第四章 セーブクリスタル
セーブクリスタル 第1話
授業前の休み時間。教室の中の雰囲気が、いつもとは違っていた。教室の後ろのスペースに、生徒の母親たちが立ち並んでいるからだ。今日は授業参観日なのだった。母親たちの香水の匂いが、教室の中に広がっていた。みんな自分の席に座りながら、チラチラ後ろを見やり、どこかそわそわしている。もうあと数十秒で授業が始まろうとしている。自分の親が来ていないことに、わたしは内心ほっとしていた。どうやら今年は恥をかかずに済みそうだ。
どたーん! という盛大な音と共に、床が揺れた。何事かと教室の後ろを振り向く。クラスメイトたちも一斉に振り向いていた。そこに倒れている人物を見て、わたしは絶望した。丸々と肥え太った醜い体、生え際の後退したつるりとした頭頂部、間違いなくわたしのお父さんだった。
「あいたたたたぁ……」
痛みに顔を顰めながら、むくりと体を起こすお父さん。その顔は汗だくだった。顔だけではない。服の大部分が汗で丸い体に張り付いている。
「よかった、間に合った」
ぜえぜえ息を切らせているお父さんは、どうやら遅れそうになって走ってきたらしい。
教室内がざわつく。みんなはお母さんが見に来てるのに、そこに一人だけお父さんがやってきたものだから、明らかに目立っている。クラスメイトたちが、あれは一体誰の父親なのか、疑問を口にして不思議そうに首を傾げ始める。あんなハゲでデブで格好悪いのがわたしのお父さんだとバレたら生き恥だ。わたしはすぐに前に向き直り、そのまま顔を俯けた。顔が熱を帯びていく感覚。今鏡で自分の顔を見たら、わたしの顔は林檎みたいに赤いだろう。
「あれソプラナのお父さんだよ」
ドキリ! とした。このクラスの中に、以前にもわたしと同じクラスになったことがある生徒が何人かいる。その内の一人がみんなの疑問の答えを口にした。それが教室の中に伝播していく。そしてわたしの隣の席の女子生徒がわたしに顔を向け、訊いた。
「あれってソプラナのお父さんなの?」
「ち、違うよ」
わたしが他人のふりをして、すっとぼけていると、後ろからお父さんの声が飛んでくる。
「お、いたいた! ソプラナ! おーい!」
教室の中がどよめく。わたしは耳まで熱くなりながら、更に顔を俯けて縮こまる。
「え!? あれソプラナのお父さん!?」
どよめきの次は爆笑の渦だった。
「ソプラナ! おーい! お父さんだぞ! ソプラナってば!」
教室に先生が入ってくる。それでもわたしの名を呼んで騒ぎ続けたお父さんが先生に注意され、またしても爆笑を巻き起こした。わたしは恥ずかしすぎて死にたくなった。
授業参観が終わった後は、生徒と親と担任の先生との三者面談が行われる。三者面談の順番は出席番号順で、わたしより出席番号が前の人が、教室の中で三者面談を行っている最中だった。まだの人は親と一緒に廊下で待っている。つまりわたしは、さっきわたしに生き恥をかかせたお父さんと並んで一緒に廊下で立ち、自分の番が来るのを待っているのだった。わたしはお父さんに文句を言ってやりたかったけれど、ここで親子げんかを披露したら、廊下で順番待ちしてるクラスメイトたちとその親たちに、また笑われることになるだろう。わたしは腸が煮えくり返っていたけど、ぐっと堪えて我慢する。そんなわたしにクラスメイトのパドマ君が話しかけてきた。パドマ君はわたしのクラスの学級委員だ。真面目で品行方正、成績優秀で、クラスのみんなからも先生たちからも信頼されている。
「ソプラナの家ってリーシャの道具屋だったんだな。何度か行ったことあるよ」
わたしの家は『リーシャの道具屋』というアイテムショップを営んでいる。リーシャというのはわたしのお母さんの名前だ。お母さんは昔行商人をしていて、旅の途中で冒険者だったお父さんと出会った。でもお父さんが大怪我をして、旅を続けられなくなってからは、二人でこのサンセストの町に定住することに決め、この町で道具屋を始めた。旅を続けられなくなるほどの大怪我を負ったお父さんは、日常生活が送れるまでに回復し、今はお母さんと二人で道具屋で働いている。怪我の後遺症のせいで、運動を控えるようになったお父さんは、どんどん体重が増えていった。そして生え際の後退を併発し、昔冒険者だったというのは嘘なのではないかと疑いたくなるほどの、ハゲデブになってしまっていた。完全に情報を遮断することはできないとわかってはいるけど、それでもわたしはリーシャの道具屋で接客業務をしているハゲデブの店員が、わたしのお父さんだなんて学校のみんなにできるだけバレたくないから、自分の家がリーシャの道具屋だということは、言わないようにしていた。でもこうなってしまっては、言い逃れのしようがなかった。
「あ、あはは……。実はそうなんだ」
「道具屋のおじさんがソプラナのお父さんだとは思わなかった。ちっとも似てないし」
「わたし、お母さん似だから」
わたしはお母さんと顔がそっくりだとよく言われる。なぜか憮然とした顔になったお父さんが口を挟む。
「ちょっと君、ぼくの宝物にさっきから馴れ馴れしすぎやしないかな? ぼくの宝物が困ってるじゃないか」
ちょっと! 人前でわたしのことを宝物とか言わないでよ恥ずかしい! わたしが困ってる理由はパドマ君に話しかけられたからじゃなくて、こんなダサいのが自分のお父さんだとクラスメイトにバレたからよ!
