聖域の守護神

 ほそくながい通路にそそぐ人工の光は、濃密なやみきけし、足音に硬質な響きをそえた。

 通路を構成するしろい大理石はつややかに磨きあげられ、左右の壁面には極彩色に塗装された巧緻こうちなレリーフがほどこされている。なまめかしく肢体をからませあう無数のそれらはミトゥナ、男女交合の像だ。目をおおうばかりの扇情的な光景のなかにあっても、よれたスーツをきた男は老犬のような表情をかえることもなく、くたびれた足取りで歩みをすすめた。

 やがて十メートル四方ほどのひらけた空間に行きつく。差しだした右手に舞いおりたファンとともにインド寺院建築における拝堂マンダパをみすえた。

 正方形の部屋の壁面は神々をモチーフにした彫刻でいろどられ、四隅に屹立きつりつする円柱の脚部にほどこされた寺院の彫刻は、屋根の装飾のうちにさらなる小型の寺院を内包する。部分が全体に相似する神の家を、世界を意味する四面にかまえてそれぞれの柱を宇宙の軸として表現し、天界と大地とをむすぶシンボルであるそれらを四隅に配することで作りだした宇宙を、壁面から世界を守護する神群がみまもる。フラクタル――繰りされる自己相似によって入念に創造された神域の中央には、人の背丈をこえる二体の神像にまもられたSCUBAがあり、その正面にあるちいさな部屋、もっとも重要な聖室ガルバグリハには、ひとはしらの女神像がまつられていた。

 女神像に目をとめたクレアは息をのむ。自分の体とともにうしなわれた大切な存在にうりふたつのかんばせに、透明な微笑をうかんでいた。怒りが燃えあがる。彼女をふたたび神妃しんひに祭りあげ、けがそうとするものたちすべてに対して。ふるえる声を懸命にこらえた。

「いきましょう、ダニエル」

「ああ、了解だ」

 ダニエルが歩きだした瞬間、クレアは複数の視線を感じた。警戒をうながすまえに異変が発現する。部屋中央に設置されたSCUBAが、音もなく床に格納されていった。

「なにがおこったとおもう? お嬢ちゃん」

「未知のセキュリティーが起動したんでしょうね。ヴィマーナのデータにこんな情報はなかったわ」

「我々の侵入も露見したということかな?」

「いいえ。ここのネットワークはとじているの。外から入れないかわりに、でていくこともできないわ」

「なるほど、そいつは僥倖ぎょうこうだ。未知のセキュリティーとやらを突破すればいいわけだな、力づくでも」

「ええ、そうなるわね」

 周囲を警戒する。電脳空間におけるものならば自身が、現実空間であればダニエルが対応できるという確信がクレアにはあった。だがそれは、おもわぬ形でうらぎられることになる。

「おっと、そうきたか」と、くたびれた老犬のような片方のまゆをあげる。

 SCUBAの両脇りょうわきに配されていた二体の男性の神像が動きはじめた。片方が青、もう一方が黄色の肌をしており、一面いちめん四臂よんひの裸の上半身にきらびやかな金の装身具をまとっている。

「アンドロイド……みたいね。これがセキュリティーってわけ?」

「そういうことだろうな」

「もし彼らが攻撃してくるのなら、パトリック・ベネットがアスクレーピオスの戦闘用アンドロイドを非難したのは、とんだ茶番だったってことになるわね」

「まあとりあえず、それはおいておいて、だ。さがっていろ、お嬢ちゃん。こいつらの情報をさぐってくれ」

「わかったわ」

 壁面のレリーフに降りたった鳳には目もくれず、二体のアンドロイドはダニエルとの距離をつめてくる。クレアはマウントマンダラの情報システムに侵入して検索を開始した。

 間合いに入った瞬間、黄色の肌のアンドロイドがこぶしをはなった。ダニエルは左掌さしょうで打撃をさばくと同時に、右手で相手のひじをとらえて関節をきめる。攻防一体。さらに体捌たいさばきでバランスをくずしてひしぎにいったとき、もう一体がりをあびせてきた。かかえた腕を軸に前転してかわし、関節にさらなる負荷をかける。腕が犠牲にすることなど気にも留めず、強引にダニエルを引きはがそうとしてきたところに、あおい肌の方が攻撃をあわせてくる。腕をはなすと黄色の肌がすかさず攻めこんできた。かろうじてかわしつつ距離をとる。

「厄介だな、ちょっとばかり」

 ダニエルが首をならした。

 直後、あおいアンドロイドが一気に距離をつめ、四本の腕から乱撃を繰りだす。適切な目標への最短距離をたどる拳を、有機的で不規則な曲線をえがいてかわすダニエルの死角に、すかさずもう一体が回りこんだ。二方向からの怒涛どとうの攻めを驚異的な体捌きで避け、さばき、掻いくぐるが、圧倒的な手数の違いが次第に効果を発揮しはじめる。反撃すらままならず防戦をしいられる。よけ、いなし、かすめさせるだけだった攻撃が徐々にしんとらえはじめる。正確無比な連携が、ついに鉄壁の防御をつらぬいた。側頭部を痛打され、打ちたおされる。ただちに跳ねおきて追撃を牽制けんせいしながら敵の間合いからのがれた。

「ダニエル!」

「大丈夫だ、お嬢ちゃん。それよりいまは、有益な情報の方がありがたい」

 ふたたび二体のアンドロイドにいどむ背中をみながら、クレアは懸命に情報をさぐる。

 状況は悪化の一途をたどった。正確無比な連携をまえに守備は突きくずされ、拳をまじえるたびにダメージが蓄積していく。負傷と疲労は動きをにぶらせ、一方的な展開となりつつあった。痛めつけられるダニエルを気にかけながら、クレアはアンドロイド開発に関する暗号化された情報をみつけだし、復号化にかかる。いくたびも痛撃をあびてたおれた彼は、息をきらせ、ふらつきながらもふたたび立ちあがった。

