セーブクリスタル 第5話

 次の瞬間、景色が一変する。ついさっきまで自分の部屋にいたはずなのに、突然見知らぬ町の往来の中に移動していた。緑の多い町だ。そこかしこに木々が立ち、花が咲いている。建物はみな青い瓦屋根を被っている。さっきまで日は高い位置にあったはずなのに、今はもう夕方になりかけている。初めて見る町並みに、わたしは興奮と不安を同時に感じた。

 ロードしたセーブクリスタルは、先程までの淡く青い光ではなく、ほのかな赤色の光を放っていた。近くに昔のお母さんらしき人は見当たらない。ロードして移動する時間と場所が、セーブした時と全く同じになるとは限らない。セーブしてからロードするまでの時間経過が長ければ長いほど、ロード時の出現場所と時間のずれは大きくなると、お母さんは言っていた。今わたしはお母さんがセーブした時からどれだけずれた時間と場所に来たのかもわからない。けれど探せばきっと近くにお母さんがいるはずだ。ここが本当に過去の世界であればの話だけど。

 過去に来たという実感が湧かないけれど、とりあえずお母さんを見つけないことには始まらない。わたしは町の中を一通り歩きまわって探すことにする。町外れの泉にも足を運んだけれど、お母さんは見つからない。仕方なく、人が一番行き来する目抜き通りに移動し、ここでお母さんが通るのを待つ作戦に切り替える。ただ待ってるだけではつまらない。わたしは吟遊詩人になるために旅に出たのだ。よし! とわたしは気合を入れ、生まれて初めての、町中での歌とハープの演奏の披露に挑戦する。道の端に立ち、背負い袋を下ろし、中からハープを取り出す。頭に被っていた黒いポンポンが付いた、白いベレー帽を脱ぎ、裏向けて自分の足元に置く。それから座って折り曲げた自分の足の上にハープを乗せる。そしてハープの絃を撫で上げながら、歌いだす。わたしが選んだ曲は、昔お母さんが作詞作曲したという『言えない気持ち』という曲だ。この曲を作ったのがいつなのか、詳しくは知らないけど、今いる時間軸で既に作っていたのなら、お母さんが聞けばきっと足を止めてくれるはず。初めてということで、緊張しているわたしの心臓がバクバク脈打つ。それでも懸命にわたしは歌う。けれど誰も足を止めてくれない。それだけで心が折れそうになる。「初めてなんだから仕方ない」と念じながら、逃げ出したくなる気持ちを堪えて歌い続ける。すると冒険者だと思われる格好をした一人の若い男性が、立ち止まってくれた。内心で「よっしゃあ!」と思いながらも、それをおくびにも出さずに歌い続ける。そこにもう一人足を止めてくれる人が現れた。お母さんだ! 若い! 二十代前半くらいだろうか。セーブクリスタルの力で、本当に過去の世界に来たんだ! ようやくわたしは実感が湧く。今まさに不思議なことを自ら体験し、興奮で動揺したわたしの歌声と演奏が乱れる。けれどなんとか最後まで歌い終えることができた。立ち止まってくれた二人が、拍手してくれる。嬉しい気持ちより、今は不思議なことが起こった驚愕による動揺の方が上回っている。お母さんが笑みを浮かべて口を開く。

「今の歌、わたしが作った歌なんだけど、まさかわたしの歌を覚えて歌ってくれる人がいるだなんて思わなかったから、驚いたわ。どうしてわたしの歌を知ってたの?」

「えーっと……」

 まさか未来のあなたから教わりましたなんて言ったら、頭がおかしい奴だと思われるに決まってる。返答に困ったわたしは黙り込む。

「変なこと訊いてごめんね。そんなの、わたしが吟遊詩人をやってた頃に、どこかの村か町で聴いてくれてたに決まってるよね」

「そ、そうなの! いい歌だなあと思って、勝手に歌っちゃって、こっちこそごめんなさい!」

「謝らなくていいのよ。わたし吟遊詩人やめちゃったし、自分が作った歌を人前で歌うこともなくなっちゃったから、わたしの歌をあなたが歌ってくれたら、誰かにわたしの歌が聴いてもらえるんだから、嬉しいわ」

