セーブクリスタル 第7話
またぞろ一瞬で周囲の景色が様変わりする。今度は見知らぬ土地ではなかった。何度も訪れたことがある、母方の祖父母の実家がある町だった。わたしたち三人は、診療所の前に手を繋いで立っていた。お母さんの手にあったセーブクリスタルが放つ燐光は、青から赤に変わっている。わたしに気づいたお母さんが目を瞠る。
「あなた誰!?」
「あははは……」
勢いでついてきてしまったものの、言い訳が思いつかず、わたしは空笑いを浮かべるしかなかった。お父さんも驚く。
「わ!? 君は昼間の吟遊詩人の子だよね? どうしてついてきてるのさ。もしかして、泉でのこともずっと見てたの!?」
「ま、まあね。面白そうだったから、つい」
お母さんが額に手をやり、困った顔になる。
「理由はどうあれ、来てしまった以上、あなたのことも元の時間軸に戻さなくちゃいけないから、連れて行くしかないわね」
「なにやってるのさ!?」
「ご、ごめんなさい」
お父さんに怒られて、わたしは縮こまる。
「とにかく行きましょうか」
一緒に連れて行ってもらえることになり、安堵の息を吐く。お母さんに連れられ、三人で診療所の中に入る。そしてお母さんは病室の一室の前で立ち止まる。
「ここよ」
扉を開け中に入る。そこは個室だった。ベッドが一つあり、そこでお父さんが眠っていた。お母さんがお父さんの体に掛けられていた、掛け布団を捲る。
「これが二年後のあなたの姿よ。半年もの間、ずっと目を覚まさないの」
ならず者たちと闘い、怪我をした後すぐに回復アイテムないし回復魔法で治癒したのだろう、目立った外傷はない。回復アイテムや回復魔法は、人間が本来持っている自己治癒能力を増幅させ、回復を早めているに過ぎない。つまり自己治癒能力で治せないような大怪我をした場合、いくら回復アイテムや回復魔法を施そうが、その怪我は治らない。ベッドで眠っているお父さんの腕と足は変形していた。歪な曲線を描いている。複雑骨折を負い、治ったけれど綺麗に骨がくっつかなかったのだろう。顔も陥没骨折を負ったらしく、醜く歪んでいた。眠り続けているというお父さんは、痛々しい姿だった。
「わたしと結婚してくれようとしたばっかりに、こんな姿になってしまって……!」
お母さんの瞳から涙が流れる。
「これでわかったでしょう。わたしの告白は断ってくれていいから。もうわたしなんかとは関わらないようにして」
「断らないよ」
お父さんの言葉に一瞬、お母さんが絶句し、病室の中が静まり返った。
「なんですって!? ずっと好きだったわたしから告白された直後で、嬉しくて浮かれてるんでしょうけど、一時の感情に流されてしまってはダメよ!」
「それは違うよ。君の話を聞く限り、リーシャのお父さんから、ならず者たちと闘って勝ったら、結婚を許すって言われた時に、嫌だったらぼくは闘わずに逃げることができたんじゃないのかな? 闘いを拒否してリーシャと別れれば、君のお父さんはぼくにそれ以上、もうなにもしてこなかったと思うんだ」
「ええ、その通りよ」
「勝てる見込みがないのは、二年後の、今ベッドで眠っているぼくもわかっていたはずだ。それなのに逃げなかったのは、どうしてもリーシャと結婚したかったからだ。未来のぼくは、そこまでしてでも君のことが欲しかったんだよ。ぼくは一時の感情に流されてるんじゃない。ぼくは今もリーシャのことが大好きだけど、二年後にぼくは、今以上に君のことを大好きになるんだろうね。ここでボロボロになって眠っている未来のぼくが、それを証明している。ぼくは、未来のぼくの君に対する愛の深さを信じるよ。ここで眠っている未来のぼくが、眠ったまま今ぼくに教えてくれてるんだ。ぼくにとって君は、どんな困難が立ちふさがったとしても、手に入れたいとぼくに思わせる、絶対に手離しちゃいけない大事な女の子だっていうことを!」
「アセビ君……!」
お母さんの瞳から、涙がとめどなく溢れだす。どうしようもなく漏れだす嗚咽のせいで、お母さんは暫く喋れなくなった。
格好いい! 本当にこれがあのハゲデブのお父さんなの!? お父さんってこんなに男らしかったんだ! お母さんがお父さんに惚れるのも無理ないよ! わたしも男の子からこんなセリフ言われてみたい! お母さんが羨ましい! あまりの格好良さに、もらい泣きしたわたしの瞳からも涙が零れ出す。
