盾 第11話
祭りの翌日、ぼくたちを村から出立した。そしてぼくたちは今、谷底を進んでいた。その道中、ビークというモンスター三匹と遭遇する。体長一メートル二十センチ程の丸っこい体をした、鳥型モンスターだ。体のほとんどが墨のように黒い羽毛に覆われているが、顔から背中にかけてだけは青緑色の羽毛に覆われている。翼は体躯の大きさに対し、申し訳程度の短さしかない。赤と白の羽毛に彩られた翼は、広げるとまるで美しい扇子のようだ。薄暗い山の中で、怪しく光る赤い目が、ぼくたちを舐めるように補足している。しかし三匹の内、大人のビークは一匹のみで、後の二匹はまだ子供だった。子供たちはまだまだ矮躯で、大きめのボールに見えるくらいに小さい。親ビークはなかなかに手強く、ぼくたちは苦戦を強いられた。とはいえ子供二匹は大した強さではなく、ぼくが二匹ともすぐに倒した。ぼくが子供を殺した瞬間、親ビークが激昂し、怒りの大絶叫が木々の間を突き抜けた。体重の乗った体当たり、鋭い爪による斬撃、尖った嘴による突っつき攻撃の威力がそれまでより格段に上がり、舌を巻かされた。ビークの攻撃の中でも最も厄介だったのが、口から吐き出す酸性液である。大抵の金属をも溶かしてしまう酸性液を吐き飛ばされることは恐怖だった。怒り狂った親ビークがところ構わず吐き散らし、ぼくはミスリルシールドで防御した。防いだ瞬間、ジュウッ!という焼ける音と共に、ミスリルシールドの表面から白い湯気が立ち上った。表面に目を向けてみると、表面が少し溶けていて、ぼくは戦慄した。最終的に親ビークを仕留めたのはダータの鞭だった。緊張感のあるバトルが終了し、ぼくたちは肩から力を抜く。離れた場所に避難していたアシュが駆け寄ってきて、バトルの感想を述べる。
「結構強かったね」
「ああ。でもなんとか倒せたよ」
剣を鞘にしまい、両手を組んで伸びをする。
つと親ビークがむくりと立ち上がる。
「まだ生きてるわ!」
ぼくたちの間に緊張が走り、仕舞ったばかりの武器を手に取り身構える。全員でビークの動向に注意を払い、窺っていると、なんだかビークの様子がおかしいことに気づく。さっきまでの怒髪天を衝く敵意が微塵も感じられないのだ。怪訝に思って目を眇めると、なんだかビークが仲間になりたそうにこちらを見ている、ような気がする。
「ねえ、あれってもしかして」
「テイムに成功したんだわ!」
ダータがはしゃいだ声を出す。
「こっちにおいで」
手招きするダータに向かって、ビークは嬉しそうに駆け寄ってきた。そしてダータの体に頬を擦り付ける。
「戦力はあればあるほどいいんだから、この子を連れてってもいいよね?」
ダータの提案に、ぼくとソプラナが同意する。
「こんなに強いモンスターがテイムできるなんてラッキーね! これならセラドゥークなんて瞬殺よ!」
頼もしい戦力が増えて、ぼくらは喜んだ。しかしアシュだけは怪訝な表情を崩さなかった。アシュが不安そうに尋ねる。
「モンスターがどうして仲間になったの?」
ダータが得意げに答える。
「モンスターテイマーが倒したモンスターはね、一定確率で仲間になることがあるの」
「あの二匹の小さいモンスターは、このモンスターの子供だったんじゃないの? 子供を殺されたのに、どうしてモンスターテイマーが倒したら、仲間になってくれるの? 親っていうのは子供が酷いことされたら怒るものなんじゃないの?」
「怒ってたじゃん。でも調教の効果があるモンスターテイマーの攻撃を受けて、それでわたしに懐いたってわけ」
「あたしたちはこのモンスターの子供の仇なのに。こんなのおかしいよ」
「おかしく思うかもしれないけど、それがモンスターテイマーっていうジョブの特性なのよ」
「ちっともわかんないよ。やっぱり変だよ」
ダータの説明を聞いても納得できなかったらしく、アシュの顔から不安げな表情は消えなかった。
「名前を付けなきゃね。うーん、そうだなあ。決めた。お前は今からコットスだ。よろしくコットス」
「ヨロシク」
コットスが奇妙に高い声で言った。
「わっ! 喋った! 今このモンスター喋ったよ!?」
驚くアシュがおかしくて、ダータが笑い声を上げる。
「知能の高いモンスターの中には、簡単なものなら人間の言葉を覚えて喋ることのできるモンスターがいるのよ」
ぼくたちの攻撃を受け続けたコットスの体は、傷だらけだった。ぼくたちは、瀕死のコットスの体のあちこちから生えている矢を引き抜き、ポーションを飲ませてやった。するとコットスが「アリガトウ」と言った。
