小さなメダル 第5話



 夕飯時になると、昼過ぎから降っていた雨は止んでいた。仕事は遅々として進まず、昼食と同様、リインに夕食を食べる時間は与えられなかった。雑務の最中、従業員食堂の傍を通りかかったリインは、今日の夕飯も一緒に食べることができない旨を、ウェルベルに伝えるため、従業員食堂の入り口まで移動した。しかしそこにウェルベルの姿はなかった。食堂を覗くが見当たらない。昼に叱ったことでまだ拗ねていて、それで先に一人で食べて寮に戻ったのかもしれない。と思考をめぐらせるが、それでもリインの胸から心配は消えなかった。

 リインは仕事の手を止めて、ウェルベルを捜し始めた。従業員寮の自分たちの部屋の中や、屋敷の中でウェルベルがよく遊んでいる場所に足を運ぶが見つからない。「ウェルベル!」と大声で呼びかけながら捜し、他の従業員たちに「ウェルベル見ませんでしたか?」と尋ねてまわる。何事かと訊いてきた同僚たちに事情を話すと、みな仕事の手を止めて捜すのを手伝ってくれた。

 リインが同僚たち数人と客室が並ぶ棟の廊下で、ウェルベルの名を大声で呼んでいると、あてがわれた客室の中にいたアセビとソプラナが、扉を開けて顔を出す。アセビが口を開く。

「どうしたんですか?」

「ウェルベルがいないんです。見かけませんでしたか?」

 アセビとソプラナが首を横に振る。

「これだけ捜しても見つからないなんて、どこに行ったのかしら」

 リインが疲れた顔で呟いた時、執事が、はっとした顔になる。

「まさか、森に行ったんじゃあ……」

 その場にいた全員の視線が執事に向く。

「どういうことですか?」

「実は今日の昼間に、小さなメダルを持ってきたという冒険者の方たちが、屋敷の門の前に参られたのですが、いつものようにわたくしが、小さなメダルを検めさせていただこうとしたところ、背負い袋の中に入れておいたはずのメダルがなくなっていることに気づかれまして。おそらくこの町に来る途中、町の近くの森の中を通った時に、ストラモンキーに盗られたんだとおっしゃって、取り返すために森の中に引き返して行かれたんです。そのやりとりを傍にいたベルちゃんも聞いていたんです。ベルちゃんは最近、小さなメダルを欲しがっていましたから、もしやと思いまして」

 リインたち屋敷の従業員たちは、町の中を捜すグループと、森の中を捜すグループに分かれ、捜索を続ける。リインはフライパンを武器として装備し、武器を携行したアセビとソプラナたちと共に、町を出てすぐのところにある森の中に向かった。

 昼間でも薄暗い森の中に足を踏み入れる。日が暮れかけている今、森の中には朧月夜のような闇が広がっている。しかし月の雫で濡らしたリインたちの瞳は、その闇を押しのけていた。先程まで降っていた雨により、地面の土は柔く、踏みしめる足の裏が沈み込む。ところどころに暗い水を湛えた、水溜りが散見される。

 ウェルベルを呼ぶ声が森の中を進んでいく。ひとかたまりになって進んでいたリインとアセビとソプラナの耳に、森の奥から騒がしい声が聞こえてくる。急いで声を追いかけていく。視界の中に小さく、クレセントキティ族の血を引き、夜目が利くウェルベルの瞳が、闇の中で光っているのを捉えたリインが叫ぶ。

「ウェルベル!」

 ウェルベルは手に持った木の棒を振り回し、一人で三匹のストラモンキーを相手取っている。ストラモンキーは、紺色の毛並をした、体長約五十センチ程の猿型モンスターだ。主に森の中に棲息し、自分たちのテリトリーに踏み込んできた人間を見つけると、進路を先回りして、木の上や茂みの中に潜み、襲い掛かって物を盗んで行く習性がある。しかし、その強さは大したことはなく、戦闘訓練を積んでいない人間でも倒せる程度だ。しかしながら、いくらウェルベルが身体能力の高いクレセントキティ族の血を引いているとしても、所詮は三歳児、ウェルベルは劣勢を強いられていた。

 一匹のストラモンキーの手に、おそらくそれも人間から盗んだのであろうナイフが握られていた。ストラモンキーは人間から奪った物を、器用に使いこなすという特技がある。ナイフを持ったストラモンキーが、ウェルベルの胸目掛けてナイフを突き込む。

「ウェルベル!!」

 リインの悲痛な叫びが森の闇を貫く。突き攻撃をくらったウェルベルが、そのまま押されて背中から水溜りの中に倒れた。ソプラナが矢を飛ばし、抜剣しながら疾駆しウェルベルの元に到着したアセビが、剣を数度振るい、リインがフライパンを振るうと、分が悪いと思ったのか、それだけで臆病な性格のストラモンキーたちは、散り散りに森の奥へと遁走していった。リインはフライパンを放り出し、倒れているウェルベルに駆け寄り、抱え起こす。そして刺されたように見えた胸を診る。すると傷がどこにも見当たらない。