「そこまで言ってもらえてすごく嬉しいけど。今からいくら鍛錬しても、一人で数十人に勝つなんて無理だよ」
「無理かどうかはやってみないとわからない。ぼくはやるよ、もう決めた。だから悪いけど、告白は受け入れるよ。でも未来の君が折角こうして教えてくれたんだ。今日から二年後に備えて、今まで以上に鍛えて強くなるよ。そして数十人を相手に一人で勝てる自信がついたら、君にプロポーズして、君のご両親に挨拶しに行くよ」
「本当に、それでいいのね?」
お父さんが大きく頷く。
「わかったわ」
お母さんがさっき泉の前でロードした、赤く光るセーブクリスタルをお父さんに手渡す。
「アセビ君、未来を変えて元気な姿をまた、わたしに見せてくれるって約束して」
「約束するよ。必ず未来を変えてみせるから。それじゃ、ぼくたちは戻るよ」
わたしはお父さんと手を繋いだ。そしてお父さんが「リターン」と言葉を発した瞬間、わたしたちは赤い光に包まれた。そして瞬きする間にわたしたちは元の時間軸、先程ロードした瞬間の泉の前に移動していた。お父さんが手に持っていたセーブクリスタルが、粉々に砕け散る。わたしは笑みを浮かべてお父さんに顔を向ける。
「ハゲでデブのくせに、なかなか言うじゃない」
「ハゲでデブ? ぼくが?」
お父さんが自分の頭を触ったり、自分の体を見回す。
「い、今のはなんでもない。涙で滲んで、一瞬ハゲでデブに見えただけだから」
「そう?」
「勝手についてっちゃってごめんね。じゃあね!」
わたしはお父さんの前から、そそくさと走り去った。
宿屋に一泊したわたしは翌日の朝、お父さんがお母さんの告白を受け入れるところを見たくて、再び泉の近くの茂みの中に身を隠していた。お母さんは既に東屋の椅子に座って待っていた。両手を膝に置いてじっとしているお母さんの肩に、力が入っているのが見て取れる。緊張しているのだろう。昨日は眠れていなかったのかもしれない。暫く待っていると、お父さんがやってきた。
「ごめん待たせちゃったね」
お母さんが立ち上がって、お父さんの前に歩み出る。
「ううん、いいの。わたしが呼んだんだし、わたしもさっき来たばっかりだから」
少しの間が空いた。
「昨日の返事だけど、ぼくもずっと前からリーシャのことが好きだったんだ」
目を瞠ったお母さんが、両手を口元に当てる。
「本当に!?」
「うん。実はぼくも、一緒に旅してた時から好きだったんだ」
「嬉しい……!」
お母さんの瞳から涙がぼろぼろ零れだす。
「男のぼくの方から告白しなきゃいけなかったのに、女の子のリーシャに告白させちゃったね。ごめん」
「ううん。謝らなくていいよ。わたしがアセビ君のことが好きで告白したいと思って、したんだから」
「これからは二人で旅をしよう」
「うん!」
お母さんが満面の笑みを浮かべる。お父さんもつられて笑顔になり、二人で笑い合う。これ以上わたしがここにいて、愛を育む二人の旅の邪魔になったら悪い。この時間軸にもう用はない。わたしは腰のポーチの中から、昔お父さんがセーブしたというセーブクリスタルを取り出す。そして「ロード」と口にすると、わたしの体は青い光に包まれる。
次の瞬間、わたしの体は霧に包まれていた。いや違う。霧ではなく湯気だ。見回すと、低い椅子がずらりと並び、それぞれの椅子の前に石鹸が置いてある。隅には桶が積まれている。どうやらここはどこかの大浴場のようだ。わたしは湯船の前の床の上に立っていた。ざばあ! という音に振り向くと、湯船の中から誰かが立ち上がり、こちらに向かって歩いてくる。その人と目が合う。お父さんだった。ここは男風呂だったらしい。自分以外に誰もいないと思っていたからか、腰にタオルを巻くこともしておらず、お父さんは素っ裸だった。
「きゃあああ!」「うわあああああああ!」
男風呂に女がいることに驚いたお父さんが、背中から湯船に倒れ込み、盛大な水飛沫が舞う。久しぶりにお父さんのアソコを見たわたしは気が動転し、両手で目を覆った。お父さんとお風呂になんかもう入ることなんか二度とないと思ってたのに! ……昔のお父さんって、太ってなくて筋肉質で格好いい体してるじゃない。お父さんじゃない男の人の体みたい、と思ってしまったわたしの顔が赤面する。やだ、わたしなに赤くなってんのよ!? 相手は自分のお父さんなのに!
