ステータス異常【石化】 第9話
ある日、雨が降った。その翌日のことだ。ぼくたちはフウリとのいつもの待ち合わせ場所である、ラージャ川にやって来ていた。雨は既に止んでいたけれど、川はいつもより水嵩と川幅が増しており、水の流れも速くなっていた。
なんとなく、先に来た方がラージャ川を渡った先で待つ、という暗黙の了解が、ぼくたち三人の中でできていた。
「今日はおれたちが先か。行こうぜ」
「ちょっと待った。川を見てよ。危なそうだから、今日は渡るのやめた方がいいよ」
「これくらい、どうってことねえって。行ける行ける」
「ぼくは渡る自信ないや」
「ほんと臆病だな。よし、おれが渡れるってとこを見せてやるから、そこで待っとけよ。そしたらお前も危なくないって思えて安心できるだろ?」
「やめた方がいいってば!」
案の定、ギマはぼくの制止の声を無視して川に入って行く。いつもはぼくたちの膝くらいまでしかない水嵩が、今日は腰くらいまでに高くなっていた。川の流れが速いせいか、ギマの足取りはいつもよりゆっくりとしている。順調に進んでいたギマだったが、川の真ん中辺りで突然流れに体を持っていかれた。
「うおわ!」
「ギマ!」
体勢が崩れたギマが、かなりの速さで流されていく。ぼくは慌てて川岸を走って追いかける。しかし、助けに川の中に入れるわけもなく、ぼくはギマを追いながら、名前を呼ぶことしかできない。対岸の森の中からフウリが飛び出してくる。フウリは躊躇なく川に飛び込んだ。フウリがギマに抱きついた次の瞬間、跳躍に優れるプーカバニー族の脚力で、川底を蹴ったのだろう、二人が川から大きく跳び上がった。ギマを抱きかかえたフウリが、ぼくがいる方の川縁に着地する。ギマは意識を失っていた。フウリがギマを川縁に寝かせ、ギマの顎を上げる。そしてギマの口に自分の口を合わせて人工呼吸を始めた。数回ギマの肺に息を送り込むと、今度はギマの胸を両手を使って数回押す。フウリはそれを何度も繰り返す。ぼくは見ていることしかできなかった。何度目かの時、ギマが息を吹き返した。ギマが意識を取り戻した時、ちょうどフウリがギマの口に自分の口を重ねて息を吹き込んでいる最中だった。驚愕の状況にギマが目を限界まで瞠る。フウリを押し退け、げほげほ咳き込みながら、ギマがフウリから後退りして離れる。ギマの顔は耳まで真っ赤だった。
「な、なな、なにやってんだよ!?」
「よかった。息を吹き返して。川で溺れて意識を失ったギマを助けてたの」
「え? そうだったのか……」
「助けなきゃって思って、わたし無我夢中で。……キスしちゃってごめんね」
頬を朱に染めたフウリが、窺うように言う。
「キ、キスとか言うな! 人工呼吸だろ人工呼吸!」
「わたしなんかとキスなんて、嫌だったよね」
「ばっ! キスって言うなって言ってんだろ! おれは女なんかに興味ねえから、誰とだったら嫌とかそんなのねえし!」
「そう」
ギマが平気だと言うので、その後はいつものように遊んだ。最初の内ギマとフウリはなんだかぎこちなかった。けれど次第にいつも通りに戻っていった。
翌日、休み時間に学校の廊下を歩いていたぼくの前に、ギマがやってきた。なんだか浮かない顔をしている。
「どうしよう……。おれフウリのこと好きになっちまったみたいだ」
「えええ!?」
女子になんか興味ないからと、告白してきた女子全員を振り続けていたギマのこの発言に、ぼくは驚愕した。
「昨日からずっと、家に帰ってからもずっとフウリのことが頭から離れないんだよ。しかもフウリのこと考えたら、胸がドキドキするんだ」
ギマが自分の胸を押さえる。
「そっか。だったらフウリが恋人になってくれるように頑張らないとね。ぼく応援するよ」
「おう、ありがとな!」
キス騒動の後、一旦いつも通りに戻ったギマとフウリの関係だったけど、ギマがフウリのことを好きになってからというもの、ギマはフウリに対して少し挙動不審な態度を取るようになった。フウリは意味がわからず小首を傾げていた。
