盾 第2話


 ぼくたちが町に着いた時には、日は暮れかけていた。ぼくたちは長い影を引き連れながら、防具屋に向かった。

 旅人であるぼくたちは、他人から見たら旅をしているとは思えないような荷物の少なさだった。長旅をするには様々な物が必要になってくる。今日みたいに町に到着できた時はいいけれど、野宿する時もあるのでテントや寝袋は勿論、食料も必須だ。食材を料理する調理器具、その他諸々の道具たちを、ぼくらは一切持ってないように見える。でも実際はぼくが背負っている白い袋『無限袋』の中に全部入っていた。一見すると普通の背負い袋にしか見えないが、不思議を求めて旅をする道中で手に入れた摩訶不思議な収納袋で、あらゆる物を各々九十九個まで入れることができる優れものだ。どれだけ物を入れても無限袋は膨らまず、ぺちゃんこになっている。決して広く人々の間で普及しているわけではなく、無限袋を持っているのは、多分だけど世界でぼくだけだと思う。

 防具屋の前に到着する。店の中に入る前に、ぼくは無限袋の中からアシュを取り出した。炎を浴びてから結構な時間が経ったアシュは、さすがに冷めていた。アシュを抱えて薄暗い店内に入る。壁際に多種多様な防具が陳列されている。ぼくはカウンター奥に座っていた店主と思われるおじさんに話しかけた。

「あの、これ修理できますか?」

 ぼくがカウンターの台の上に置いたアシュを見たおじさんは眉を顰めた。

「こりゃあ変形しちまってるが、ブロンズシールドだな。これを修理してくれだって? これを直そうと思ったら、火にくべて溶かして作り直すしかねえぞ」

「お願いします」

「本気で言ってるのか? 普通そこまでしてブロンズシールドなんかを修理しねえけどな。それにこのブロンズシールド、形状が特殊じゃねえか? 元の形を知らねえおれじゃあ、完全に元通りの形に戻すなんてできやしねえよ。できるのはこれを作った職人だけだと思うぜ。ここまでボロになっちまってるんだ。新しいのに買い替えることを勧めるよ」

「そうですよね……」

「引き取ろうか?」

 おじさんの申し出に、ぼくは首を横に振る。

「結構です」

「引き取ってもらわないでどうするの? ずっと持っておくの?」

「いや、後でお墓作って埋葬するよ」

「え!? それ盾だよ!? 盾のお墓作るの!?」

「うん。今まで長いことぼくのこと守ってくれてたんだし、それくらいのことはしないとね」

 アシュはもはやぼくの中では、共に戦ってきた戦友だった。大事な友人との別れが、引き取ってもらうなんていう物を処分する時と同じ方法だなんて、ぼくには考えられなかったのだ。

「……そ、そうなんだ」

 またソプラナに引かれてしまった。店のおじさんの顔も引きつっているような気がする。なぜだろう? ぼくは引かれるようなことを言っただろうか? ぼくは変形したアシュを左腕に装備した。アシュを装備するのもこれが最後かもしれないと思うと、涙が零れそうになる。名残惜しいけれど、アシュとはお別れをすることに決めたぼくは、気を取り直すと新しい盾をどれにしようか、店内を物色し始めた。暫く悩んだ末に、ぼくはミスリルシールドを購入することに決めた。ミスリルシールドなら、ブロンズシールドよりも防御力が高いし、ぼくにも手が届く価格設定になっていた。ぼくはミスリルシールドを指差しながら、店主のおじさんに言った。

「これください」

「この浮気者ー!」

 突然、店内に怒声が響き渡った。驚いて振り向くと、そこに憤然といった様子の裸の少女が立っていた。ついさっきまで店内には裸の女の子なんていなかったはずだ。突然のことに、ぼくとソプラナと店主のおじさんも、他の客たちも、店内にいた全員が唖然とした表情になって少女に目を奪われた。

 十歳くらいだろうか。ほとんどくびれのない体型をしている。丸みを帯び始めたばかりなのだろう、胸は少しだけ膨らんでいた。ストレートの茶色い長い髪は、臀部にまで届いている。少女は幼い顔に、涙を浮かべて柳眉を吊り上げていた。そしてなぜかぼくを睨めつけながら恨み言を吐いた。