「ウェルベル!? どこか痛いとこない?」

「うん。平気だよ」

 水溜りの中に倒れたことにより、ウェルベルは泥だらけになっていたが、怪我はないようだ。リインが安堵の息を吐く。

「ナイフで刺されたように見えたけど、無事でよかった……」

 ウェルベルを立ち上がらせたリインが、ウェルベルの頬を打つ。ウェルベルの顔が横に向き、乾いた音が森の中に響く。

「モンスターが出る森になんて来たら危ないでしょ!」

「ごめんなさい……」

 ウェルベルが顔を歪ませ、その瞳からぽろぽろ涙が零れる。

「そんなにカニのぬいぐるみが欲しかったの?」

「え?」

「誕生日プレゼント買ってあげないって言ったから、小さなメダルとカニのぬいぐるみを交換してもらおうと思って、こんな無茶したんでしょうけど、プレゼント買えなくなったのは、ウェルベルが花瓶割ったからなんだから、大人しく反省してなさい! どれだけ心配したと思ってるの!」

 つと話し声と足音に目を遣ると、森の奥から二人の冒険者らしき男が姿を現した。森の中、四人から少し離れたところを、二人の男たちは歩いていく。

「はあ、取り返せてほんとよかったぜ」

「失くしたって言い出した時は焦ったぞ」

「ははは、悪い悪い」

 昼間、屋敷の門の前で、小さなメダルをストラモンキーに盗られたと騒いでいた二人組だった。どうやら首尾よく、小さなメダルを奪い返すことに成功したらしい。上機嫌の男たちは、談笑しながら町の方向に歩き去っていった。それをじっと見ていたウェルベルが小さな肩を落とし、泣きべそをかき始めた。

 町に戻り、屋敷の門を通る。広大で美しい庭園の中、舗装された石畳の上を、四人は歩いていた。水溜りに倒れて、服も体も泥で汚れたウェルベルを見下ろし、リインが口を開く。

「泥だらけね。お風呂に入らなくっちゃ」

 アセビが改めてウェルベルの体に目を向ける。

「そういえばどうしてベルちゃんは無事だったんだろう?」

「それはわたしも思ったわ。ナイフが胸に刺さったと思って、肝が冷えたもの。ベルちゃん、本当に怪我してない?」

「うん。大丈夫」

 ウェルベルが首を折り曲げ、自分の胸を見る。

「あ、お守り破れてる」

 どうやらナイフで胸を押された時、布製のお守りが切られていたらしい。ウェルベルは思わずお守りを持ち上げた。するとナイフで切られ、開いた穴から、なにかが転がり出る。硬質な音を立て、石畳の上に落ちたのは、一枚の小さなメダルだった。すかさずウェルベルが拾い上げる。

「小さなメダルだ!」

 小さなメダルを手に持ったまま、ウェルベルが駆け出した。ウェルベルの向かう先は屋敷の玄関だ。

「あ、待ちなさい! ウェルベル!」

 リインが慌てて追いかける。アセビとソプラナもついていく。しかし、クレセントキティ族の血を引くウェルベルの足は速く、彼我の距離は簡単には縮まらない。案の定泥だらけまま、ウェルベルは屋敷の扉を開けて中に入ってしまった。三人もすぐに屋敷の扉を抜ける。

「もう! 誰が掃除すると思ってるのよ!」

 ウェルベルは一目散に屋敷の廊下を駆け抜けながら、服と体についた泥を撒き散らしていた。上等な紅い絨毯の上に、汚泥の点をつけていく。

「ウェルベル! 待ちなさいったら!」

 ウェルベルはリインの声を無視し、全力で駆けていく。そしてウェルベルが向かった先は、ゼブリラの私室だった。

「あ、こら! 入っちゃダメ!」

 扉を開けたウェルベルが、ゼブリラの私室の中に入る。三人もすぐに駆け込む。革張りのチェアーから腰を浮かせたゼブリラが、眉を吊り上げていた。

「こら! そんな汚い格好で屋敷に入ってくるんじゃない! 絨毯が泥だらけじゃないか!」

「申し訳ございません!」

 リインがウェルベルを抱え上げようとするが、ウェルベルがそれをすばやくかわし、ゼブリラの前までやってくる。そして小さい手できゅっと掴んでいた、小さなメダルを掲げて見せる。

「小さなメダル持ってきた!」

「おお! 小さなメダルじゃないか! よく見つけてきたな! でかしたぞ」

 小さなメダルを見た瞬間、ゼブリラの顔から怒りが消し飛んだ。その顔には笑みが浮かび、瞳は子供のように輝き、小さなメダルに釘付けになっている。ゼブリラがウェルベルから小さなメダルを受け取る。受け取った方とは逆の手で、ゼブリラは泥で汚れることも構わずに、ウェルベルの小さな頭を撫でた。褒められたウェルベルが、嬉しそうな笑みを浮かべる。

