第2話 ファーストコンタクト

 「待ちやがれ!サヴォッリアの敗残兵め!」

 切り立った渓谷の谷底を走る狭い旧街道にて、三名ほどの規模の兵隊が一人の武人を執拗に追跡している。

 「くっ、こんなところまで追手が来やがったか!」

 追い詰められている武人は身なりからして、なかなか良い身分の者なのだろう。かなり大柄でよく鍛え上げられた体をしている。

 「我がサヴォッリア王国軍は戦場で敗れたとは言えど国王陛下は未だ健在でおられる。我は恥を忍んででも生きながらえ、国王陛下をお助けせねば!」

 しかし、状況は絶望的であった、サヴォッリア軍は先の戦闘で壊滅し、もはや組織的抵抗を継続できる状況にはなかった。

 数時間に及ぶ追撃を受け、この武人にも流石に疲れが見え始めた。

 「な!なんということだ!?」

 巨大な落石によって街道は塞がれていた。振り返ると追手が迫っている。

 「もはや、これまでか!斯くなる上は、一人でも多く道ずれに...」

 「な!!!なんなんだこれは!?」

 追手共が彼の背後を見て驚愕する。振り返った彼の目に飛び込んで来たのは、巨大な落石についたドアであった。さっきまで何にもなかった岩にドアが開いていることは理解不能としか言いようがなかったが、こうなったからには神の加護とかそういう理由で納得することとしてドアの中を通って逃げることとした。

 「待て!!」

 追手の三名も遅れをとらじと、ドアに飛び込んだ。



 「マジで、家大丈夫かな?」

 九戸愛衣からの報告及び、彼の経験からくる恐怖に打ち震えながら秋山宗次郎は自宅のドアを開けた。まさにその時、愛衣から預かり、バッチリ設置したあのトラップから例の生物がダッシュで出て来た。かなり大ぶりだ。

 「どぅわっ!どうして内側から出てくんだよ!九戸先輩ったら粘着剤つけ忘れちゃってんじゃん!もう!う、うわっ!!」

 いつものルーティーンでスプレーに手をかけた宗次郎であったが、先頭を切って出て来たゴキブリに続いて、三匹のゴキブリが一斉にトラップから湧いて出た!このキモさと言ったらありゃしない。

 練達のゴキブリキラーを以って自認する宗次郎であったが、これには流石に狼狽した。この一瞬の同様によって、判断を誤ってしまった。

 宗次郎は先頭の個体ではなく後から来た三匹に対してスプレーの集中砲火を浴びせた。三匹は動かなくなったが、しかし、その時間は先頭の個体が潜伏するには十分な時間であった。

 「くそう。俺としたことが一匹逃しちまったか!しかしこのトラップは危険極まりない。処分しよう。」

 厳重にビニール袋に包み、縛って捨てた。

 しかし、困ったことに一番でかい一匹が部屋にステイしてしまった。こういうやつ殺そうと血眼になればなるほど見つからないものだ。きっと多くの人々がこういった経験をしたことがあるだろう。

 「しょうがない、どうせ見つからんだろう。まあ一週間後には我が巧妙な毒エサの餌食となって、いや、ゴキブリが毒エサを餌食にすることで家族共々静かな最期を迎えることとなるだろう。ということでお休みなさいゴキブリよ。」

 宗次郎は電気を消した。


 「おい!お主!」

 「...」

 「おい!そこのお主!寝るな!」

 「ちっ!なんだようっせーな!隣の奴の嫌がらせか?」

 「違う!隣ではない。ここだ。お主の部屋の机の上だ!」

 「マッ!?」

 宗次郎が素早く電気をつけると机の上にさっき逃したでかいゴキブリが堂々たる態度で座っていた。

 「先ほどお主は、我を追跡していたカファール帝国軍の追手を恐るべき程の手際で葬り去って我を救ってくれたな。礼を言う。本当にお主がいなかったら我は今頃、荒野で無残な屍をさらしていただろう。」

 「ゴキブリが喋っている。だと?」

 義務教育を9年間受け、さらに大学を出るまで教育を受けて来た宗次郎の頭には現在の状況は全く理解できなかった。

 ゴキブリが喋るだと?どこの子供が信じるだろうか?いや、信じたくないね、もしそれが現実だとしても。そんな、気色の悪い事実はなかったことにしたい。そうだ、ちょっと疲れているようだ。それで、すごいスピードで眠りについてしまい今こうやって夢を見ているわけだな。なるほど。

 「ところで、少し腹が減っている。何か食い物を分けてはくれぬだろうか?」


 どんどん頭が冴えてくる。時計は的確なペースで時を刻んでいる。まさにリアルだ。一つだけおかしいのは目の前でゴキブリが喋っているという事象のみだ。

 「それじゃあ適当に床に落ちてるものでも食っとけよ。」

 そして毒でも食って、死んどけ。

 「命の恩人とはいえ無礼極まる物言いだな。このような状況になってしまったとは言っても、我はそこまで落ちぶれてはおらん。」

 会話が成立してしまった。しかし、本当にゴキブリ野郎が喋っているとしたら、床に落ちてるものを自由に食えるライセンス与えられたら「うひょ〜やったぜ!その優しさが仇となるのだよ人間くんよ。一ヶ月後には百匹の家族連れてやって来ます。え?いえ、何にも言ってないっす。人間先輩チッスチーッス!」とかいうに決まっている。うん。間違えない。故に、我が眼前に広がる世界は夢であると結論づけることができる。夢の中であってもこれ程の恐ろしく明晰な証明をできる俺はやはり天才だな。

 「じゃあ、これをどうぞ。そして私は寝ますんで。」

 宗次郎はパンくずをひとかけら机に置くと、すぐさま電気を消し、布団に潜り込んだ。

 

