第三章 小さなメダル

小さなメダル 第1話

 曇り空の下、アセビとソプラナは背の高い雑草を掻き分け、沼地を歩いていた。暫く進むと雑草が途絶え、濃い緑色の泥水を湛えた沼が姿を現す。沼の中、いくつかの沈んだ岩たちが頭を覗かせ、その上に体長十五センチ以上もある、大きなカエルが鎮座していた。

「やだカエルがいるじゃない……」

 ソプラナが顔を顰め、カエルを警戒しながら沼を迂回していく。岩に座ってじっとしていたカエルが、そんなソプラナに向かってなぜか跳んできた。

「いやあああ!」

 飛び退いたソプラナがアセビに抱きつく。警戒していた賜物だろう、ソプラナは見事カエルを避けることに成功する。

「ははは! カエルぐらいでソプラナは大げさだなあ!」

「笑い事じゃないわよ! わたしがカエル嫌いなの知ってるでしょ!」

「あははは! ……ん? あれってひょっとして、小さなメダルじゃないかな?」

 アセビが指差す先にソプラナが顔を向ける。先程までカエルが鎮座していた岩の上に、それはあった。

「ほんとだ! プライムツィオだわ!」

 プライムツィオというのは、町や洞窟、山や森、世界各地で発見されている小さなメダルだ。様々な場所で発見されてはいるが、その数は稀少である。そんな小さなメダルを収集することに執着しているメダルコレクターと呼ばれる人たちがいる。彼らに小さなメダルを譲渡すれば、珍しいアイテムや武具と交換してくれるのだ。そんな彼らの存在により、小さなメダルの価値は非常に高かった。

 ソプラナが泥水に足が浸かるぎりぎりにまで沼に近づき、小さなメダルに向かって腕を伸ばす。しかし指先が届きそうで届かない。ソプラナが体を少し前に倒し、指先が触れたかと思った瞬間、

「きゃあああ!」

 バシャン! 足を滑らせたソプラナが、体のバランスを崩し、盛大な水飛沫を上げながら、泥水の中にダイブした。

「もう最悪! ドロドロじゃない! やだわたし臭いっ!」

 立ち上がったソプラナが、もう汚れることを気にせず、小さなメダルを掴み取る。

「はーあ……。でも小さなメダルが手に入ったんだから、よしとするわ」

「見つけたのぼくなんだけど」

「なに言ってるのよ! 泥塗れになってまで拾ったのはわたしなんだから、これはわたしが貰うからね!」

「はいはい、わかったよ」

 ソプラナが沼から上がってくる。

「小さなメダルを手に入れたことだし、ここからそう遠くないところに、有名なメダルコレクターが住んでいる町があるから、今から向かうわよ」

 メダルコレクターの住む町に到着した二人は、ソプラナの身を清めると、メダルコレクターの屋敷に向かった。

 門の横についていた鈴を鳴らして執事を呼び、門の前で執事に用件を伝える。小さなメダルを見せると、執事が中に案内してくれた。門を通った二人は、敷地の中を見て驚嘆した。小さな村だったら丸ごと入ってしまう程の広大な敷地面積。噴水が水を噴き上げ、庭の大きな花壇には、色とりどりの花々が咲き乱れ、たくさんの庭師が梯子に登り、植木の剪定をしている。二人は門から屋敷の玄関までの、あまりにも長い舗装された道を歩いていく。

 屋敷に入る。通路の床には毛の長い上質な紅い絨毯が敷き詰められ、そこかしこにいくらするのかもわからないような絵画や壺が飾られている。執事に連れられ二人は客室に案内され、ここで少し待つように言われる。客室の中も華美な装飾がなされていた。二人は豪奢なソファに腰掛ける。

「すぐに渡せるように、今の内に無限袋の中から小さなメダルを出しときたいから、ちょっと無限袋かして」

 アセビから無限袋を受け取ったソプラナが、開けた無限袋の口に向かって「プライムツィオ」と言うと、無限袋の中から小さなメダルが飛び出す。それをソプラナが空中で掴んだ瞬間、ソファの後ろから突然小さな女の子が飛び掛ってきた。

「きゃっ!」

 セミロングの黒髪を持つ頭の上に、三角形をした二つの耳がついており、お尻からは猫のような尻尾が生えている。クレセントキティ族の少女だ。まだ三歳くらいだろうか。紐にぶら下がったお守りを、首から提げている。咄嗟に立ち上がってかわしたソプラナの、小さなメダルを持っている手に向かって、少女は何度も飛び掛る。

