ステータス異常【石化】 第3話


 八年前、ぼくたちは十歳だった。ぼくらは同じ初等学校に通っていて、四年生の時に初めて同じクラスになった。ぼくは運動も勉強も成績は並で、クラスの中で特別目立つタイプではなかった。友達はいたし、孤立しているわけでもなかったぼくのクラス内での立ち位置は、ちょうど真ん中辺り、つまり成績と同様に普通だったと思う。

 当時のギマは、ぼくよりも身長が十五センチ以上も高くて、クラスの中でも体が大きい方だった。運動も勉強も学年で一番の成績で、明るい性格だったギマは、クラスの中で目立つ存在だった。おまけに顔も綺麗に整っており、女子たちにかなりの人気があった。当然のように女子から告白されまくっていたギマだったけど、どうも恋愛に興味がないらしく、全部断っていた。

 ぼくとギマは特に仲が良かったわけじゃなかった。でもぼくは、自分よりもなにもかも優れているギマに対し、密かに憧れていた。

 ぼくらのクラスの中で、目立つ生徒は二人いた。一人はギマ。もう一人はデラだ。デラもギマと同じくらい背が高く、体が大きかった。でもデラはギマとは違い、太っていて横にも大きかった。デラはいつも尊大な態度をとっていて、同じクラスの男子生徒、レオンとダリルを腰巾着としていつも従えていた。そんなデラはなにかと相手にいちゃもんをつけては揉め事を起こす、けんかっ早い性格をしていた。デラは見た目通り腕っ節が強く、デラとけんかをして勝った奴は一人もいなかった。学年で一番けんかが強い奴、それがぼくらのデラに対する共通認識となっていた。

 ある日、日直だったぼくは担任の先生に、プリント作製を手伝うよう言われ、放課後の職員室で、先生と二人でプリントを作製していた。ようやっとプリントの束が完成し、解放されたぼくが職員室を退室すると、生徒たちが帰って閑散とした廊下は静まり返っていた。いつもより帰りが遅くなったぼくが下駄箱に行くと、そこにデラがいた。なぜ日直でもないデラがこんな時間まで学校に残っているのか、不審に思ったぼくは、下駄箱の陰に身を潜めてデラの様子を窺った。デラはぼくらと同じクラスのハスナという女子生徒の下駄箱の中に両手を入れていた。目を眇めてよく見ると、デラは下駄箱の中で手紙らしき紙をびりびりに破っていた。静まり返った校舎の中で、紙が破れる音は妙に大きく聞こえた。

「おい、お前なに見てんだよ」

 つと背後から声をかけられ、ぼくの肩がびくりと反応する。振り返るとそこにダリルが立っていた。ぼくの存在に気づいたデラがこっちに首を振り、眉間に皺を寄せて怒声を放つ。

「ちゃんと見張っとけって言っただろ!」

 ダリルがバツの悪そうな顔になる。

「わりぃ。トイレ我慢できなくてよ」

 昇降口の方からレオンもやってくる。どうやらレオンは昇降口から外を見張っていたらしい。ぼくは三人に囲まれて、詰め寄られる。後退っていたぼくの背中に下駄箱が当たる。デラが大きな声で釘を刺してきた。

「おい、このことは誰にも言うんじゃねえぞ!」

「ハ、ハスナの下駄箱になにしてたのさ」

「お前には関係ないんだよ!」

 いきなりデラがぼくの腹部を殴りつけた。そのまま数発殴られ続け、ぼくは床に倒れこむ。見上げるデラの顔は怒りに染まっていた。

「今見たこと、もし誰かにバラしたら、もっと酷い目に遭わせてやるからな! ハスナの下駄箱もこのままにしとけよ!」

 そう言い残すと、デラたちは帰って行った。痛みに顔を顰めながら立ち上がり、ハスナの下駄箱の中を確認する。細かく破られたいくつもの紙片が、ハスナの上靴の上に積もっている。ぼくはハスナの下駄箱の中を片付けようかと一瞬思ったけれど、そんなことしたらデラにさっきよりも酷く殴られると思うと怖くなり、そのままにして帰宅した。

 翌日、登校したぼくが教室に入ると、自分の席に座りながらハスナが泣いていた。ハスナと仲がいいウタンという女子生徒が、ハスナの一つ前の席に座り、ハスナを慰めている。ぼくは友達に尋ねる。

