小さなメダル 第4話



 ウェルベルの不機嫌は頂点に達していた。そんなウェルベルは、誰彼構わず八つ当たりしていた。書類の束を運んでいた秘書を見つけると、先回りしてたくさんのビー玉を床に転がし、転倒させた。無様に転んだ秘書を見て、ウェルベルは爆笑した。怒られるとすぐに走って逃げた。その次は屋敷の白い壁に、クレヨンでカニの絵の落書きをした。完成したカニの絵を、腰に手を当てて眺めてみる。ウェルベルはふと、耳に波の音、鼻に潮の香りを感じた気がした。そういえば自分は実際にカニを見たことがないのに、どうしてカニを好きになったんだろう? カニのいる海に行ったことなんてあっただろうか? と頭に疑問が浮かんだ。疑問が氷解する前に、落書きを見つけた執事に怒鳴られ、ウェルベルは慌てて壁の前から走り去った。執事を振り切り、再び屋敷の中に戻ったウェルベルは、先程ビー玉で転ばせた秘書に、リインが頭を下げているところに出くわした。リインと目が合う。

「ウェルベル! ちょっとこっちに来なさい! あ、待ちなさい!」

 踵を返し、遁走したウェルベルは、屋敷を囲う高い塀の傍に立っている、一本の木によじ登った。そして太い枝の上に立ち、そこから塀の外に向かって大きく跳び、塀の外の石畳の上になんなく着地した。身体能力の高いクレセントキティ族の血を半分引いているウェルベルにとっては、造作もないことだった。

 町に出たウェルベルは、視線を地面に這わせ、小さなメダルが落ちていないか目を皿にして探す。町の広場に行き着いたウェルベルは、広場の一角に人だかりができていることに気づいた。近づいてみると、憎きソプラナが段差に腰掛け、膝の上に置いたハープを奏でながら歌を歌っている。周りの人たちが心地よさそうにそれを聴いている。ソプラナが歌い終わると聴衆たちは笑顔で拍手を送り、ソプラナの足元に置かれている帽子の中に、幾人かがチップを放り込む。チップのコインとコインがぶつかり、チャリンチャリンと音を立てる。ウェルベルは、もしかしたらあのコインの中に、小さなメダルが混じってるのではないかと思った。ウェルベルはすばやく帽子に駆け寄ると、しゃがみ込んで帽子の中に小さな手を突っ込み、掴んだ硬貨が小さなメダルじゃないか確認し、違うとわかると帽子の外に投げ捨てる。そしたまた帽子の中の硬貨を掴み上げて確認し、外にポイっと投げ捨てるを繰り返す。帽子の中を漁るウェルベルの頭上から、ソプラナの声が降ってくる。

「こら、なにするの。お金で遊んじゃダメでしょ」

 傍にいたアセビが歩み寄ってくる。

「お金が欲しいわけじゃないみたいだね。投げ捨ててるし。お金が欲しいんだったら投げるわけないしね」

「ベルちゃん、なにしてたの?」

「小さなメダル探してたの」

「あんな貴重な物をチップとしてくれる人なんていないよ」

「なあんだ……」

 立ち上がったウェルベルは、肩を落として歩き去ろうとする。

「どこ行くの?」

「小さなメダル探してくる」

「メダル王の屋敷のこんな近くに、小さなメダルが落ちてるはずないと思うよ。この町に住んでる人たちは、他の町に住んでる人たちよりも、頭の片隅でいつも、小さなメダルが落ちてないかなって意識しながら生活してるだろうしね。もし誰かが落としたとしたら、落とした瞬間に誰かが拾ってるよ。ベルちゃんの行ける範囲にはまず落ちてないよ」

「むー……」

 ウェルベルはとぼとぼ歩いて、屋敷の前まで戻ってきた。屋敷の門のところに、冒険者らしき二人の男がいるのを見つける。ウェルベルは二人に気づかれないように近づいていき、門の近くの植え込みの陰に身を隠す。男の一人が門の横についている鈴を鳴らすと、間もなく執事が現れた。

「本日はどういったご用件でしょうか?」

「ここってメダル王の屋敷だろ? 小さなメダルを持ってきたんだ」

「お手数ですが、お持ちの小さなメダルを拝見させてもらってもよろしいでしょうか?」

 偽物を持ってくる輩を屋敷に入れないための措置である。男の一人が背負い袋を背中から降ろし、袋の口を開けて中に手を突っ込む。

「少々お待ちを」

 メダルを出そうとしている冒険者に、執事が手の平を向けて、メダルを出す手を止めさせる。数瞬の後、

「うわあ!」

 執事に首根っこを掴まれたウェルベルが、持ち上げられる。

「やはりいましたか。お客様にご迷惑をかけてはいけませんよ」

 誰かが屋敷に小さなメダルを持ってきた時、門の前で必ず執事がそれが本物かどうか確認することを知っているウェルベルは、こうして植え込みに隠れ、来客が小さなメダルを取り出した瞬間を狙って飛び掛り、小さなメダルを奪おうとしたことが、今までに何度もあった。未だに成功したことがないこの作戦を、ウェルベルがしつこく繰り返すので、最近執事は、客人が小さなメダルを取り出す直前に、こうして植え込みの陰にウェルベルが隠れていないか確認するようになっていた。ウェルベルが手足をじたばたさせる。

「放して!」

 執事はウェルベルを片手で掴み上げたまま、男二人の元に戻る。

「お待たせしました。メダルを拝見させてください」

 男の一人が改めて背負い袋の中に手をいれ、小さなメダルを探す。暫く探し続けた男の眉根が寄る。

「あれ? おかしいな」

「どうした?」

「見つからないんだよ」

 男が背負い袋の中に入れている物を取り出し、石畳に並べていく。中の物を全部外に出し、袋を逆さに向けて振ってもメダルは出てこない。

「ない! メダルがない!」

「なんだって!?」

「多分さっき森の中で、ストラモンキーに盗られたんだ……!」

「荷物盗られた後追いかけて、それで盗られたもんは全部取り返したって言ってたじゃないか」

「食べ物ばっかり盗って行ったから、腹が減ってたんだろうと思ったんだ。まさかそれ以外の物まで盗られてたなんて……」

「どうしてあの時ちゃんと荷物を確認しなかったんだよ!」

「すまん。ここまで来て盗られるだなんてな。ついてねえぜ」

「取り返しに行くぞ」

「え?」

「それしかねえだろ」

「あ、ああそうだな」

 地面に出した物を袋の中に仕舞うと、二人の男たちは町の外に広がる森に向かって駆け出した。ウェルベルを掴み上げたまま、執事が門を通って屋敷の敷地の中に戻る。

「一人で屋敷の外に出てはいけないって、いつも言ってるだろ。ほら雨も降ってきたし、屋敷の中に戻るよ」

 ウェルベルは執事に持ち上げられたまま、屋敷の中に連れ戻されるのだった。

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