小さなメダル 第2話
二年前、ウェルベルがまだ一歳だった時、夫のモンドが出張先でモンスターに殺されてから、リインはシングルマザーになった。リインもモンドも孤児で、二人とも両親の顔すら知らずにそれぞれ別の孤児院で育った。出会った時、お互いの孤児という境遇。それから結婚したら子供を作って、子供には孤児だった自分たちとは違い、幸せな家庭環境を作って育てたい、という結婚観、子育て観が一致し共感した。そんな二人が惹かれあうのにさほど時間はかからなかった。結婚したリインは専業主婦になった。
孤児だったリインとモンドには、頼れる家族も親戚もいなかった。モンドが亡くなりシングルマザーとなり、収入が入ってこなくなったリインは、働かなければならなくなった。仕事を探すが、仕事場に幼い子供を連れて行ける職場はなかなか見つからず、リインは途方にくれた。生前モンドが働いていたのはゼブリラ武器商会だった。リインを見かねたモンドの元同僚たち数人が、リインと共に頼み込んでくれて、やっとのことでゼブリラの屋敷でメイドとして雇ってもらえることになった。同僚たちの話では、モンドは商会の中で真面目に働き、商会に大きく貢献する仕事ぶりで、同僚たちから信頼されていたらしく、それがあったからリインは雇ってもらえたのだ。
ゼブリラの屋敷の敷地内にある、従業員寮に今、リインはウェルベルと二人で住んでいる。リインはウェルベルを仕事場に連れていき、ウェルベルの面倒を見ながら働くようになった。ウェルベルが三歳になった今では、リインは仕事中に常にウェルベルを自分の目の届くところに置く必要はないと判断し、仕事に専念するためにウェルベルを屋敷内で一人で遊ばせるようになった。モンドの元同僚たちと共に、必死に頼み込んだリインだけが特例として、職場に子供を連れてきても良いことになっている。リイン以外の、従業員寮に住んでいる他の従業員たちの中に、子供がいる者はいない。屋敷の外に住み、屋敷に通勤している他の従業員たちは、屋敷に子供を連れてこれないので、この屋敷にはウェルベル以外に子供はいない。
リインが仕事をしている時間、ウェルベルはずっと一人で過ごしている。しかし、仕事中にリインがウェルベルの面倒を見ている間、リインの仕事の手が止まり、リインの仕事を同僚たちに代わりにやってもらうことになる状況も未だにしばしばあり、自分だけが特別扱いされているリインは、職場で肩身の狭い思いをしていた。そんなリインの気も知らないウェルベルが、悪戯をして同僚たちの仕事の邪魔をする度に、リインは頭を下げることになるのだった。
もう夕飯時を迎えていたが、リインの仕事は終わっておらず、残業をしていた。仕事中、従業員食堂の傍を通りかかる。この時間になると、ウェルベルはいつも従業員食堂の前で、リインがやってくるのを待っている。放っておいたとしても、暫く待ってリインが来ないとわかったら、ウェルベルは諦めて一人で夕飯を食べることも、リインはわかっていた。しかし折角従業員食堂の近くに来たので、ウェルベルに自分を待たせているのも悪いと思い、今日は一緒に食べられないから先に食べるよう伝えるため、リインは少し寄り道して従業員食堂に向かうことにした。従業員食堂の入り口には、案の定待ちぼうけているウェルベルの小さな姿があった。近づいてきたリインに気づいたウェルベルが、ぱっと笑顔になり、リインの足元まで駆け寄ってくる。
「ママ、ご飯食べよう! お腹すいた!」
「まだ仕事終わらないから、一人で食べて、家に戻ってなさい」
「えー!? またぁ?」
落胆して不機嫌になるウェルベル。
最近立て続けに、小さなメダルを携えた客人がやってきていた。客人が小さなメダルを持ってくると、客人がメダルと交換して欲しい物を探すために、秘書たちが数人屋敷を離れることになる。最近は秘書たちが戻ってきたと思ったら、すぐにまた探しに出かけるから、屋敷に人手が足りない状況が続いており、リインは連日残業し、休日も返上して出勤し、忙しい日々を送っていた。リインは秘書兼メイドになってからの仕事歴がまだ浅く、そこまでゼブリラに信頼されていない。まだまだ重要な仕事は任せてもらえず、リインがメダルの交換品を方々へ探しに行くことは今のところなかった。
昨日も小さなメダルを持ってきた客人がいて、その客人がメダルと交換して欲しい物を探すため、数人の秘書が屋敷から出て行った。その秘書たちがまだ帰ってきていないというのに、今日もまた新たに小さなメダルを携えた客人がやって来て、精鋭の秘書数人が有名な抒情詩人の楽譜を探しに出かけていった。その秘書たちの抜けによる皺寄せは、屋敷に残っているリインたち他の秘書たちに回ってくる。そのせいでリインは残業をしているのだった。とはいえ今日は秘書数人が抜けたのが昼過ぎからだったため、そこまで忙しくはなかった。しかし明日からの数日間は、朝からずっと人手不足の状態から仕事が始まる。明日はいつもより早く出勤しろと、リインは既に上司から言われていた。明日からの仕事のことを考えるとリインは憂鬱になった。
我が子に手料理を食べさせてやりたいが、忙しくてなかなか難しい。だからリインは従業員食堂をよく利用している。それでも休日はできるだけ手料理を作るようにしていた。最近は忙しくて、従業員食堂でウェルベルと一緒にご飯を食べることすらできていない。
「お仕事なんだから仕方ないでしょ。ママ、もう仕事に戻るからね」
リインが踵を返して仕事に戻ろうとする。その背中にウェルベルが質問を飛ばす。
「ねえママ、明後日がなんの日か覚えてる?」
「ウェルベルの誕生日でしょ。覚えてるわ」
最近ウェルベルは、これと同じ質問を毎日してくる。よっぽど待ち遠しいらしい。
「誕生日パーティしてくれるって約束も覚えてる?」
ウェルベルの瞳は期待に満ち満ちている。
「ごめんねウェルベル。もしかしたら明後日誕生日パーティできないかもしれないの」
「えー!? どうして!?」
メダルとの交換品を探しに行った秘書たちが、いつ帰ってくるのか正確にはわからない。でも今までの経験からして、おそらく明後日までに戻ってはこないだろうことを、リインは察していた。明日からは朝からずっと人手不足の状態で仕事をすることになるから、仕事が終わる時間がもしかしたら深夜に及ぶかもしれない。ケーキとプレゼントを買って、二人だけの簡単な誕生日パーティをすることすら、おそらく無理だろう。
「お仕事忙しくなっちゃったのよ。誕生日過ぎてからになるけど、お仕事が落ち着いたら、ちゃんと誕生日パーティするから、それまでもう少し待っててね」
「ずっと前から楽しみにしてたのに! もう待てないよ! パーティ明後日にしてくれなきゃやだやだ!」
ウェルベルがリインのスカートにしがみつき、激しく揺する。
「無理言わないの。あんまりママを困らせないで」
「むー! ママの嘘つき! ママなんか嫌い!」
ウェルベルが従業員寮の方向に走り出す。
「待ちなさい! ご飯どうするの!?」
「いらない!」
走り去るウェルベルの後ろ姿を見つめ、リインは溜息を吐いた。
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