「リ、リーシャ!? どうしてこんなとこに!?」
湯船の方からお父さんのそんな声が飛んでくる。さっきまでいた時間軸のお父さんも、わたしのことを見た時に、お母さんだと思ったと言っていた。どうやらわたしのことをお母さんだと勘違いしているようだ。
「ご、ごめんなさあい!」
誤解を解くよりも、ここから出ることの方が先だ。わたしは走って浴室から脱衣所に行き、そのまま廊下に逃げ出した。男湯と女湯と描かれた暖簾の前で、お父さんが出てくるのを待っていると、暫くして男湯の暖簾を潜り、お父さんが出てきた。風呂上りだからだけが原因ではないのだろう、お父さんは顔を赤く上気させていた。わたしはお父さんに頭を下げる。
「さっきはごめんなさい」
お父さんがわたしの顔をじっと見つめる。
「君、リーシャじゃないんだね。ぼくの知り合いのリーシャって子に顔がよく似てるから、さっきはリーシャかと思ったよ。声も似てるし。リーシャの妹さんかお姉さん?」
「違うよ。わたしそんな人知らないし」
「そっか。それで、どうして男風呂に入ってきたのさ」
「間違えちゃって。ごめんなさい」
「脱衣所ならわかるけど、どうしてお風呂場に服を着たまま入ってきたのさ」
「それは……。入る前に、お風呂場の様子を確認しておきたかったっていうか、なんというか……」
「女の子に裸を見られたの初めてだよ。ああ恥ずかしい……」
お父さんが顔を隠すようにして、片手を顔にやる。わたしはぼそりと呟く。
「わたしとまた一緒にお風呂に入りたいって言ってたくせに」
「え? なんて言ったの?」
「なんでもない! とにかくごめんなさい!」
「もういいよ。それで、君は何者なの? 見たところ、この宿屋に宿泊してる旅人に見えるけど」
「わたしはソプラナ。吟遊詩人を目指してるの」
「ぼくはアセビ。冒険者をやってるんだ」
お父さんは昔、不思議を求めて旅をしていた。今は一体どんな不思議を追ってるんだろう。今お父さんが追ってる不思議なことは、もしかしたらわたしが幼い頃にお父さんから訊かされた不思議話の内のどれかかもしれない。
「アセビはなんの目的で旅をしているの?」
「ぼくは珍しいことや、不思議なことを自分の目で見るために旅をしてるんだ」
「今はどんな珍しいことや不思議なことを追ってるの?」
「この町の近くにあるチェリモファームに、真っ黒なチェリモがいるって聞いてきたんだ」
その話なら、昔両親から聞いて知っていた。
「空を飛ぶ黒いチェリモのこと?」
「そうそれ! この辺じゃあ結構有名な話だから、君も知ってるんだね」
「へ? う、うん。そうそう! そうなの。それで、黒いチェリモは本当にいたの?」
「ちょうど今から見に行くところなんだ」
「だったらわたしも一緒に連れてってよ。わたしも黒いチェリモの噂を聞いて、この町に来たからさ。ここで会ったのもなにかの縁だと思うし、いいでしょ?」
昔、両親から聞いた話が本当だったのか嘘だったのか、自分の目で確かめたかった。
「うん、いいよ。準備してくるから外で待ってて」
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