セーブクリスタル 第10話

 この酒場には、奥に小さいけどステージがあり、そこで大道芸人や吟遊詩人たちが自由に芸を披露することができる。ということを酒場に来る前に宿屋で、昨日からこの町に来ていて、昨日もこの酒場に行ったお父さんから聞いていたわたしとお母さんは、ハープを持ってきていた。食事を食べ終わったわたしとお母さんは、ステージの使用許可を貰うため、店員に話しかけた。店員と話していたわたしたちの背後から、元気の良い声が飛んでくる。

「わたしも歌わせてください!」

 振り返ると、そこに笑みを浮かべた幼い少女が立っていた。まだ初等学生に見える。わたしは怪訝に思い、訊ねる。

「もしかして、あなたも吟遊詩人なの?」

「いえ、将来はプロになりたいと思ってるんですけど、今は見習いです。学校が終わった後や、学校が休みの日に、こうして人前で歌う練習をしてるんです」

「何歳?」

「十歳です」

 十歳で人前で歌っていることに衝撃を受ける。十歳の頃、自分はなにをしていただろう。家で歌とハープの練習をして、両親の前では歌と演奏を披露してたけど、見知らぬ人前で歌う練習なんてしてなかった。そんな度胸はあの頃の自分にはなかった。今だってまだ慣れてなくて緊張するというのに、この子凄い。

「酒場に一人で来たの?」

「パパと一緒に来ました。あそこにいるのがわたしのパパです」

 少女が指差した先に、席に座ってお酒を飲んでいる男性がいた。少女が手を振ると、その男性が笑みを浮かべて手を振り返す。

「わたしはミユウと言います。よろしくお願いします」

 ぺこりとお辞儀をするミユウちゃん。わたしとお母さんも慌てて自己紹介した。ミユウちゃんに聞いたところ、今日は学校が終わった後、お父さんと二人で地元の町から離れたこの町にやってきたそうだ。明日は学校が休みなので泊りがけで、人前で歌う練習をしにきたとのことだった。

 店員に許可を貰った順番で、歌うことになった。一番手はわたしだ。ステージの上には、店員に言って椅子をセットしてもらっていた。わたしはステージに上がり、脱いだ帽子を逆さに向けて、ステージの前方に置く。体を起こし、改めて酒場を見回す。わたしが酒場に来たのは今日が初めてだった。知らない大人の人たちが、騒ぎながらお酒を飲んでいる。お酒の匂いが充満している。人前で歌うことにまだ慣れていないこともあり、わたしは完全に酒場の雰囲気に飲まれてしまっていた。緊張で体が強張る。それに加え、学校でみんなにカンニングしてないことを信じてもらえなかったあの時から、自分の言うことは誰も信じてくれないんじゃないか、歌っても自分の歌は誰の心にも届かないんじゃないか、という妄想を抱くようになっていた。それもあり、椅子に座って歌詞を紡ぎだしたわたしの歌は、酷いものだった。家で練習してる時の実力の半分も出ない。緊張で指が震えるせいで、ハープの演奏もリズムが狂う。すると顔を赤くして酔っ払っているおじさんに野次を飛ばされた。

「この下手くそ! 耳障りなんだよ! 引っ込め! 酒がまずくなるだろ!」

 途端わたしの全身が萎縮し、声が出せなくなってしまった。たった一つの野次で、心が挫けてしまったのだ。歌えなくなったわたしは仕方なく、まだ途中だったけどステージを降りるしかなかった。

「平気?」

 気遣ってくれたお母さんに頷き返したけれど、実際はちっとも平気じゃなかった。まだ足ががくがく震えている。動悸の激しさも収まらない。お母さんがわたしに手を貸してくれて、お父さんの隣の席まで連れて行ってくれた。「まあ、こういうこともあるよ」と言うお父さんの言葉も耳を素通りしていくだけだった。わたしが着席すると、お母さんはステージに向かった。そして椅子に座って腿の上にハープを置き、歌い始める。お母さんの歌と演奏は上手だった。わたしの知ってる未来のお母さんの歌声とハープの演奏と遜色ない。お母さんの歌と演奏を聴かずに談笑してる人もいるけど、静かに目を瞑って耳を傾けている人もいる。当然だけれど誰も野次を飛ばさない。お母さんが歌い終わると、お母さんがステージの前方に置いた袋の中に、数人だったけどチップを入れる人がいた。