「どうしたの?」

「ギマがハスナに貰ったラブレターを、びりびりに破ってハスナの下駄箱に入れたんだって」

 ぼくはデラが昨日なにをしたのか理解する。破っていたのはハスナがギマに送ったラブレターだったんだ。横柄な態度のデラだけど、ハスナに話しかけられた時は、いつも挙動不審になることを思い出す。これは憶測だけど、デラはハスナのことが好きなんじゃないのか。ハスナが自分ではなく、ギマのことを好きだということが気に入らなくて、ギマに逆恨みして、デラはこんなことをしたんじゃないのか。ギマの下駄箱に女子からのラブレターがよく入れられるということは、ぼくらのクラスの間では有名な話だから、デラも知ってたはずだ。

 最近ハスナのギマに対するアプローチはあからさまで、クラスメイトたちはぼくを含め、ハスナがギマのことを好きだということにみんな気づいていた。ハスナがどういう方法で自分の想いをギマに伝えるのか、ハスナと仲がいい友達なら、ハスナがギマに想いを伝える前に、ハスナからその作戦内容を教えてもらえるかもしれない。でもハスナとそんなに仲がいいわけじゃないデラに、ハスナがそれを教えるとは思えない。ハスナがラブレターを送るという方法をとるにしても、いつ渡すのか、直接渡すのか、どこかに入れて渡すのか、ギマに気づいてもらえるところに入れて渡すにしても、下駄箱の中なのか、机の中なのか、鞄の中なのか、デラにはわからなかったはずだ。デラは以前は遅刻が多い生徒だったのに、最近遅刻しないようになっていたのは、ギマに対するアプローチが激しくなってきたハスナが、ギマにラブレターを送る可能性を見越して、ギマの下駄箱の中にハスナのラブレターが入ってるかどうか、ギマの下駄箱の中をチェックしていたんじゃないのか。ギマは毎日ほぼ同じ時間に登校してくるから、ギマが登校してきてラブレターを回収するよりも早く登校すれば、まだ回収されてないラブレターがギマの下駄箱に入っているかどうか確認できる。もしかしたら朝だけじゃなく放課後みんなが帰った後も、下駄箱だけじゃなくて、ギマの席の机の中や、ロッカーの中まで確認していたのかもしれない。そしてデラの想像通りにハスナがギマの下駄箱の中にラブレターを入れ、それをデラが盗んだ。もしかしたらデラはそんな面倒なことを一切していなくて、昨日のぼくのように、ハスナがギマの下駄箱にラブレターを入れているところに偶然出くわし、今回の犯行を思いついただけなのかもしれないけれど。

 なにも知らないギマが教室に入ってきた瞬間、みんなの顔がギマに向く。泣いているハスナに気づいたギマが、ハスナに近づき話しかける。

「どうしたんだ? なんかあったのか?」

 ウタンがギマをキッと睨みつけ、席から立ち上がる。

「よく平気でそんなことが言えるね。自分で泣かしといてさ」

「はあ? おれが泣かしたってなんだよ」

「ハスナがあんたにあげたラブレターを、あんたがびりびりに破って、ハスナの下駄箱に入れたんでしょうが!」

「なんのことだよ。おれそんなことしてねえし、そもそもハスナからラブレターなんか貰ってねえっつうの」

「なに言ってんのよ! ハスナがあんたの下駄箱にラブレター入れに行くのに、わたしもついて行ったんだからね!」

「そんなこと言われても、おれ知らねえよ。それにラブレター破るなんて酷いこと、おれしないって。おれは恋なんかに興味ねえから、告白されても絶対断るって決めてるけどさ。おれのために書いてくれたんだから、読むくらいはした方がいいと思って、貰ったラブレターはいつもきちんと最初から最後まで読んでるんだ。家に持って帰って、読んだら家のゴミ箱に捨ててるけどな」

「だったら他に誰がこんなことするって言うのよ!」

「知らねえよ!」

 教室にいるクラスメイトたち全員が、無言で成り行きを見守っている。その中にデラとダリルとレオンもいた。三人とも自分の席に座り、素知らぬ顔をして、成り行きを見守っているけど、心の中ではほくそ笑んでいるに違いない。

