第二章 ステータス異常【石化】

ステータス異常【石化】 第1話

「アセビちょっと待ってよ!」

 振り返ると視界下方、ぼくから二十メートル以上も離れたところで、両手を膝に置き、ソプラナは立ち止まっていた。

 ぼくたちは今、傾斜のきつい山道を登っていた。ソプラナよりも先を行っているぼくも余裕があるわけではなく、疲弊していた。額を流れる汗を拭いながら、ぼくはソプラナに声をかける。

「もう少しで村に着くはずだから、頑張ろう」

 蛇型モンスター、バジリスク。「石化睨み」という対象を石化させる効果のある技を使うことで知られている。この山の奥にあるバジリスクの巣には、夥しい数のバジリスクが棲息し続けている。長年に渡りバジリスクたちが外敵に対し、石化睨みを行使し続けた結果、巣の近辺の山の一角が、木々や草花や地面までもが全て石化してしまい、世にも珍しい光景が広がっていると聞きつけ、ぼくたちはこの山にやってきたのだ。

 息も切れ切れになりながら、ようやっと山間の村に到着する。山の中腹の比較的斜面がなだらかなところに形成された、小さな村だった。木で組み上げられた家々があちこちに点在している。奥の方に畑も見える。バジリスクを警戒してか、村は全周囲、高さのある木製の柵で囲われている。登山で疲れたぼくたちは、到着したその足で、まず真っ先に宿屋へと向かう。宿屋で部屋を取ると、空腹だったぼくたちは、宿屋の食堂で食事をとることにした。

「疲れたでしょう。さあ、たあんとお食べ」

 聞くと夫婦でこの宿屋を経営しているというおばさんが、給仕をしてくれる。奥の厨房ではおばさんの夫であるおじさんが、料理を作っていた。ぼくたちがおばさんと談笑しながら料理を食べていると、慌しい足音を立てながら、数人の子供たちが食堂に入ってきた。子供たちはみな十歳前後に見える。走ってきたらしい子供たちは、みな息を切らせていた。

 おばさんが子供たちに話しかける。

「一体どうしたんだい。そんなに慌てて」

 子供の一人が今にも泣きそうな表情を浮かべながら言った。

「おばちゃんどうしよう! デクチンが洞窟の中に一人で入って行っちゃったんだ!」

「なんだって!?」

 おばさんの顔が凍りつく。おじさんが血相を変えて厨房から出てくる。

「みんなで洞窟の中に度胸試しに行こうってことになったんだ。でもやっぱり恐くて誰も中に入ろうとしなくて。そしたらデクチンがおれのことを臆病者って言ってきたんだ。だからむかついて、デクチンだって恐がって中に入らないじゃないか、デクチンの方が弱虫だ、って言い返したら、デクチンが怒って一人で中に入って行っちゃったんだ。おれたち洞窟の入り口の前で帰ってくるのを待ってたんだけど、暫くしたら中から悲鳴が聞こえてきて。そのまま暫く待ってみたんだけど、いつまで経ってもデクチンが出てこなくて……!」

 話を聞いたぼくは、昔の出来事を想起していた。昔、ぼくの故郷の町で、似たようなことが起こったことを。

「と、とにかく、村のみんなに相談しよう!」

 顔面蒼白のおじさんが言った。おじさんとおばさんは外に出ると、大声を張り上げて村人に呼びかけながら、村中を走り回った。ぼくとソプラナと子供たちも一緒になって、広場に集まるよう呼びかける。広場はすぐに大勢の村人たちで溢れかえった。おじさんとおばさん、先程の子供たちが村人たちに状況を伝える。おじさんとおばさんが村人たちに頭を下げる。

「みんな頼む。デクチンを助けるために力を貸してくれ!」

「助けるって言ったって、ついこないだやって来た行商人を騙った盗人に、村に常備してあった金のブレスレットを全部盗まれちまったから、助けに行った奴まで石にされちまうぞ」

 金のブレスレットは、石化を無効化する効果のあるアクセサリーだ。

「町まで新しく買いに行ったんじゃなかったのか?」

「それが品切れで。一つも置いてなかったんだ。別の町から取り寄せてもらうよう頼んだんだが、まだ届いてない」

「よりにもよって、金のブレスレットが一つもない、こんな時に洞窟に入るなんて……」

 村人たちが一様に難しい顔になって黙り込み、広場に重苦しい雰囲気が漂う。昔ぼくの友人が行方不明になった時も、町の広場に大勢の大人たちが集まって、捜索会議を行っていた。今のこの状況が、ぼくの中であの時とリンクする。あの時大勢の人たちが何日にもわたって捜索したけれど、ぼくの友人は結局見つからなかった。あの時のことを思い出し、ぼくは一刻も早くデクチンを助けに行かなければいけないという脅迫観念に駆られ、いてもたってもいられなくなった。

