セーブクリスタル 第8話

 わたしは首肯し、建物の外に出る。わたしが出現したのは宿屋の中だったらしい。お父さんは泊まっている自分の部屋に荷物を取りに行った。さっきまでいた町とは別の、見知らぬ町並みが広がっている。太陽はまだ昇り始めたばかりで、低い位置にある。「お待たせ」とお父さんが出てきて、出発する。

 町の中を歩いていると、学校の傍を通りかかった。わたしの通っている中等学校と同じくらいの広さのある、見知らぬ中等学校だった。校舎の一角から楽器の演奏が聞こえてくる。グラウンドでボールを使っての体育の授業を、はしゃいだ声を上げながら受けている生徒たち。一見するとみんな楽しそうにしているように見えるけれど、この学校の生徒の中にも、わたしみたいにクラスに馴染めなくて辛い思いをしていたり、悩んでいる生徒は必ずいるはずだ、お父さんとお母さんはわたしの世界は狭いと言ったけど、わたしは学校だけで充分広いと思う。大きな校舎、広いグラウンド、体育館、プールもある。数百人の生徒たちが学校生活を送れるだけの広さが学校にはあるのだ。学校の中で抱いた悩みが、小さい悩みなわけがないじゃないか。

 町から草原を歩いて数時間、わたしたちはチェリモファームに到着した。柵で囲われた中で、数匹のチェリモが歩いている。チェリモは大きな鴨のような見た目をしている、草食の鳥型モンスターだ。大人になると体長が二メートル二十センチ以上にもなる。鳥型と言っても翼が退化していて、空を飛ぶことは出来ない。その代わりに発達した脚部により、走る速度は人間の何倍も早い。チェリモは長距離移動の足として、物資を積んだ車を引く動力として、人々に利用されている。基本的に大人しい性格をしているので、人間が飼育することができるのだ。チェリモは普通、羽根と毛の色が黄色い。平たい形状をした嘴の色は橙色がかった黄色で、体の大部分が黄色いのだ。それなのに、このファームには黒いチェリモがいるという。

 ファームの敷地内に、丸い屋根をしたチェリモを収容するチェリモ小屋がある。小屋の前で、なにやら作業をしていた麦わら帽子を被ったおじさんに話しかける。話を聞いてみると、このおじさんが牧場主だった。

「あんたらも黒チェリモを見に来たのけ?」

「そうです」

「見物料は三十リアンじゃ」

 世にも珍しい黒チェリモを見物に来る人はたくさんいるのだろう、黒チェリモ見物を商売にしているらしい。

「本当に黒チェリモはいるんですか?」

「おらあ、長年チェリモの世話しとるけど、黒いチェリモなんて見たことなかったから、生まれてきた中に黒いのがいるのを見た時は、そりゃあ驚いただ。今ではもう大人になっちょる」

「空を飛んだって聞いたんですけど本当ですか?」

「一度だけな。伝説では黒いチェリモは、餌の野菜の中でも、辛味のあるハバニールの野菜がめっぽう好きで、黒いチェリモが大人になってからハバニールの野菜を食わせたら、大空を飛ぶって言われてるのは知ってるべか?」

 わたしたちは首肯する。その伝説は、ほとんどの人が一度は聞いたことがある有名な話だ。伝説は有名だけど、あくまで伝説であり、おとぎ話のようなものだ。黒いチェリモの存在も信じていない人が大半で、ましてや空を飛ぶチェリモだなんて、世の中のほとんどの人が信じないだろう。

「おらも半信半疑だったんじゃけど、黒いのが大人に成長してから、ハバニールの野菜をやってみただ。そしたらば、ほんの数メートル飛びよったんじゃ! 誰も信じてくれんが本当なんじゃ!」

 本当だろうか。宣伝効果のある嘘を吐いてるだけかもしれない。

「チェリモの餌も売っとるけ。あげたら懐いてきてかわいいべさ。どうすっべ?」

 わたしたちはおじさんに見物料を払い、それから餌の野菜を適当に買った。おじさんに案内してもらい、草地になっている放牧スペースに入れてもらう。放牧スペースは広大で、見渡しても端が見えないほどだ。おじさんについて歩くこと十数分。騒がしい鳴き声が聞こえてきた。

「あいつらまたやっちょるな!」

 おじさんが走り出す。わたしたちも慌てて追いかける。前方に複数で群がっているチェリモの群れが見えてくる。チェリモたちは一匹のチェリモを取り囲み、よってたかって足蹴にしている。取り囲まれていたのは黒いチェリモだった。いた! 黒いチェリモは本当にいたんだ! 黒チェリモはやられっぱなしというわけではなく、反撃の蹴りを繰り出している。しかし多勢に無勢。黒チェリモは蹴り倒され、複数のチェリモたちに踏まれまくる。おじさんが首から下げている紐の先に付いた小さい笛を吹く。すると黄色いチェリモたちが一斉に散り散りに走って逃げていく。おじさんが笛でチェリモの嫌がる音を出したからだ。黒チェリモも音から離れたいはずだろうけど、倒れているからそれは無理だった。

「大事な看板商品だで傷つけるな言うちょるのに!」

「大丈夫!?」

 わたしたち三人は黒チェリモに駆け寄り、助け起こす。周囲には、黒チェリモの体から抜け落ちた羽根が何枚か落ちていた。黒チェリモは、嘴や足は普通のチェリモと同じ色をしていたけど、体を覆う羽根と毛は全部真っ黒だった。間近で見たわたしは、本当にこんな黒いチェリモがいるんだと、改めて驚かされる。