「あんたって最低ね、見損なったわ! ちょっと女子から人気があるからって、調子に乗ってんじゃないわよ!」

 困った顔になったギマが周囲を見回し、自分に視線を集中させているぼくら全員に問いかけるようにして言葉を発する。

「ちょっと待ってくれよ。おれじゃないって言ってるだろ?」

 みな黙り込み、誰も何も言わなかった。デラたち三人を除けば、この中でぼくだけが、ギマがなにも悪くないことを知っていた。なにも悪いことをしていないギマが、罪をなすりつけられている。こんなのはおかしいことだって、勿論ぼくはわかっていた。でも真相をバラしたら、デラたちに昨日以上に殴られる。それは恐いから嫌だった。黙っておけば、ぼくはデラたちになにもされずに済むんだ。黙っていたらぼくは助かる。だから黙っていればいい。そう思い、ぼくはここまでなにも言わずに黙っていた。でも、でも、こんなのやっぱりおかしい!

「ギ、ギマじゃない」

 静まり返っていた教室の中に、ぼくのか細い声はよく響いた。みんなの視線が一斉にぼくに集まる。

「ぼく見たんだ。昨日の放課後――」

 素早く立ち上がったデラがぼくに駆け寄る。ぼくはデラに胸倉を掴まれた。

「おいてめえ! やめろコラ!」

 胸倉を掴まれ、恐怖に足が竦む。それでもぼくは懸命に声を出す。

「デラだ! デラがやったのをぼく見た――」

 顔を殴打され、ぼくは床に倒れこむ。そのままデラに無数の蹴りを見舞われる。ぼくの体が恐怖で震えだす。

「おい、今の話本当か?」

 倒れたまま見上げると、ギマがデラに向き直っていた。

「は? 知らねえし。こいつが勝手に言ったことだ」

「だったらなんでアセビがお前の名前を出す前に、アセビの胸倉を掴んだんだよ。お前がやったんだろ」

「知らねえっつってんだろうが!」

「ぼ、ぼく見たんだ。犯人はギマじゃない。デラだ」

 ぼくの震える声を掻き消すように、デラが大声を出す。

「黙れっつってんだよ!」

 ぼくの体に再びデラの連続蹴りが叩き込まれる。蹴られながらぼくは真実を明かす。

「レオンとダリルが見張り役してたんだ!」

「うるせえんだよ!」

「おれハスナから聞いたんだけど、お前ハスナに告白してフラれたんだってな」

「なっ!?」

 蹴りの雨が止み、デラの顔が一瞬で真っ赤に染まる。

「その腹いせってとこか。ダッセエなお前」

 デラが言葉になっていない喚き声を吐き散らし、ギマに殴りかかった。

そしてそのまま二人の殴り合いのけんかが始まった。勝ったのはギマだった。あのデラ相手に圧勝だった。この時まで、ギマは大した揉め事を起こしてなかったから、誰とも殴り合いのけんかをしていなかった。つまりギマが誰かとけんかしているところを、誰も見たことがなかったのだ。だからみんなデラが一番けんかが強い奴だと思っていたけれど、そうじゃなかったんだ。今回のことで、みんなのギマに対する認識は『運動も勉強もけんかも学年で一番の凄い奴』に上書きされることになった。

 けんかに決着がついた直後、朝の会をするために教室にやってきた担任の先生に騒動が露見した。けんかをしたデラとギマは、みんなが見てる前でこっぴどく怒られ、お互いに謝り合わされていた。それから事件の関係者であるぼくたちは、昼休みに職員室に呼び出されて詳しく事情聴取された。そしてデラたち三人は、先生の追及から逃れられず、自分たちの罪を認めた。事件が収拾してから間もなく、ギマがぼくに話しかけてきた。

「ありがとな。お前が見たことを言ってくれなかったら、おれみんなから嫌われちまうところだったぜ。でもお前バカだよ。黙ってたらよかったのに。前の日にも殴られて脅されてたんだろ?」

「うん。本当のことを言うと、怖くて黙ってようかと思ってたんだ。だから言うのが遅れたんだ。でもやっぱりこんなのおかしいって思ったら、口が勝手に動いてたっていうか、なんていうか」

「ははっ! やっぱりバカだ! でも嫌いじゃねえ!」

 こうしてぼくはギマと友達になったんだ。

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