「あたしというものがいながら、なんで浮気するのよ!」

「え? ぼく?」

 ぼくは一応振り返って確認してみたけれど、ぼくの後ろには誰もいない。

「他に誰がいるんだよ!」

「浮気ってどういうこと? ぼくは君のことなんか知らないよ。人聞きの悪いこと言わないでよ」

 少女が涙を零しながら顔を歪める。

「ひ、酷い! 毎晩あたしの裸体を撫で回して、チュッチュチュッチュってキスしてきたくせに!」

「うわあ……。わたしと旅をする前に、こんな年端もいかない女の子にそんなことしてたんだ」

 顔を青ざめさせたソプラナが、ぼくから後退る。おじさんも完全に顔が引いている。

「兄ちゃん、ロリコンは罪だぜ」

「ち、違う! ぼくそんなことしてないよ! ぼくはこの子のことなんて知らないんだよ! 信じてよ!」

「まだ知らばっくれる気!? 毎晩、裸のあたしに頬擦りしながら、あたしの体の匂いをくんくん嗅いで『ああ、今日も良い匂いだぁ』って言いながらうっとりしてたくせに! 宿屋に泊まれない夜だって、いっつも外で裸のあたしの上に乗っかってくるくせに!」

 店内のざわめきが一層大きくなる。

「アセビが所構わず小さい女の子を欲望の捌け口にする狼だったなんて。見損なったわ。今まで長いことわたしと二人で旅をしてきたのに、わたしにはなにもしてこなかったってことは、幼い女の子専門の変態だったってことね。今ここで、アセビとの護衛の契約を打ち切らせてもらうから。二度とわたしに近づかないで」

「だから誤解だってば! ぼくはロリコンじゃないし、変態でもないんだよ! この子がぼくのことを誰かと間違えてるんだ!」

「間違えてない! 間違えるわけないじゃん! ずっと三人で旅してきたじゃんか!」

「なに言ってるのさ。ぼくは、さっきから後退りしながらぼくから少しずつ遠ざかっていってるソプラナと二人で旅をしてきたんだよ。三人じゃない」

「あたしを入れて三人だろ!」

 ソプラナの後退りが止まる。

「え? わたしとアセビとあなたの三人で旅をしてきたって言ってるの? わたしもあなたのこと知らないよ?」

「そんなわけない! 一緒に旅してきたじゃん! アセビはあたしのこと、ずっと名前で呼んでくれてたじゃんか!」

「名前?」

「アシュナーノだよ!」

「アシュナーノだって!?」

 思わずアシュを装備していた左腕を見てみると、なぜかさっきまで装備していたはずのアシュが忽然と消えていた。

「あんなにあたしのこと可愛がってくれてたのに、あたしを捨てて、他の女に乗り換えるなんて酷いよ!」

 少女がミスリルシールドを指差した。

「なんだか知らんが、揉め事なら外でやってくれ。仕事にならんじゃないか」

 おじさんに文句を言われ、ぼくとソプラナは仕方なく少女を外に連れ出した。そして大通りから道を一本折れ曲がり、人気のあまりない細い路地へと入る。裸のままでいさせると色々とまずいので、無限袋の中からソプラナの予備の服を取り出し、少女に着せる。服はサイズが大きすぎて、ぶかぶかだった。それからぼくは口を開いた。