「えへへ!」

 ウェルベルとゼブリラのやりとりを見ていたリインは、今すぐにウェルベルを風呂に入れにいくのをやめ、大人しく見守ることにする。

「小さなメダル持ってきたら、なんでも好きな物と交換してくれるんでしょ?」

「ああ、そうだとも。なにか欲しい物があるのかい?」

「ある!」

「可愛い服か? お菓子の家か? それともおもちゃかな?」

「違うよ! そんなのいらない!」

「じゃあなにが欲しいんだい?」

「ママが欲しい!」

「ママだって? ウェルベルのママならそこにいるじゃないか」

 ゼブリラが、ウェルベルの後ろに立っているリインを指差す。

「もう一人ママが欲しい!」

「もう一人だって? 一体どういうことなんだ?」

「ママお仕事忙しいって言って、ちっとも遊んでくれないから。もっとベルと一緒にいてくれるママが欲しい!」

 それを聞いたリインが、はっとする。

「そう言われてもなあ。さすがにそれは無理じゃわい」

「どうして!? メダル持ってきたらなんでも交換してくれるんじゃなかったの!?」

「すまんがわしでも、もう一人のママは用意できんよ」

 ウェルベルの瞳に涙が浮かぶ。

「一生懸命探して、やっと見つけたと思ったのに。どうしてママはくれないの? もっとママと一緒にいたいよお……! わああん!」

 さっきリインに頬を打たれた時より激しく、ウェルベルが泣きじゃくる。

 リインはウェルベルが小さなメダルを探している理由は、誕生日プレゼントを買ってあげないと言ったから、誕生日プレゼントとして欲しがっていたカニのぬいぐるみと、小さなメダルを交換して欲しかったんだろうと、てっきり思っていた。誕生日プレゼントを買ってあげないと言う前から、ウェルベルが小さなメダルを探していたことに、勿論リインは気づいていた。その時もなにか欲しい物があるんだろう、くらいにしか思っていなかった。誕生日プレゼントを買ってあげないと言った後に、ストラモンキーのいる危険な森の中に小さなメダルを探しに行ったものだから、カニのぬいぐるみが欲しいのだろうと思っていたら、ウェルベルは誕生日プレゼントが貰えなかったから、ここまで無茶をしたのではなく、リインと誕生日パーティを楽しみたかったから、危険な森の中にまで行ったのだ。それを理解したリインの瞳に涙が込み上げてくる。結婚して子供ができたら、自分の子供には孤児だった自分とは違って、寂しい思いはさせるまいと思っていたはずなのに。最近仕事に忙殺されて、ウェルベルの気持ちを考える心の余裕がなくなっていた。そのせいでウェルベルの気持ちに気づいてあげられなかった。リインは涙をぼろぼろ零しながら、泣きじゃくるウェルベルを抱きしめた。

「ごめんね。寂しい思いさせてたんだね。気づいてあげられなくてごめんね」

 リインとウェルベルは暫くの間、涙を流し続けた。それを見ていたゼブリラが口を開いた。

「小さなメダルの交換報酬は、親子で過ごす時間を増やしてほしい、で間違いないかな?」

 しゃくりあげながらウェルベルが首肯する。

「よしわかった。なら新たに秘書を何人か雇うことにしよう。そうすれば一人頭の仕事量が減って、勤務時間も減るからな。それから一輪挿しを割ったことも不問にしよう。よって給金半減の処分もなしじゃ。それからリインの給金を今の倍に上げよう。そうじゃ、いっそのこと屋敷の中に託児所を作ることにしようか。他の従業員も子供を職場に連れてきても良いことにすれば、他の子供や保育士と一緒に過ごせて、リインが仕事中の時も寂しさを紛らわすことができるじゃろう」

 驚いたリインが目を瞠る。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「なんだ?」

「どうしてこの子の要求以上の報酬までくださるのですか?」

「なにを言っている。ウェルベルが持ってきたこれはギザメダルだぞ」

「ギザメダル?」

 怪訝に訊き返すリインにゼブリラが頷く。

「ただでさえ、稀少な小さなメダルの中でも、ギザメダルは殊更に稀少で、通常の小さなメダルよりも価値が高いのだ。この程度の報酬を与えることは当然だぞ」

 ウェルベルが、ゼブリラに渡した小さなメダルを見上げる。

「普通のメダルとどこが違うの?」

「ほら、ここじゃ。縁の部分がギザギザになっとるじゃろう?」

 ゼブリラが屈んで、ウェルベルにメダルの縁を見せる。先程お守りの中から小さなメダルが出てきた時、ウェルベルは拾った小さなメダルをよく見もせずに、すぐさま駆け出して、この部屋までやってきた。だから今、こうして見せてもらうまで、気づかなかったが、ゼブリラの言う通り、確かによく見てみると、メダルの縁がギザギザになっている。それを見たウェルベルは目を瞠った。

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