「リーシャ? リーシャだよね?」

 立ち止まってくれた男性がお母さんに話しかける。男性に顔を向けたお母さんが目を瞠る。

「アセビ君!? 久しぶりね! こんなところで会うなんて奇遇だわ!」

「えええええ!!!」

 この男の人、お父さん!? 仰天して叫んだわたしを、怪訝な表情になった二人が振り向く。お父さんが問う。

「どうかした?」

「う、ううん! なんでもない!」

 わたしは首を横にぶんぶん振って誤魔化した。改めて男性冒険者に視線を這わす。ちっともハゲてないし、太ってもない。でもよく見たら顔に面影がある。信じられないけど、この人わたしのお父さんだ! お父さんも二十代前半くらいに見える。二人が会話を再開する。

「リーシャの歌が聞こえてきたから、思わず足を止めて聞いてたんだよ。ぼくこの歌好きだったからさ。ぼくも好きなのに言えない気持ちってわかるから」

「ありがとう」

 お父さんがお母さんを見つめながら頬を赤くする。二人は初めて会った時、他数人とそのまま暫く一緒に旅をしていたそうだ。その時にお互いがお互いを好きになったけど、お互い奥手で、そしてどちらも告白しなかったらしい。その時の自分の気持ちを表現したのが『言えない気持ち』だとお母さんはわたしにこの曲を教えてくれた時に言っていた。二人のやりとりを見るに、一緒に旅をして別れた後、この町で再会したところなのだろう。つまり二人はこの時既に両思いなのだ。二人の気持ちを知ってるわたしは、なんだかもどかしい。お父さんがわたしに視線を寄こす。

「それに、この歌い手の子、顔も声もリーシャによく似てるから、一瞬リーシャかと思ったんだ。リーシャって姉妹いないって言ってなかったっけ?」

「わたしに姉妹はいないわ。わたしも似てると思って、今驚いてたところなの」

 二人に見つめられる。

「そ、そんなに似てるかなあ?」

 二人が首肯する。あなたたちの子供です、なんて言ったら変な奴だと思われるに違いないから言えるわけがない。

「リーシャの親戚ってわけでもないの?」

「違うわ。わたしこの子と初対面だもの」

「まるで姉妹みたいに似てるんだけどなあ」

「ぐ、偶然よ偶然! ほら世界には自分によく似た人が三人はいるって言うじゃない? きっとそれよ」

「そうよね」

 ようやくお母さんとお父さんが納得してくれて、わたしは安堵して胸を撫で下ろす。

「アセビ君、この町には暫くいるの?」

「うん。明日の昼には出発しようと思ってるけど」

「そうなんだ。今日はこの後、時間ある?」

「あるけど、どうかした?」

 お母さんがなんだかもじもじしだす。

「……あのね、二人っきりで話したいことがあるの。夕方、泉で待ってるから、来て欲しいんだけど」

「いいよ」

「じゃあ待ってるから」

 わたしの女の勘がピンとくる。お母さんは夕方、お父さんに告白する気に違いない。お母さんは告白してフラれるのが怖いから、告白する直前にセーブする気なんじゃないだろうか。

「素敵な歌だったよ」

 お父さんがわたしに向かって笑みを浮かべながら、わたしの帽子の中にチップを入れてくれる。お母さんも入れてくれて、二人は立ち去って行った。

 夕方、わたしは泉の傍の茂みの中に身を潜めていた。勿論二人の様子を盗み見に来たのだ。沈み行く夕日の光を泉が照り返している。告白するにはうってつけの綺麗なロケーションだった。泉のほとりにある東屋の中、既に来ていたお母さんは、椅子に腰掛け、しきりに前髪を弄ったり、服を整えたりを繰り返していた。そこにお父さんがやってきた。お母さんが既に来ていることに気づいたお父さんが小走りになる。