「君は、アシュなの?」

「うん。そうだよ」

「ぼくの盾の?」

 少女が首肯する。

「そんな、信じられないよ。どうやって人間になったって言うのさ?」

「そんなのあたしにだってわかんない。アセビに浮気されるって思ったら、ムカーッときて、そしたらこうなってた」

「浮気って、新しい盾を買おうとしてたことを言ってるの?」

「当たり前じゃん! あたし変形しちゃったけど、まだ戦えるっての!」

 一転して少女が窺うような表情になる。

「アセビ、さっきはヘルハウンドの火炎ブレスから守りきれなくてごめんね。腕、大丈夫?」

「アセビの盾が変形した原因がヘルハウンドの火炎ブレスだって、どうして知ってるの?」

「一緒に戦ったからに決まってんじゃん」

 ぼくとソプラナは顔を見合わせた。ぼくとソプラナは、少女にこれまでの旅のことを色々と質問してみた。するとぼくたちと一緒に旅をしていなければ知りようがないことを、少女は知っていた。食事をしている時、ソプラナは隙を見て、ぼくの分の食べ物を横取りして食べることがよくある。そのくせ自分の分は絶対にぼくには分けてくれないのだ。そのことを夜に、宿屋の部屋で一人になったぼくが、アシュに向かってブツブツ愚痴を零していた内容を知っていた。モンスターと戦っていた時に、ソプラナの放った矢が誤ってぼくに当たりそうになり、危うくアシュで防いで大事にはならなかったこと。その時に矢を跳ね返した傷が、アシュの左上の方についたこと。森で休憩中、散歩してくると言ってソプラナが散歩に出かけ、なかなか帰ってこないから、ぼくが心配して探しに行くと、泉で沐浴してるソプラナと目が合い、石など色々な物を投げつけられて、それをアシュで防ぎながら遁走したこと。更によくよく話を聞けば、さっき防具屋でぼくが少女の体を撫で回してたと言ってたのは、ぼくが毎晩アシュの体を布巾で拭いて綺麗に磨いていることで。ぼくが少女に頬擦りしながら匂いを嗅ぐというのは、ぼくはアシュのブロンズの匂いを嗅いでいるとなんだか落ち着くから、アシュの匂いを嗅ぐのが好きなぼくが、よく嗅いでいることで。外でぼくが少女の上に乗っかってくるというのは、野宿の時は寝る時に、ぼくがアシュを枕代わりにしていることだったらしい。誤解が解け、安心したソプラナはぼくに対する警戒を解いた。けれど、キスは大事な盾に対する愛情表現で、普通に毎日やっていることだということを知ると、ソプラナは再度引いていた。盾である少女は、自分以外の盾を見るだけで、その盾の性別がわかるらしく、さっきぼくが買おうとしていたミスリルシールドは、女の子だったらしい。それで浮気と言っていたのだそうだ。ここまで少女の話を聞いたぼくたちは、少女が本当に盾なんだと信じることにした。

 ぼくの胸くらいまでしか背丈がない少女、アシュがぼくたちを見上げながら口を開く。

「これからも旅に連れていって欲しいんだ。あたし、行くとこないし」

「わたしたちの旅は危険な場所に行くこともあるのよ」

「そんなの知ってるよ。今まで一緒に旅してきたんだから」

「盾には戻れないの?」

「あうぅ。どうやって戻ればいいのかわかんない」

 いきなり人間になったアシュは途方にくれていた。ぼくが今までずっと大事にしてきたアシュ。もう埋葬してお別れするしかないと思っていたアシュが、元気な人間の姿になって現れたんだ。ぼくがこの子を大事にすることは当然だった。

「ぼくとしてはこれからもアシュと一緒に旅をしたい。人間になった盾と一緒に旅をするなんて、またとない不思議体験だよ」

 ぼくはソプラナに目を向けた。

「そうね。不思議を求めてるわたしたちのところに、不思議なことの方からやってきてくれたことは願ったり叶ったりだわ。とりあえず一緒に旅してみてもいいけれど、これからずっとあなたと旅をするって決めたわけじゃないからね。わたしたちは遊びで旅をしてるんじゃないんだから。わがまま言ってわたしたちを困らせたりして、旅の邪魔になると思ったら、孤児院に預けるなりするから」

「うん。わかった」

 とりあえずソプラナも賛成してくれて、ぼくは胸を撫で下ろす。

「この子、アシュだっけ? 盾に戻れないんだったら、やっぱり新しい盾を買うしかないみたいね」

「そうだね」

「そんなあ! 買う必要なんてないよ! あたしがアセビを守るから!」

「人間の姿になったけど、元々は盾だからモンスターの攻撃を受けても平気だって言うの?」

 目の前のアシュが頑丈なようには、とてもじゃないけど見えない。

「あうぅ。わかんない」

「大怪我するかもしれないんだよ」

「あうぅ……。それでも浮気されるのやだし、あたしがアセビを守りたいよ」

「そう言われても……」

「やだやだ! 他の女なんて買おうとしないでよ! あたしのこと使ってよ! 毎晩あたしのこと可愛がってよ!」

 アシュが誤解を招く発言を大声で喚き散らしながら駄々をこねる。大通りを歩いていた人たちが、何事かと足を止めて、こちらの通りに顔を覗かせている。ソプラナの目つきが剣呑になる。

「わがまま言わないって、さっき言ったわよね?」

「あうぅ……」

 アシュは一瞬で大人しくなった。

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