「ぼくたちが行きます!」

 広場にいた全員の視線がぼくに集まる。

「ぼくたちはこれでも冒険者なので、モンスターと戦うことに慣れています。幸い、二人とも金のブレスレットを持っているので。いいよねソプラナ」

 ソプラナが首肯する。次の旅の目的地をバジリスクたちが作った、全てが石になっているという奇妙な風景が存在するこの山に決めた時、ぼくたちは石化対策として、金のブレスレットを購入していた。おじさんとおばさんがぼくとソプラナに縋りつく。

「お願いします。あの子を助けてください!」

「あんたたちだけが頼りだ!」

「案内してください」

 村人の一人が石化を治す消費アイテム、シナの針を数個手渡してくれた。ソプラナがそれをポーチに仕舞い、ぼくとソプラナは、おじさんとおばさんに先導されて駆け出す。バジリスクたちの巣になっているという洞窟は、村から更に山の奥へ奥へと進んだところにあるらしく、ぼくたちは村から随分と離れたところにまで来ていた。洞窟に近づくにつれ、周囲の風景に変化が生じ始める。視界に映る色彩が減り、その分だけ灰色が増えていく。木や草、地面の土の一部が石になっているのだ。色が失われ始めているところまで来ると、おじさんとおばさんは足を止めた。

「この先をこのまままっすぐ進んだところに洞窟はあります。ここから先はバジリスクたちのテリトリーなので、わたしたちはこれ以上進めません。ここで待っています。どうか息子をよろしくお願いします」

 子供たちは洞窟の入り口まで行ったと言っていたけど、危険だから村人たちは洞窟の入り口に近づくこともしないらしい。おじさんとおばさんと別れ、ぼくたちは二人で洞窟に向かう。進むほどに景色の色が灰色に塗り替えられていく。そしてとうとう空以外の周囲の景観全てが石になる。これを拝むためにぼくたちはこの山にやってきた。けれど今は景色を楽しんでいる場合ではない。ぼくたちは黙々と足を動かし続けた。そして洞窟の入り口の前に到着する。壁になっている山の斜面にぽっかりと、直径五メートル程の穴が開いている。中は真っ暗で見通せない。ぼくたちは周囲にバジリスクがいないか確認し、いないことがわかると、ぼくが背負っている無限袋の中から月の雫を取り出した。小さな容器の中に液体が入っている、目薬である。月の雫は視界を奪われてしまう【暗闇】の状態異常を治すアイテムだが、使用することにより、暗闇の中でも目が見えるようになる、という効果も併せ持つ。ぼくたちは月の雫を目にさす。そして洞窟の濃い闇の中に呑み込まれていった。

 洞窟の中はかなり奥まで続いているらしく、後ろを振り返っても、入り口の光はもう見えなくなっていた。更に暫く進んだところで、一匹のバジリスクと遭遇した。体長三メートルの蛇型モンスター。赤い目、紺色の鱗を持ち、蛇腹は赤紫。鋭い牙を持つ口腔から時折、長い舌がちろりと顔を出している。頭頂部だけ、平べったく横に広がっており、広がっている部分の縁と真ん中との間、左右それぞれに穴が開いている。

 バジリスクの近くに、人型の石像が立っていた。石像は十歳くらいの子供の大きさをしている。デクチンで間違いないだろう。バジリスクには石化した相手には興味を示さなくなるという習性がある。そのためか、幸いデクチンの石像は無傷だった。近づいてきたぼくたちに気づいたバジリスクが、体を持ち上げて牙を剥き出し、威嚇した。ぼくとソプラナにとってバジリスクは、石化睨みさえ無効化してしまえば、特に苦戦する相手ではない。ぼくらは大蛇を一瞬で屠った。

 剣を鞘に収めてデクチンの石像に歩み寄る。髪やまつ毛の一本一本にいたるまでが石と化している。どんなに腕のいい彫刻家でも、ここまで精巧な石像は彫ることが不可能だろう。デクチンの石像は、恐怖に顔を歪め、叫んでいるかのように大きく口を開けて立ち尽くしている。ソプラナが腰のポーチの中からシナの針を取り出す。ソプラナがシナの針で、デクチンの体の適当な部分を突付いた瞬間、シナの針が砕け散り、デクチンの体が色を取り戻す。