コットスを仲間に入れたぼくたちは、そのまま日が暮れるまで谷底を進んだ。アシュはコットスを気味悪がって、警戒して近づこうとしなかった。日が暮れると適当な場所にテントを張り、野営をした。夕餉を平らげ、食器の片付けや装備の整備など、細々とした作業を終えると、ぼくたちはテントの中で毛布に包まった。いつものように、ソプラナとダータはそれぞれのテントに一人ずつ、ぼくとアシュだけ一つのテントを二人で使う。コットスはぼくらのテントの近くの外で寝た。
眠りの淵に落ちていたぼくは、突然耳朶に突き刺さった音を、女の叫び声だと勘違いした。飛び起きると何者かが、外からテントの幕を引き裂いていた。縦に細長く裂かれた幕の向こう、月明かりの中、浮かび上がるは満月のような球体。漲る殺意を湛えた二つの赤い目が、ぼくを射抜いていた。
「ゲアアァアア!」
幕の切れ間に丸い体躯を捻じ込むようにして、コットスがテントに侵入し始める。ぼくとアシュは慌ててテントの入り口から脱出する。ぼくたちが外に逃げたことに気づいたコットスは、テントに侵入するのをやめ、切れ間に突っ込んでいた、ほとんどないに等しい首を引き抜き、ぼくに歩み寄ってきた。コットスが嘴を開く。
「ユルサナイ! コロス!」
モンスターテイマーが倒したモンスターは、一定確率で仲間になり、モンスターテイマーに従うようになる。一定確率ということは、ならない時もあるということだ。コットスは教えてないのに「アリガトウ」「ユルサナイ! コロス!」と言った。つまりコットスが人の言葉を知っていたのは、以前にも人間と接触したことがある証拠だ。おそらくコットスは、ぼくたち以外の人間とも戦ったことがあり、その時に人間が別の人間を助ける行動を取った時に「ありがとう」と言っていたのを聞いていたのではないか。コットスたちモンスターが、人間に大怪我を負わせたか殺したかした時に、人間に「許さない! 殺す!」と言われたことがあるのではないか。人間のパーティの中にモンスターテイマーがいて、その時に自分の仲間がモンスターテイマーに倒され、テイムされて急に人間に従うようになる様を見たことがあったのではないか。ぼくに子供を二匹殺され、自分も殺されそうになった時、コットスはこう考えたのだろう。子供を殺した復讐をしてやりたいが、真正面から戦ってもぼくたちには敵わない。だからコットスはぼくたちの仲間になったフリをして、ぼくたちを油断させ、一番隙だらけになる睡眠時に復讐してやる、と。いの一番にぼくを狙ったのは、ぼくが子供を二匹とも殺したからに違いない。事実バトルに参加していなかったアシュには目もくれていない。
コットスがぼく目掛けて突進。ぼくはそれを横に走って回避することに成功する。しかし回避の途中、石に躓き、ぼくは盛大に転倒した。ぼくが起き上がるより早く、既にこちらに向き直っていたコットスが、ぼく目掛けて酸性液を吐き出した。たった今まで眠っていたぼくは寝巻き姿だ。テントから逃げ出る時に、ぼくが咄嗟に掴んだのは盾ではなく剣だった。剣では酸性液はほとんど防げない。ミスリルシールドを溶解させるほどに強い酸を体に浴びてしまったら、体の大部分がドロドロに溶けてしまうことだろう。ぼくが身を起こして避けるよりも、酸性液がぼくの体に降りかかる方が先になるのは明らかだった。ほとんど無駄だとわかりつつ、ぼくは剣を体の前に掲げた。
「きゃあああ!」
酸性液は、横合いからぼくの前に飛び出してきたアシュの体に直撃した。
「アシュ!!!」
騒ぎに気づきテントから飛び出してきたソプラナとダータの攻撃が、コットスに炸裂する。矢が突き刺さり、鞭が足に巻きつき転倒させられたコットスが、そのまま引きずられてぼくとアシュから遠ざかる。ぼくも戦闘に参加するべきだった。でもぼくの心境はそれどころではなかった。ぼくはアシュに近寄った。アシュの体の大部分が白く発光していた。抱き起こしたかったけど、触るとぼくの体まで溶けてしまうからできなかった。
「アシュ! 大丈夫か!?」
アシュが無理して笑みを作る。
「ヘルハウンドの火炎ブレスを防ぎきれなかったこと、ずっと気にしてたんだ。だからよかった、今度はちゃんとアセビのこと守れて」
アシュの体全体が白い光に包まれる。
「これからもアセビのこと守りたかったけど、もう無理みたい」
「なに言ってるんだよ! ぼくたちはこれからもずっと一緒に旅をするんだ! そうだろう!?」
「あたしを大事にしてくれてありがとう。あたしによくしてくれてありがとう。すっごく楽しかったよ。あたし、アセビに買ってもらえてよかった」
白い光が収束する。そこに転がっていたのは、大部分が溶けてなくなり、原型を留めていないブロンズシールドの欠片だった。
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