セーブクリスタル 第9話

 そういえば、黒チェリモが空を飛んだ話は、お父さんからだけじゃなくて、お母さんからも聞いたんだった。お父さんとお母さんは一緒に見たって言っていたことを、わたしは今思い出した。この時間軸でまだお母さんと出会ってないけど、お母さんはどうしたんだろう? 両親が黒チェリモが飛ぶところを見たのは、今この時間じゃなくて、もう少し先の未来なのかもしれない。いや、もしかしたらわたしがこの時間軸に来てしまったせいで、過去の出来事が変わってしまったのかもしれない。わたしがお父さんに一緒に黒チェリモ見に行こうと誘ったから、お父さんはお母さんと一緒に黒チェリモを見に行くはずが、わたしと二人で見に行くことになってしまったのかも。確か二人の話では、黒チェリモにハバニールの野菜をあげて、それを黒チェリモが食べたら飛んだって言っていた。でもハバニールの野菜だけじゃなくて、他のなにかの食べ物と一緒にあげたって言っていたような気がする。それがなんだったか、思い出せそうで思い出せない。そんなことを考えていると、街道が別の街道と合流する地点にやってきていた。わたしたちが歩いてる街道とは別の街道から、ぱんぱんに膨らんだでっかいリュックを背負った誰かが歩いてくる。まだ遠くて顔もよく見えないけど、おそらく女性だ。ぱんぱんのリュックが重すぎるせいだろう、女性の足取りはよろよろとしていて危なっかしい。そして案の定、前のめりに倒れてリュックの下敷きになった。女性が手足をばたばたさせてもがくが、立ち上がれそうにない。わたしたちは慌てて女性に駆け寄る。お父さんの方がわたしより足が速く、わたしより一足先に駆けつけたお父さんが、女性を助け起こす。

「大丈夫ですか!?」

「はい、なんとか。ありがとうございます。……アセビ君?」

 助け起こされたその女性はお母さんだった。

「リーシャじゃないか!」

「久しぶり。半年ぶりだね」

「久しぶりだね。荷物ぼくが持つよ」

「いいよ。自分で持つから」

「無理しないで」

 お父さんが半ば強引に、お母さんから大荷物を奪うようにして背負う。

「ありがとう」

 お父さんを見つめるお母さんの頬が、ほんのり朱に染まる。

「この大荷物どうしたのさ。吟遊詩人の旅ってこんなに大荷物が必要なの?」

「そういうわけじゃなくて。わたしの歌と演奏のチップだけじゃ、あんまり稼げなくて、最近行商を始めたんだ。その中には旅に必要な物だけじゃなくて、商品も入ってるの。調子に乗って買いすぎたせいで、重くなりすぎちゃったんだ」

「そっか。ぼくはリーシャの歌と演奏好きなんだけどな」

「ありがとう。ところでアセビ君、その人は……?」

 わたしに目を移したお母さんが睨んできた。その視線には明らかに敵意が篭められていた。再びお父さんに視線を移したお母さんの顔に、冷や汗が浮かぶ。

「ま、まま、まさか、その人、アセビ君のここ、こ、こ、恋人とか!?」

 二人が既に知り合いで再会したということは、今いるこの時間軸は、二人が一緒に旅をした後ということになる。つまり二人はこの時、既に両思いだということだ。わたしをお父さんの恋人かもしれないと疑い、不安げな瞳をお父さんに向けている、いじらしいお母さんの姿を見たわたしは、ちょっとお母さんをからかってみたくなった。わたしは胸を張って堂々と肯定する。

「あなたの言う通り、わたしはアセビの恋人よ! 今朝だって二人で一緒にお風呂に入ったんだから!」

「一緒にお風呂ですって!?」

 お母さんの顔が青ざめる。

「ちょっとソプラナなに言ってるのさ!」

「あら、本当のことじゃない」

「確かに一緒に入ったけどさ! 今朝のあれはそういうことじゃないじゃないか!」

「本当に一緒に入ったんだ!」

 白目を剥いたお母さんが、ばたーん! と倒れて動かなくなる。卒倒だった。

「リーシャ!? しっかりしてリーシャ! 誤解だよ! ぼくとソプラナはそういう関係じゃないから!」

 誤解を解いて町に着いた時、日はもう暮れかけていた。とりあえずわたしとお母さんは、お父さんと同じ宿屋に部屋を取ることにした。余計な荷物を部屋に置いたわたしたちは、一緒に夕食を食べに行くことにした。この宿屋は食事のサービスがなく、周囲の食事処に出向かなければならない。わたしたちが向かったのは町の酒場だった。案内された席に着き、料理を注文して店員が立ち去ると、お母さんがお父さんに顔を向けた。