「わあああ!」

 石化している間は時間が止まる。バジリスクに襲われ、石化睨みを受けた直後だと認識しているデクチンの叫び声が、洞窟の中で反響する。

「もう平気だよ」

「あああ! ……へ?」

 デクチンが首をめぐらせて周囲の状況を確認し、少し落ち着きを取り戻す。

「安心して。ぼくたちは君を助けに来たんだ」

 助かったとわかった瞬間、デクチンはぼくの体にしがみつき、泣きじゃくった。

「さあ帰ろう。君のお母さんとお父さんが待ってる」

「ちょっと待って。奥に見えるあれって、もう一人誰か石化してるんじゃない?」

「え?」

 ソプラナの指差す先に目を凝らす。すると洞窟の更に奥の方に、人型の石像らしき物がかろうじて視認できた。ぼくたちは更に奥へと歩を進めた。するとやはりそれは石化した人間だった。その見覚えのある顔に、ぼくは目を瞠った。

「ギマ!? ギマじゃないか!」

 石像は、体を縮こまらせて、なにも見えない暗闇の中を恐る恐る歩いているかのようなポーズで石化していた。バックパックを背負っていて、胸には少年少女冒険団のバッジを付けている。身に着けている服もなにもかもが、八年前にぼくと別れたあの時の、ぼくの記憶の中にある通りの姿だった。

「信じられない! まさかこんなところで石化してたなんて……」

「知り合いなの?」

「ああ。昔、行方不明になったぼくの友達だ」

 暗い洞窟の中で目が見えているデクチンは、洞窟に入る前に月の雫を使ったのだろう。でもギマの石像は、目が見えている様子には見えない。だからぼくは石化を解除する前に、幸い開いていたギマの両目に月の雫を一滴ずつ垂らした。それからシナの針で突く。

「……あれ?」

 再び時間が動き出したギマが、不思議そうに周囲に目を走らせる。

「……ギマ」

 ぼくの声に反応し、こちらに向けられたギマの視線と目が合う。

「ギマ……。あの頃のまんまだ。昔となんにも変わってない」

 ぼくはあまりのことに呆然と言葉を零した。

「……誰?」

 ギマは怪訝な表情を浮かべながら、昔と変わらぬ幼い声で誰何した。

「ぼくだよ。アセビだよ」

「アセビ?」

「わからないのも無理ないよ。だってあれから八年も経ったんだから。君とフウリの三人で、毎日ゴーグの森の中で遊んでたアセビがぼくなんだよ」

「え……? アセビ、なのか?」

「うん。どうやらギマはここで、バジリスクに石にされたみたいだね。君は八年間ずっと石になってたんだよ」

「おれが、八年も石に? まじかよ」

「信じられないのも当然だよ。八年間、時間が止まってたんだから。君の感覚では、ついさっきバジリスクに石にされたと思ってるんだろう?」

「バジリスク? さっきまで真っ暗でよくわかんなかったんだけど、暗闇の中、いきなりなにかが赤くぴかって光ってよ、そしたら今度は急に目が見えるようになったんだ。まさか、八年も時間が経っちまってるなんて……。本当にアセビなのか?」

「うん」

「よく見たら、アセビが成長したらこんな感じになってるだろうなって感じの顔してる。おれより小さかったアセビが、こんなに大きくなるなんて。へあー!」

 ぼくの頭の天辺からつま先まで、ギマは何度も目を往復させた。ギマの視線がぼくから外れる。

「アセビ後ろ!」

 振り返るとそこにいたのは三匹のバジリスク。ぼくたちに気取られないよう無音で忍び寄ってきていたバジリスクたちが、一斉に襲い掛かってくる。ぼくは抜剣し、一匹につき斬閃一撃で絶命させる。斬り飛ばされた三つの首が、血飛沫と共に宙を舞う。どさりと地に落ちごろごろ転がる三つ首たち。数瞬の後、倒れた長躯と共に動かなくなった。

 ギマが両目と口を大きく開いて驚嘆する。

「すっげえ! お前やっぱりアセビじゃあ、ねえんじゃねえのか? モンスターと遭遇したら、いっつもおれの背中に隠れてたあのアセビが、こんなに強いわけねえもん」

「あはは。ぼくも頑張って強くなったんだよ」

「八年経ってることより、こっちの方が信じらんねえよ」

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