 お母さんがわたしたちのいるテーブル席に戻ってくる。お父さんが笑顔で迎えて「素敵だったよ」と言って「ありがとう」とお母さんが笑顔で答える。わたしはまだショックから立ち直れておらず、お母さんになにも言えなかった。次にミユウちゃんがステージに上がる。ステージ前方に袋を置くと、体を起こしたミユウちゃんは椅子に座り、ハープに手を添え構える。そこまでのミユウちゃんの一連の動作を見る限り、ミユウちゃんに緊張している様子は微塵も感じられず、むしろ堂々としていた。ミユウちゃんの歌とハープの旋律が流れた瞬間、酒場の雰囲気が一変する。酒場内にいた客、店員問わず全員がミユウちゃんに顔を向ける。ミユウちゃんの歌とハープの演奏技術は凄まじかった。すぐに「おお!」という歓声が酒場中から沸き起こり、拍手が鳴り響く。それが収まると、幼い少女の類稀なる才能に酒場の中が大きくざわつく。次第にざわつきが小さくなっていき、代わりにミユウちゃんの音楽に魅了された聴衆たちが手拍子を始める。サビの部分でミユウちゃんがファルセットを使うと、またぞろ歓声が沸き立つ。齢十歳の少女は最後まで、酒場内の全員の心を掴んで放さなかった。曲が終わった瞬間、拍手喝采と口笛と歓声が飛び交った。みな席から立ち上がっていた。ステージの前方にミユウちゃんが置いた袋の中に、山のようにチップが積もっていく。チップが入れられる度に、ミユウちゃんは腰を折り曲げ「ありがとうございます」と終始笑顔でお礼を言うことも忘れない。わたしも立ち上がって拍手していた。

「ミユウちゃん凄いね!」

 隣のお母さんに顔を向けたわたしは、はっとした。お母さんはミユウちゃんに目を遣りながら涙を流していた。

「薄々わかってたんだけどなあ。わたしには才能がないって。やっぱりあれぐらい才能がないとプロになんてなれないんだわ。悔しいなあ。羨ましいなあ」

「ぼくはリーシャの歌好きだよ」

「わたしも好き。さっきだってチップ貰えてたじゃない」

「あれくらいじゃ、食べていけないわ。だから半分吟遊詩人、半分行商人っていう中途半端なことやってるんじゃない。実家の手伝いして覚えた道具屋の仕事のスキルを使って、道具売らなきゃ生活できないんだよ。実家が嫌で飛び出してきたのに、わたしまだ実家の中にいるのかもしれない。わたし実家飛び出す前と、ほとんど変われてない。わたしには無理だったんだわ」

 涙を流し続けるお母さんに、わたしとお父さんはなんて声をかけていいのかわからず、結局なにも言えなかった。

 酒場を後にしたわたしたちは、宿屋に向かって歩いていた。今日はこの町で一泊すると言っていた、ミユウちゃんとミユウちゃんのお父さんも、わたしたちと同じ方向に歩いている。さっき酒場にいた客の中に、宿屋の宿泊客が他にも結構いたらしく、ミユウちゃんとミユウちゃんのお父さんは、その人たちに囲まれながら歩いていた。その人たちに歌ってとリクエストされ、ミユウちゃんが軽く歌っただけで歓声が沸き起こる。ミユウちゃんに実力の差を見せつけられて、意気消沈しているわたしたちの間に会話はなかった。わたしたちが宿泊している一階建ての安宿の隣に、それよりも立派な三階建ての宿屋が建っていた。ミユウちゃんとミユウちゃんのお父さんは、たくさんの笑顔の宿泊客に囲まれながら、三階建ての宿屋の中に吸い込まれていった。隣を歩くお母さんを見やる。お母さんは既に泣き止んでいたけれど、その目は赤くなっていた。未来のお母さんも、今目の前にいるお母さんも、わたしよりも歌とハープの演奏がずっと上手だ。そんなお母さんでさえ、吟遊詩人の稼ぎだけじゃ生活していくだけのお金を稼げずに、夢を諦めてしまった。それなのに、果たしてわたしにプロの吟遊詩人になることができるのだろうか。わたしの心の中で不安な気持ちが膨れ上がり、自信が萎んでいった。

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