「ちょっとお父さんやめてよ!」
「いいや、ここははっきり言わせてもらう! ぼくの宝物に変な虫がついたら大変だからね! 君はぼくの宝物と一体どういう関係なんだい? まさか、ぼくの宝物にいやらしい好意を持ってるんじゃないだろうね!」
「いや、あの……」
狼狽するパドマ君。
「パドマ君は普通に話しかけてきただけじゃない! パドマ君はなんにも悪くないよ!」
「ソプラナは黙ってなさい! いいかい君、ぼくがどれだけ大事に宝物を育ててきたと思ってるんだ! それに君はさっき、ぼくの宝物とぼくがちっとも似てないって言ったけどそんなことはない! よく見てごらん、耳なんてぼくにそっくりだろう? ぼくの宝物は間違いなくぼくの娘なんだ! そもそも君は……」
周囲の他の生徒たちもその親たちも、思春期の娘に過保護すぎる父親の姿に、堪えきれず笑いだす。パドマ君のお母さんも、自分の息子が説教されているというのに、わたしのお父さんを怒るでもなく笑っている。再び生き恥地獄を味わい、わたしは赤面して俯いた。教室の中で面談していた担任の女性教諭、ワリン先生が扉を開けて廊下に顔を出し「ソプラナさんのお父さん、静かにしてください!」と注意されるまで、お父さんのパドマ君への説教は続いた。先生に注意された後も、まだ説教したりないらしいお父さんは、不満顔でむすっとしていた。
三者面談が終わり、わたしは下校した。見慣れた町の風景を眺めながら通学路を歩く。わたしの育ったこのサンセストの町には、学校、公園、レストラン、本屋、玩具屋、劇場、市場、教会、宿屋、武器屋、防具屋、道具屋、診療所、等等必要な施設は全部揃っていた。わたしはいくつか近隣の他の町にも行ったことがあるけれど、わたしが見知っている町の中で、このサンセストの町が一番大きな町だった。
「待ってよソプラナ~!」
お父さんを学校に放置して、早歩きで家路を歩いていたわたしを、後ろからお父さんが追いかけてきていた。家はもう目の前だった。振り返ると贅肉をたぷたぷ揺らし、汗をだらだら流しているお父さんが必死の形相で迫ってきていた。わたしの前で立ち止まり、膝に両手をついて乱れた息をぜえぜえ吐き出す。
「どうして父さんを置いて一人で帰るんだよ。一緒に帰ればいいだろう?」
わたしは溜まりに溜まっていた不満を撒き散らす。
「もう! 学校には来ないでって言ったじゃない! わたしお母さんに来てって言ったのに、どうしてお父さんが来るのよ!?」
「やっぱりどうしてもソプラナの成長を見たかったから、リーシャに代わってもらったんだよ」
「大恥かいたじゃないのよ!」
「え、どうして父さんが授業参観に行ったら恥をかくことになるんだい?」
「本気で言ってるの? わたし一人だけお父さんが来てたし、パドマ君にあんな説教までして! みんな笑ってたでしょ!?」
「別にいいだろ、そんなのは気にすることじゃないよ」
「気にするわよ! わたしのこと呼ぶから悪目立ちしてたじゃない! こんなハゲでデブの汗っかきが父親だなんて知られたら、子供は恥ずかしいの!」
「ひ、人が気にしてることをずばずば言うんじゃない! 父さんだってハゲたくてハゲてきたわけじゃないんだ! 勝手にハゲてきたんだからしょうがないだろ!」
「デブはしょうがなくない!」
「それはリーシャの手料理がおいしすぎるのが悪いんだ。父さんが悪いわけじゃない」
「はあ!? わたしも同じ料理毎日食べてて太ってませんけど! 食べ過ぎちゃうお父さんが悪いに決まってるじゃない! とにかく、こんな格好悪くてダサいのがわたしの父親だって、これ以上学校のみんなに知られたくないから、二度と学校には来ないでよね!」
後ろでお父さんがまだなにか言っていたけれど、それを無視してわたしは自分の部屋に向かった。
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