ある日、ギマは家の用事で少し遅れることになり、ぼくは先に一人でフウリとの待ち合わせ場所である、ラージャ川に向かった。初めの頃はギマが一緒じゃないと恐くて、一人でゴーグの森に入るなんて考えられなかった。けれど今ではモンスターが現れないルートも知ってるし、まだ一人でゴーグの森に入ることに少し恐怖を感じるけれど、かなり薄れていた。
モンスターに遭遇することもなくラージャ川の手前まで来た時、歌声が聞こえてくることに気づく。ぼくは歌声に惹かれて歩いていく。するとぼくより先に来ていたフウリが、川縁で踊りながら歌っていた。その優雅で美しい舞は、今までに見たことがない舞だった。舞いながら歌うフウリは、ぼくらと一緒に遊んでいる時の元気なフウリとも、里の学校の生徒たちから受け入れてもらえず、悄然としていたフウリとも違った。今までに見たことのないフウリの姿がそこにあった。ぼくは思わず見惚れて立ち尽くす。
フウリの周囲のなにもない空中から、突然五人の小人が現れる。身長が八十センチ程の小人たちは、ぼくたちヒュマ族の顔をデフォルメしたような顔立ちで、耳は横に長く伸びている。それぞれ別の色と形をした、帽子とローブと蝶ネクタイを身に着けており、ローブの前面には大きく音符が描かれている。小さな足に履いている木の靴は、爪先が尖っている。帽子からはみ出した前髪がくるんっとした巻き毛で可愛らしい。小人たちはフウリの周囲を踊るように浮遊しながら、フウリの歌に合わせて歌い出し、美しいハーモニーを辺りに響かせる。さっきまでなにも持っていなかった小人たちの手の中に、突然様々な楽器が現れた。ヴァイオリン。フルート。リュート。ケトルドラム。アコーディオン。そして息の合った演奏を始める小人たち。小人たちの見事な演奏の中、小人たちと共に歌い舞うフウリの幻想的な姿に、ぼくは心を奪われた。この時ぼくは、フウリに恋をしてしまったんだ。
フウリが歌い終わると、小人たちは楽器をどこかに消し、拍手しながらフウリの周囲をぐるぐる飛び回った。
「ありがとう!」
フウリが小人たちにお辞儀をすると、小人たちは現れた時のように突然消えた。そして急に静かになる。ぼくはフウリの前に歩み出た。ぼくに気づいたフウリが赤面する。
「アセビ!? もしかして見てたの!?」
ぼくが首肯すると、フウリは両手で顔を隠して恥ずかしがる。
「わたし歌も舞も下手だから、ヘンテコだったでしょ?」
「そんなことない。素敵だったよ」
「ほんとに?」
「思わず見惚れちゃったよ」
「やだ、見惚れるだなんて、嘘ばっかり」
「嘘じゃないよ。今まで知らなかったけど、歌と踊りが好きだったの?」
「うん。あんまりうまくないから、いつも一人の時にしかやらないんだ。まだ来ないと思って油断しちゃったなあ」
「今の小人は?」
「ゴーグの森の中に住んでるドレミの妖精たちだよ。音楽好きで、歌っていると現れて、一緒になって歌って演奏してくれるんだ」
「今の踊り、見たことない踊りだったけど」
「プーカバニー族に昔から伝わるプーカの舞だよ。お祭りやお祝い事の時に披露するの」
「歌は明らかにオリジナルだよね」
「うん。わたしたち三人のことをイメージして作ったんだ」
「今の歌、少年少女冒険団のテーマソングにしようよ」
「ええ!?」
「これからは三人で歌おう。みんなで歌った方がきっと楽しいよ」
「やだよ! わたしが適当に作ったあんな歌のことなんか、聴かなかったことにして忘れて! 恥ずかしい!」
遅れてやってきたギマに、ぼくは嫌がるフウリを無視して少年少女冒険団のテーマソングのことを伝えた。結局フウリはぼくらに押し切られ、ぼくらはフウリに歌を教えてもらい、それからは三人で、毎日のように少年少女冒険団のテーマソングを歌うようになった。ぼくがどんなにリクエストしても、フウリは恥ずかしがって、二度とプーカの舞を見せてはくれなかった。けれど、あの幻想的な光景は、ぼくの網膜に焼き付いて、八年経った今でも、まぶたを閉じれば、あの時の光景が鮮明によみがえる。
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