さんの姿が見えた瞬間、歓声と拍手が沸き起こる。ミユウちゃんは無事みたいだけど、ジャオさんは意識を失っている。ようやく町の消火隊と救命隊の魔法士たちが到着する。すぐさま消火隊の魔法士たちが、杖から大量の水を放射させて消火活動を始める。お父さんが地面に寝かせたジャオさんに、救命隊が回復魔法をかける。するとジャオさんはすぐに意識を取り戻した。

 ジャオさんが目を開ける。ミユウちゃんがジャオさんに抱きつき号泣した。その瞬間、歓声と拍手が爆発した。二人が助かったことと、助けに行ったお父さんに対する称賛だった。火傷を負ったのだろう、ミユウちゃんにも回復魔法がかけられる。同じく回復魔法をかけてもらっていたお父さんのところに、ミユウちゃんとジャオさんがやってきた。二人は何度も頭を下げて、涙を流しながらお父さんに感謝した。歓声と拍手喝采は、なかなか鳴り止まなかった。あの状況で助けに行くなんて、強い正義感を通り越し、無謀だし命知らずの頭がイカれてる人のすることだと思う。でも二人に感謝され、周囲の人々から称賛されてるお父さんのことが、わたしは誇らしかった。わたしの顔に笑みが浮かぶ。この人わたしのお父さんなんだよ! って、今すぐ大声で言いたい気分だった。わたしは隣にいるお母さんに笑顔を向ける。

「みんな無事でよかったね! それにしてもアセビったら、あの火の海の中、よく助けに行ったよね。わたし絶対に真似できないよ」

「アセビ君らしいよ。そうだよね、わたしにだけ特別ってわけじゃないんだよね」

 お母さんはお父さんを見つめながら言葉を零す。

「もしかして、明日あたりアセビに告白しようと思ってた?」

「え!? ど、どうして!?」

 どうやら図星だったらしい。

「半年くらい前に一緒に旅してた時からアセビのことが好きだったんでしょ? 今日、半年振りに偶然再会できたからよかったものの、今を逃せば、次にいつ会えるのかわからないもんね。もしかしたらもう会えないかもしれないんだし」

「よくわかるわね」

 二年半後の時間軸で、お母さんが似たようなことを言っていたけど、半年という期間は、同じことをお母さんが思うのに充分長い期間だと思ったのだ。

「告白しないの?」

「うん。こんなわたしみたいな女じゃ断られるに決まってるしね」

 人助けして、感謝されて称賛されてる格好良いお父さんを見て、お母さんは今、お父さんのことを更に好きになったはず。でもミユウちゃんの圧倒的な実力を見せ付けられ、プロの吟遊詩人になるという夢を諦めたばかりの今お母さんは、自分に自信が持てなくなってるから、こんな素敵な男性に告白しても、自分では相手にしてもらえないと思い、この時は告白しなかったんだろう。そして二年半後に意を決して告白するのだ。

 お父さんがわたしたちのところにやってきた。お父さんの体は煤であちこち黒く汚れていた。

「平気?」

「なんとかね」

 未来のお母さんから、自分の告白を断ってほしいと言われた時に、断らなかった時も思ったけど、どうしてお父さんはこんなに強いんだろう。

「あの炎の中で助けに行く時、怖くなかった?」

「別に怖くはなかったよ」

「死ぬかもしれないとは思わなかったの?」

「そんなこと考えてたら、怖くなって助けに行けなくなるから、無意識に考えないようにしてるのかなあ? よくわからないや。とにかくさっきは、助けに行かなくちゃっていう気持ちしかなかったよ」

「アセビは心が強いんだね。勇者みたいで格好良かったよ」

「ぼくは勇者なんかじゃないよ。ぼくは好きな女の子に告白する勇気もない臆病者なんだ。だからぼくは強くなんかないよ」

「ア、アセビ君、好きな人いるんだ……」

「え!? ま、まあね」

 お母さんが落胆し、お父さんが赤面して目を泳がせる。わたしは質問を重ねる。

「命がけで人助けできるのに、どうして告白はできないの?」

「フラれたらどうしよう、こういう感じで告白したら気持ち悪い奴だって思われるかも、とかって考えると、どうしてもできないんだ。誰かが危険に晒されてる時っていうのは、一刻を争う場合が多いから、考えてる時間がないんだ。だから、なにも考えずに助けに行けるのかもしれないね。告白しようと思ったら、色々と考えちゃうからできないんだろうな」

「だったら勢いで告白すれば?」

「それができたら苦労しないよ!」

 お父さんの言う通りだった。男のくせに告白できないのはちょっと情けないけど、こういう強さがあるお父さんだからこそ、わたしが学校に行けなくなった時に、辛くても学校に行った方がいいって言ったんだろうな。わたしは得心した。

 間もなく火は消し止められ、宿屋は燃えちゃったけど、この火事で大きな怪我をした人がいなかったことは不幸中の幸いだ。わたしたち隣の宿屋の宿泊客は、自分の部屋へ戻り、火事になった宿屋に宿泊していた人たちは、わたしたちが宿泊している宿や、他の宿に移って体を休めた。

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