「こらっ、なにするの! やめて!」

 全て回避するソプラナ。何度避けられても、少女はしつこく小さなメダルを奪うことをやめようとしない。そこに、お茶を載せたトレイを持ったメイドが扉を開けて入ってきた。少女とソプラナの攻防に気づいたメイドが眉を吊り上げる。

「こら、ウェルベルやめなさい!」

 つかつか早足で自分のところにやってくるメイドを目に留めた瞬間、ウェルベルと呼ばれた少女がメイドに駆け寄った。

「ママ遊んで!」

 ママと呼ばれたメイドには、猫の耳と尻尾が生えていない。

「ママお仕事中だから遊べないの。一人で遊んでなさい」

「えー! つまんない! 遊んで遊んで!」

「ほら、このお姉さんに謝りなさい!」

 ウェルベルはソプラナに向き直り「べー!」と指で目を剥きながら舌を出し、部屋から走り去っていく。

「こら! ちゃんと謝りなさい! もう! 屋敷の中を走り回っちゃダメっていつも言ってるでしょ!」

 ソプラナに体を向けたメイドが頭を下げる。

「申し訳ありませんでした。あの子には、後できつく言い聞かせておきますので」

「頭を上げてください。子供がやったことですし」

 部屋の中に別のメイドがやってくる。

「リインさん、なにやってるの! 早くこっち手伝って!」

「あ、はい。今行きます!」

 再度ソプラナに頭を下げると、リインと呼ばれたメイドは慌てて早足で退室していった。

 部屋で暫く待っていると執事に呼ばれ、二人は屋敷の主がいる部屋へと移動した。

「よく来てくれたわい! 待たせてしまって悪かったな!」

 屋敷の主ゼブリラの私室は、煌びやかすぎて目がちかちかする程絢爛だった。ゼブリラは、白い髭を蓄えた壮年の男性だった。金色の指輪を指にいくつも嵌め、お腹が少し出ている。ゼブリラは小さなメダルコレクターの中でも、メダル所有数が世界一と言われており、その通称はメダル王。小さなメダルをゼブリラのところへ持っていけば、欲しいと言った大抵の物を金に物を言わせて、用意してくれることで有名な大富豪だ。凄腕の武器商人として、一代で財を成したゼブリラは、今は息子に仕事を引き継がせ、悠々自適の隠居生活を送っている。

「して、小さなメダルは?」

 勧められたソファに腰掛けたソプラナが、テーブルの上に小さなメダルを置く。

「おお! これはまさしく小さなメダル! 本物じゃわい!」

 ゼブリラが小さなメダルを摘み上げ、眺め回す。その顔は、虫捕りで欲しい虫を捕まえることに成功した少年のようだ。ゼブリラがソプラナに目を向ける。

「交換報酬はなにがいい?」

「どんなハゲでもたちまち治る育毛薬はありますか? それか一瞬で痩せることができる痩せ薬でもいいんですけど」

「むう。すまんが、一瞬で痩せる痩せ薬も、ましてやどんなハゲでも治る育毛薬なぞ、聞いたことないわい」

「そうですか……」

 肩を落としたソプラナは、仕方なく別の物を要求する。

「ノビーヨという抒情詩人が作詞作曲した『裸足で飛び出そう!』という曲の直筆楽譜が欲しいです」

「おお、かの有名な大人気抒情詩人ノビーヨならわしも知っとるわい。はて? 『裸足で飛び出そう!』なんて曲あったかのう?」

「わたしは好きなんですけど、この曲はあまり有名じゃないんです。この曲の楽譜のレプリカは持ってるんですけど、本物が手に入るのなら欲しいとずっと思ってたんです」

「まあいいわい。小さなメダル一枚とその楽譜で交渉成立ということで、よろしいかな?」

「はい!」

 欲しい物が手に入ることになり、ソプラナの顔に笑みが咲く。ゼブリラが部屋にいた秘書に声をかける。

「ノビーヨの『裸足で飛び出そう!』という曲の直筆楽譜を探してこい。かの有名なノビーヨの楽譜だから、おそらくどこぞの金持ちが持っているんだろう。金はいくら出しても構わんから、譲るよう交渉してこい」

「かしこまりました」

 秘書はゼブリラに一礼し、すぐに退室していった。

「秘書たち数人を使って探させるが、それでも楽譜を手に入れるまで数日はかかると思う。悪いがそれまで待ってくれ。この屋敷の客室を宿代わりに使ってもらって構わん。勿論、食事もこちらで三食用意させてもらう」

 ソプラナは了承した。

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