小さなメダル 第3話
翌日の朝、ウェルベルはソプラナが泊まっている客室の前にやってきた。ウェルベルの手には、外で拾ってきた木の棒が握られている。
ウェルベルは今までの経験から、リインの仕事が忙しくなる原因は、誰かが小さなメダルを屋敷に持ってきた時だということを理解していた。昨日小さなメダル持ってきていたソプラナのせいで、自分の誕生日パーティが延期になったことに、ウェルベルは怒り心頭になっていた。ウェルベルが扉をノックする。間もなくソプラナの返事と共に扉が開き、ソプラナが顔を覗かせた瞬間、ウェルベルが木の棒を振り回しながらソプラナに飛び掛る。悲鳴を上げて部屋の中に退避するソプラナを追いかけ、ウェルベルも部屋の中に入り込む。そしてソプラナを追い掛け回しながら部屋を荒らした。枕を投げたり、振り回した木の棒が、窓際に飾ってあった一輪挿しの花瓶に当たり、水を零しながら倒れて割れる。ソプラナのハープを投げて壊そうとしたところで、ソプラナと取っ組み合いになる。騒ぎを聞きつけ、隣の部屋からやってきたアセビが、ウェルベルを取り押さえた。ソプラナの口から騒動がメイドに伝えられ、母親であるリインがソプラナの部屋の前にやってきた。
「どうしてこんなことしたの!?」
「あのお姉ちゃんがメダル持ってきたせいで、ママが忙しくなって誕生日会できなくなったから。メダルを持ってくる奴は悪もんだから」
「メダルを持ってくる人は悪者じゃないの! 誕生日会は仕事が落ち着いたらするって言ったでしょ! 本当に申し訳ございませんでした」
ソプラナとアセビに、深々と頭を下げてリインが謝罪する。
「ほら、あんたも謝りなさい!」
「べー!」
下まぶたを指で引っ張って剥き、舌を出すウェルベル。
「こら! 本当に申し訳ありません」
リインがウェルベルの頭を押さえつけ、無理矢理謝らせた。
リインが仕事に戻った後、ウェルベルは屋敷の広い庭で、一人でままごとをして遊んでいた。ウェルベルは少女を模した可愛らしい人形を使い、一人で母と子の二役を演じている。ウェルベルが母親で、人形が子供だ。ウェルベルが子供である人形のセリフを喋っていると、屋敷の玄関扉から、アセビとソプラナが出てきた。ソプラナが視界に入り込んだ瞬間、眉を吊り上げたウェルベルがソプラナに駆け寄り、そのまま飛び蹴りを放つ。しかしアセビに防がれ失敗に終わった。二人に注意されるが、ウェルベルは悪びれた様子もなく、また一人でままごとを始める。子供の悪戯に特に腹を立てているわけではないソプラナは、気にせずウェルベルに歩み寄り、話しかける。
「ままごとしてるの?」
ウェルベルがチラとソプラナに目を遣る。そしてすぐに逸らしてままごとを続ける。無視するかと思いきや、意外にもウェルベルは答えた。
「うん。そうだよ」
「お友達は?」
「いない」
「いつも一人で遊んでるの?」
「うん」
「ごめんね。わたしのせいで誕生日会延期になっちゃって。でもノビーヨの楽譜どうしても欲しかったんだ」
ウェルベルがソプラナを一睨みし、すぐにままごとを再開する。
ままごとをするウェルベルを暫く見ていたアセビが素朴な疑問を口にする。
「ままごとにお父さんは出てこないの? ぼくがやろうか?」
「いい。パパはいらないから」
「どうしてパパはいらないの? パパのこと嫌い?」
「ベルにパパはいないから。ベルにはママしかいないの」
「そうなんだ。お父さんがいないのは寂しいね」
「ううん。最初からパパいないから、寂しくない」
二年前、自分が一歳の時に亡くなったモンドのことを、ウェルベルはなにも覚えていなかった。「ウェルベルの猫耳と尻尾は、パパがくれたものなんだよ」とリインから聞かされても、なんの実感も湧かなかった。ウェルベルは、自分に父親は最初からいないものだと思っている。いないのが当たり前だと思っているから、自分に父親がいないことに関して、ウェルベルは別段、寂しいともなんとも思っていなかった。言い方は悪いが、モンドはウェルベルにとってはどうでもいい存在なのだった。
リインはゼブリラから呼び出しをくらう前に、自らゼブリラの執務室に赴いていた。そしてウェルベルがソプラナの客室で暴れたことを説明した。話が部屋の中に飾られていた一輪挿しを、ウェルベルが割ったことに差し掛かると、ゼブリラの激昂が執務室の中を迸った。
「あの一輪挿しがいくらすると思ってるんだ! お前が一生働いても弁償できないくらいの値打ちもんなんだぞ! 当分の間、お前の給金を半分にするからな! クビにならないだけましと思え!」
「まことに申し訳ありませんでした!」
怒られている間、リインは何度も深々と頭を下げた。
正午、いつもならリインが昼休憩を取っている時間。書類を抱えたリインは忙しなく、屋敷の廊下を早足で歩いていた。廊下の向かい側から、ウェルベルが角を曲がってやってきた。ウェルベルがリインに気づき、駆け寄ってくる。
「あ、ママー! お昼ごはん一緒に食べよう!」
「一人で食べに行きなさい」
「えー! 一緒に食べようよ!」
「ウェルベルが花瓶割ったから、ママはお昼ご飯食べる時間がなくなっちゃったの」
ただでさえ忙しいというのに、リインは割れた一輪挿しを片付け、零れた水で濡れた床を掃除し、代わりの花瓶に花と水を差し、それをソプラナが使用している客室に置いたり、ゼブリラに謝りに行かなければいけなかった。それらのせいで、今日のリインの昼休みはなくなってしまったのだった。
「ウェルベルが花瓶割ったから、誕生日パーティはしないからね。誕生日プレゼントのカニのぬいぐるみもなしよ」
ウェルベルが愕然とする。
「えー! なんで!? ひどいよママ!」
「あの花瓶は凄く高いの! あんたが花瓶割っちゃったから、ケーキもプレゼントも買えなくなっちゃったのよ!」
元々そんなに多くないリインの給金が、当分の間、半分になってしまい、ウェルベルのバースデーケーキとプレゼントを買う金銭的余裕がなくなったのだ。ケーキもプレゼントもなしの誕生日パーティなどやっても、ウェルベルが喜ぶわけがない。だからリインは、今年のウェルベルの誕生日パーティを中止することに決めた。
「前から花瓶とか壺には触らないようにって言ってたでしょ!」
この屋敷の中の調度品は、もれなく全てが超の付く高級品だ。ウェルベルが瞳に涙を浮かべる。
「そんなぁ……。楽しみにしてたのに! お誕生日パーティしてよ! お願いママ! カニさんのぬいぐるみも買って買って!」
「ウェルベルが悪いんでしょ! 駄々こねてもダメ! もう絶対やっちゃだめよ! 反省しなさい!」
半べそをかくウェルベルをその場に残したまま、リインは歩き去った。
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