「アセビ君、さっきは助けてくれてありがとう。アセビ君が助けてくれなかったら、わたしあのまま動けなくて、飢え死にしてたかもしれないわ」

「あはは! リーシャは大げさだなあ」

「そんなことないよ。それでね、助けてくれたお礼にこれをあげるよ」

 お母さんが腰のポーチの中からセーブクリスタルを取り出し、お父さんに差し出す。無色透明だから、まだセーブしていないセーブクリスタルだ。受け取ってセーブクリスタルを眺め回しているお父さんに、お母さんがセーブクリスタルの説明をする。

「そ、そんな貴重な物受け取れないよ!」

「わたし同じのまだ持ってるから遠慮しないで受け取って。ね?」

「本当にいいの?」

 お母さんが首肯する。

「そういうことなら、ありがたく受け取っておくよ」

「うん!」

 お父さんにお礼ができて嬉しいらしいお母さんが、屈託のない笑みを浮かべる。そんなお母さんにわたしは問う。

「わたしには?」

 お母さんがお父さんに気づかれないように、わたしのことを睨めつけてきた。

「なにか言ったかしら?」

「いえ、なにも……」

 さっきからかったことで怒らせてしまったらしい。ふんっと鼻を一つ鳴らすと、お母さんの顔から怒りが引っ込む。そして口を開く。

「もしかして二人も黒いチェリモを見るために、この町に来たの?」

「うん。さっき見てきたよ。リーシャと会ったのはその帰り道だよ」

「黒いチェリモ見たの!? 本当にいるのね!」

「うん。でも残念ながら空は飛ばなかったよ。牧場のおじさんは大人になった黒チェリモに、初めてハバニールの野菜を食べさせた時に、一度だけ数メートル飛んだって言ってたけど」

「それなんだけどね。わたし旅の途中でチェリモ仙人っていう人に会ったのよ」

「チェリモ仙人?」

「自分はチェリモのことならなんでも知ってるチェリモ仙人じゃ、ってそのおじいさんが自分で言ってたわ。つまり自称チェリモ仙人ね。チェリモ仙人が言うには、黒いチェリモが空を飛べるようになるためには、飛びたいという強い意志が黒チェリモにあることと、デッドペッパーをふりかけたハバニールの野菜を食べさせる必要があるんだって」

「それよ!」

 わたしの口から思わず大きな声が出た。昔両親から聞いた黒チェリモが飛んだ話の中に、デッドペッパーが出てきたことを思い出したのだ。

「デッドペッパーは世界一辛い胡椒で、黒チェリモは辛い食べ物が好物だから、もともと辛いハバニールの野菜にデッドペッパーをふりかけて更に辛くしたものを食べたら、眠っていた真の力が目覚めるってチェリモ仙人が言ってたって、お母さんが言ってたわ!」

「わたしもチェリモ仙人からそう聞いたわ。あなたのお母さんもチェリモ仙人に会ったことがあるのね」

「そ、そうなのよ。今思い出したの」

「わたし半信半疑だったけど、チェリモ仙人からデッドペッパーを買ったの。それでこの近辺を旅してたら、この近辺では黒いチェリモがいる牧場の話が結構有名になってたから、売ろうとしてみたんだけど、誰もチェリモ仙人から聞いたわたしの話を信じてくれなくて、一つも売れなかったんだけどね。それで本当かどうか自分で試してみようと思って、この町に寄ってみたのよ」

「明日三人で一緒に牧場に行こうよ」

「そうだね。試してみる価値はあるかもしれないね」

「え、あなたも来るの?」

 お母さんがあからさまに嫌そうな表情を浮かべてわたしを見る。お母さんはお父さんのことが好きだから、お父さんと二人っきりで見に行きたいのだろう。でもわたしも自分の目で黒チェリモが飛ぶところを是非とも見てみたいから、ここは食い下がる。

「わたしとアセビはなんにもないってわかってくれたんでしょ? だったら仲良くしようよ」

「これを振りかけた料理を食べられたら、考えてあげなくもないわよ」

 お母さんがポーチの中から調味料を取り出す。ラベルにはデッドペッパーと記してある。

「嫌だよ。世界一辛いんでしょそれ。そんなの食べられないよ」

「あなた吟遊詩人を目指してるんでしょ? デッドペッパーを食べたら歌がうまくなるのよ」

「え、本当?」

「ええ本当よ」

「じゃあわたし食べてみる」

 そこにタイミングよく料理が運ばれてきた。お母さんがわたしの料理にデッドペッパーをふりかける。……ちょっとかけすぎじゃない? でも量が多い方がより歌がうまくなるのかもしれない。お母さんがかけ終わると、わたしは料理を口に運んだ。瞬間、わたしは口から火を吹いた。

「――――――!!!」

 わたしの喉から言葉にならない叫びが迸る。口の中、舌、唇に焼けるように痛みが走る。

「ほ、ほれへふふぁふぁふわふはっわわは?(こ、これで歌がうまくなったかな?)」

「あら、わたしそんなこと言ったかしら」

 お母さんはしれっと言った。先程からかったことの意趣返しだったらしい。

「ほぅおうぉひぃ~!(この鬼~!)」

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