「ごめん、待った?」

「ううん。今来たとこ」

 お父さんがお母さんの対面の椅子に腰掛ける。お父さんが泉に顔を向ける。

「綺麗だね」

「うん」

 そのまま会話が途切れ、静かな時間が暫く流れる。お母さんが意を決して口を開いた。

「アセビ君。その、あのね……」

「うん?」

 お母さんが一度深呼吸してから言った。

「わたし、前に一緒に旅してた時から、アセビ君のことがずっと好きだったの!」

「えええ!?」

 仰天したお父さんが、椅子から転げ落ちて尻餅をついた。「格好わる……」わたしの口から二人に聞こえない程度の呟きが漏れる。慌てて立ち上がったお母さんがお父さんに手を貸す。

「大丈夫!?」

 お父さんはお母さんに助け起こしてもらい、二人が椅子に座りなおす。

「ごめん。びっくりしちゃって思わず落ちちゃったよ。まさかリーシャがぼくに告白してくるなんて思ってなかったから」

 わたしは両親から二人の馴れ初めを聞いて知っていた。旅の途中、とある村で出会った二人。歌って演奏してたお母さんに、お父さんが声をかけたそうだ。その村から向かおうと思っていた次の目的地が、二人とも一緒だった。二人だけでなく、目的地が同じ人が他に数人したから、その人たちも一緒に、その村から暫くの間、お父さんとお母さんは旅をすることになったらしい。二人ともその時にお互いを好きになった。でもお父さんは、お母さんは高嶺の花だと思って、告白するなんて考えられなかったと言っていた。一緒に旅をしてた他の男性冒険者たちが、何度もお母さんに言い寄っていたし、お母さんが道を歩けば男性はみんな振り返るし、酒場に行ったらお母さんは必ず男性から声をかけられていたらしい。お母さんも奥手な性格で、なかなか告白する勇気が出なかったと言っていた。

「ほんとに? ぼくがす、す、すす、好き、なの?」

 言いながらお父さんが顔を赤くしていく。お父さんに聞き返されたお母さんも、顔を耳まで朱に染める。そして無言で頷く。そんないじらしいお母さんの姿を見たお父さんの顔が更に赤くなり、頭から湯気が出た。

「でも恥ずかしくて、今まで告白できなかったの。お互い別々に旅をするようになってからは、当たり前だけどアセビ君にほとんど会えなくなったでしょ。アセビ君との旅が終わった後も、わたしずっとずっとアセビ君のことが忘れられなくて、好きな気持ちもずっと消えなかったの。一緒に旅したのって三年前だよね。それから一度再会したのが、二年半前。今日ここで会えたことは最後のチャンスかもしれないと思って。今言わなかったら、もしかしたら、もう二度と会えないかもしれないと思って、思い切って告白したの。それで……」

 お母さんが上目遣いになってお父さんを見つめる。返事の催促をされたお父さんがパニックになって挙動不審な動きになる。

「えーっと、その、えっと、いや、なんていうか、あの、えと……」

 頭の中が整理できていないことが、傍から見ているわたしにもわかった。

「ごめんね。いきなりこんなこと言われたって、困るよね。明日の朝、ここで待ってるから。返事はその時に聞かせてくれたらいいから!」

 お母さんが恥ずかしさに耐えかねたかのように立ち上がり、猛然と走り去って行った。

 お母さんと入れ替わるようにして、別の方向から誰かが走ってきた。走ってきたのはお母さんだった。でも様子がおかしい。着ている服がさっきまでここにいたお母さんとは違っているし、その顔には焦りが浮かんでいる。東屋まで走ってきたお母さんは、告白されて放心状態となっているお父さんを見て、息を切らせながら落胆する。

「遅かったか……」

 お母さんの再登場に、惚けていたお父さんが驚く。

「リ、リーシャ!? やっぱり今すぐ返事した方がよかった!?」

「いいえ、違うわ。わたしはさっきまでここにいたわたしじゃないから」

「え、どういう……」

「わたしは二年後の未来からやってきたリーシャよ」

「未来からやってきたリーシャ?」

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