 けたたましいアラーム音がなると同時に素晴らしい勢いで宗次郎は飛び起きた。

 「今日はよく寝たぜ!仕事が捗りそうだな。」

 爽やかな朝である。


 「おう、おはよう。ようやく目覚めたか。」

 「ファっ!?」

 昨日のゴキブリがペラペラと喋っている。 

 「お前、まさかガチなパターンの奴なのか?」

 「お主が何を言いよるかよくわからんが、我はガチ中のガチだ。いい加減冷静になれ。我もドアを開けた途端に訳のわからん生物が主人の馬鹿でかい部屋に迷い込んでしまったという理解不能な状況だが、これほど冷静でいるではないか。」

 「待て?お前、人を見たことがないのか?」

 「ヒト?お主らはヒトという生物なのか?そうだとしたら初めてだ。」

 市街地の中にあるこの部屋に紛れ込んでくるこれほど大きな成虫が人を見たことが無いとは考えにくい。

 「というか、何で喋ってんだ?」

 「普通喋るだろ。」

 「普通喋んねーよ!ゴキブリが喋ってるから問題なんだよ!」

 「何だ?お主はゴキブリを知っておるのか?して、お主の思うゴキブリは喋らんのか?」

 「一つ目の質問の答えはYESだ。知ってるどころか知り尽くしている。俺はお前らを殺す方法を研究してるんだからな。そして、喋るはずなどはない声帯付いてないからな。」

 「成る程、故にカファールの連中をあれ程の手際で倒せたのだな。ところでその、お前の知っているゴキブリを見せてはくれぬだろうか?」

 「は?まあ、いっか。ちょっと待て、ほれ、これだ。」

 宗次郎はタブレットを素早く操作し、クロゴキブリ−一般家庭で最もよく見られる種、ゴキブリといえばコイツっていうステレオタイプ–の画像を示した。

 「何だこれは?まさに野蛮人といった感じだな全裸であるし。」

 「はっ?お前もだろ.......!?何?!」

 今までキモさ故にこのゴキブリをまじまじとは見ていなかったが、よく見ると服のような物を着て、帽子のようなものを被っている。残念ながら服、帽子としか言いようがないのでこう形容しているが、とりあえず奇妙きわまりないことだけは確かだ。

 「まあ、お主の今までの言動及び、先の画像から判断するに、我はお主らの暮らす世界、つまり我からして異世界に飛んでしまったようだ。」

 確かにその説が有力な気がせんでもない。確かに最近はアニメとか小説でも異世界に行く奴多いもんな。しかし、そんな発想に至るとは。ゴキブリが。

 「ゴキブリのくせに随分豊かな想像力だな。」

 「まあ、なかなか信じがたいことではあるが、冷静に判断してそういう可能性が最も濃厚だと思う。ブリシア古典にもそういう話があったしな。」

 「古典?お前らの世界でも古典があるのか?」

 「ああ。我々の世界にも長い歴史があり古典が形成され文化的な基礎をなしている。我も一通り古典には通じている。」

 「ということは、お前は結構いい育ちなのか?」

 「そうか、まだ名乗っておらんかったな。我の名はアルベルティーニ=ダ=スパルヴィエロだ。サヴォッリア王国に代々使える武家の名門スパルヴィエロ家の現当主であり、陸軍大将である。」

 「何だと!!超偉いじゃねえか!」

 偉いことに驚いたが、しかし、向こうの世界にしっかりと階層構造のある近代的軍隊が存在していることや、古典から始まる知識の蓄積のある文明があることの方がはるかに衝撃的であった。

 「ああ。偉いのだ。してお主は?」

 「俺は、マーズ製薬殺虫剤部門のゴキブリ班で働く研究者の秋山宗次郎だ。一般人だ。」

 「成る程。軍事科学者というわけだな。」

 「まあ、そう思っとけ。でも、お前。こんな異世界でわけわからん自分よりはるかにデカい相手を前にして普通に喋ってるけど恐れとか、疑心とかないわけ?」

 「まあ流石に恐怖はあるが、我が疑心を出したところで何ら状況は好転せんのでな。それに、どういう形にせよお主は命の恩人でもあるわけであるし。何はともあれ異なる考えをする連中が住む世界に放り込まれたのだから、そこの住人の考えを理解しようという努力はしたいからな。」

 宗次郎はどこかで聞いたことのある話に少しドキっとした。そして、その嫌悪感の具体化のような外見とは似ても似つかぬ教養豊かで、思慮深い−それは、多くの人間と比べても優っているようにすら感じられた−考えを披露され、驚嘆のような感覚を抱いていた。しかし、何より彼らが暮らす人間ではない担い手を持つ文明に興味をそそられた。

 「ふん、まあ良い。とりあえず元の世界に戻る方法がわかるまで俺の家にとどまっていて良い。でも、飯はその辺のも勝手に食ったら承知しないからな!」

 コイツは言う程雑菌にまみれてなさそうだし、まあ大丈夫だろう。

 「かたじけない。あと、こちらの世界のことも知りたい故、書物を読ましてくれ。」

 「は?まあ、部屋にある本で良いなら何でも読んで良いけど、日本語読めるのか?」

 「ああ。その点に関しては大丈夫だ、問題ない。現にこうしてお主と会話ができておるではないか。」

 「まあ確かにそれもそうだな。」

 ふと時計を見ると仕事に行かねばならない時間になっていた。

 「やべっ!じゃあ仕事行ってくるわ。くれぐれも変なことすんなよー!」

 「お主の家はサヴォッリア陸軍大将たるこの我が保守しておるのだ。安心せよ。」

 全く人生は何が起こるかわからんものだ。

 こうして、二人の奇妙な同居生活は幕を開けたのだった。

 

 


 

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