「キエ……」

 黒チェリモが弱弱しい鳴き声を上げる。体を検めるが、目立つような怪我はしていなくて一安心する。

「いつもこうなんですか?」

「んだ。こいつだけ色が違うとるから、いっつもいじめられとるだ」

 わたしの中で、学校で嫌がらせされるようになった自分と、この黒チェリモが重なる。

「好きなだけ見たらええで。んだおらは仕事に戻るべさ」

 おじさんが立ち去る。黒チェリモは本当にいた。黒チェリモを見世物にしてるってことは、それなりの人たちが、自分の目で黒チェリモを見たはずだ。それなのに今いる時間軸から二十年くらい経ち、とっくに黒チェリモが寿命かなにかで死んじゃった後のわたしが来た未来では、わたしのクラスメイトたちは誰も黒チェリモのことなんて信じてなかった。今わたしが見ている光景を、そのまま未来の人たちにも見せることができれば、信じてくれただろうに。それが出来ないことが歯がゆかった。お父さんが背負い袋を下ろし、中から直径二十センチくらいの半球形の物を取り出す。半球は水色で、銅色の金属製のリングの中に、半球が収まっている。わたしはそれを家で見たことがあったから知っていた。

「あ、それ! スコートカメラ!」

「これ知ってるの?」

「お父さんが持ってたんだ。お父さんが昔旅をしてた時に手に入れたらしくて、でもお父さん旅の途中で壊しちゃったみたいで。わたしが見せてもらった時には使えなくなってたけどね」

 まだ壊れていないスコートカメラを構え、お父さんが黒チェリモを撮影する。

「今撮影したやつ見せて」

 お父さんがスコートカメラの水色の半球を上向けて操作すると、半球の上の空中に、黒チェリモの静止画が平面で表示される。更にお父さんが操作すると、動いている黒チェリモの動画が平面で表示された。

「すごい! 本当に録れてる!」

 お父さんの言ってたことは本当だったんだ。これをみんなに見せれば、嘘吐き呼ばわりされることはなくなるはずだ。

「スコートカメラ、壊さないように大事にしなよ」

「言われなくてもするよ」

「アセビは信用できないから言ってるの」

「出会ったばかりなのに、ぼくもう信用なくしちゃってた!?」

「未来のあなたの子供のために言ってるのよ。大事なことだからもっかい言うけど、スコートカメラ絶対壊さないように注意してよね!」

「どうしてこの話にぼくの子供が出てくるのさ! ぼくまだ結婚する予定もないんだけど!」

「うるさい!」

「えー!?」

 わたしとお父さんが言い合っていると、黒チェリモが移動を開始する。向かった先は、斜面になっているところだった。黒チェリモは坂を上って斜面の上に立つと、そこから坂下に向かって走り出す。そして斜面の中腹辺りで跳び、翼を激しく羽ばたかせた。一瞬飛んだかと思いきや、そのまま緩い放物線を描いて着地しただけだった。斜面の下に下りてきた黒チェリモは、再び斜面を上り、頂上に着くとまたわたしたちがいる斜面の下目掛けて走り出し、途中でジャンプして翼をバタつかせる。今度は着地に失敗し、盛大に転んでしまう。しかし立ち上がり、また斜面を上り始める。黒チェリモはそれを何度も何度も繰り返す。

「空を飛ぶ練習をしてる?」

「そうみたいだね」

 わたしたちは暫く飛ぶ練習をする黒チェリモを観察した。何度失敗してもめげずに練習を続けていた黒チェリモだったが、次第に疲れを見せ始めた。そこでわたしたちはさっきおじさんから買った野菜をあげてみた。おじさんが食べさせたら一度だけだけど飛んだと言っていたハバニールの野菜だ。野菜を見せると黒チェリモは嬉しそうに寄ってきた。野菜を食べ終えると、わたしたちに体を寄せてきて、わたしたちの顔に頬を擦り付けてきて可愛かった。それから黒チェリモは再び練習を再開したけれど、やっぱり飛べなかった。「頑張れー!」と応援してみたり、他の野菜もあげてみたりしたけど、それでもやはり飛べなかった。飛んでる姿をスコートカメラで撮影できれば、両親から聞いてわたしが学校のみんなにした話は完全に本当だったと、証明することができるから、わたしとしては是が非でも飛んでもらいたかった。それから暫く見守っていたけれど、どうやら飛べそうになかったから、わたしたちは諦めて、町に引き返すことにした。

 黒チェリモはいた。スコートカメラで目の前の光景を記録することができることも本当だった。けれど黒チェリモは空を飛ばなかった。お父さんとお母さんは幼いわたしに、嘘を交えた本当の話をしたということだ。それを真に受けたわたしは学校のみんなに、両親から聞いた通りに話し、信用を失うことになったのだ。あんな嘘みたいな話を信じてしまったわたしも少しは悪いのかもしれないけれど、やっぱり嘘を吐いた両親が悪い! わたしは町に引き返すために草原を歩きながら口を開く。

「黒チェリモいたけど、飛ばなかったね」

「そうだね」

「このハゲデブ嘘吐き野郎!」

「ええ!? いきなりなんなのさ!? 噂話だってぼく言ったじゃないか。君も噂を聞いて見に来たって言ってたじゃないか。それでなんでぼくが嘘吐き呼ばわりされなきゃいけないのさ。それにぼくはハゲてないし、太ってもないよ!」

「アセビは将来、黒チェリモが飛ぶところを見たって嘘を吐くに決まってるからよ!」

「今ぼく、未来の言動を勝手に決め付けられて、それで罵られたの!? 一体どういうこと!?」

「ふんだ!」

「説明なし!?」

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