 二体が同時に地をける。またたく間に接近して決着をつけにかかった。ふたてからの強襲だ。再三みせられて手のうちはわかっていても、一心同体ともいえるコンビネーションをまえになすすべがない。猛攻をかわし、受けながすうちに追いこまれていく。捌ききれなかった打撃が命中しはじめる。フックをさばいたところにうなりをあげて左ストレートがせまる。おなじパターンだった。左右どちらにさけても、二体のいずれかのつぎなる打撃が待ちかまえている。だがこのときダニエルは、それまでとは異なる動きをみせた。

 一歩踏みこみ、カウンターの右拳をあわせる。腕の長さでまけているため届かないばかりか、左にそれていて命中すらしない。ありえない選択をうけて、あおい肌のアンドロイドの反応がわずかに遅延する。つぎの瞬間、ダニエルはにぎった拳をひらいた。顔面のまよこからふるった指先を引っかけて、躊躇ちゅうちょなく目を破壊する。そのまま相手のひざに足をかけて後方宙返りをうち、背後にいたもう一体のまうしろに降りたった。回転の最中に脇のホルスターから取りだしていた拳銃けんじゅうを敵の後頭部にむけ、機械仕掛けの精密さをもって連射する。数度の跳弾ののち、一発が食いこむ。寸分たがわぬ箇所につぎつぎと撃ちこまれる。ついに金属のきばは強固な頭骨を食いやぶった。頭蓋とうがいに侵入した弾丸が運動エネルギーを解放する。ひしゃげ、精密な回転運動をみだし、放射状の銃創をうがって内部器官を破壊する。小止みなく注ぎこまれる弾は、自身をうわまわる射出口を形成して貫通する。黄色い肌のアンドロイドの頭部が大破した。ぐらり、とバランスをくずして倒れこむ。ダニエルがため息をもらした。

「凡戦者、以正合、以奇勝。

 故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河。

 戦いは定石通りに向きあうが、勝利のかぎを握るのは奇策だということだ。たくみな奇策を繰りだすものは、天地あめつちのごとく極みがなく、江河のごとく尽きることもない」

 丁度そのとき、データの復号化をおえたクレアは該当するアンドロイドの情報をみつけだしていた。彼らの基幹システムであるローカパーラ、インド神話における方位の守護神を意味する単語で呼称されるアーキテクチャについて読みすすめるにつれ、危惧きぐが膨れあがっていく。現実空間に目をむける。脅威はすぐそこにせまっていた。

「ダニエル、うしろっ!」

「なっ――」

 完全に不意をつかれた。ヤマというコードネームがつけられたあおい肌のアンドロイドが渾身こんしんの力をこめた一撃をはなつ。硬質な音とともにダニエルが弾きとばされ、すさまじい勢いで柱に激突する。生身の人間であれば即死しかねない衝撃をどうにか持ちこたえた機械の体に、容赦なく二体のアンドロイドが襲いかかる。なかば脊髄せきずい反射はんしゃで回避行動にうつるが、あっという間に追いこまれる。

 異様な光景であった。目をつぶされたヤマと頭部のほとんどを破壊されたクベーラ、二体はまったくおとろえぬ連携でダニエルを攻めたてる。対処可能な閾値しきいちをこえた攻撃が、一撃、また一撃と刻みこまれていく。

『きいてダニエル!』

『すまない、お嬢ちゃん。……いまはちょっとばかり、立てこんで、いてな』

『いいからきいて。あなたならこの壁を貫通できる? 深さ二十センチ程度、材質は天然の大理石とその奥にコンクリート』

 拡張現実に標的がしめされる。レリーフでおおわれた部屋の壁のまんなかにある、鳳がとまった神像の顔のすぐ脇だ。ダニエルは暴風雨のごとき攻撃にさらされながら、本来であれば状況を立てなおすためにつかうべきすきを、場所の確認についやす。

『いける。……それは現状打破に、関連することだな?』

『もちろんよ、私をしんじて』

『……しんじるさ、お嬢ちゃんの、私のバディのいうことだ』

『その後、おそらく私に攻撃が集中するわ。三分、……いいえ一分でいいわ。そのあいだまもってくれる?』

『まもるさ、何時間だろうが』

『かならず一分でおえるわ。ダニエル、あなたが合図をだして』

『了解した』

 ダニエルはふたたび、敵の手のうちにはまっていく。猛攻にされされ、退路をふさがれていく。大振りの右フックをさばく。そこにストレートをあわせられる。確実に一発をあててくるパターンだ。さきほども仕掛けたこのタイミングで、あえて再度うごいた。

 一切の予備動作がない状態からの渾身の跳躍。機械の体がうんだ速度が視覚の処理限界にちかづいて極端に視界がせばまるなか、ただ一点だけを中央にとらえた。虚をつかれた二体がわずかにおくれてダニエルをおう。トップスピードにのったサイボーグとの差はちぢまらない。ダニエルは指先をそろえて尖掌せんしょうをつくった。踏みこみとともに打ちだす。やすやすと石壁に穴をうがつ。さらには違法改造に起因する膂力りょりょくを解放し、まうしろにせまったアンドロイドにむけて虎尾脚こびきゃく――後ろ蹴りをはなつ。圧倒的な体格差をものともせず二体を防御のうえから吹きとばした。

 壁に生じた亀裂に鳳が飾り羽をのばす。その瞬間、二体がねらいをかえた。ダニエルはのこされたすべての力を総動員して立ちはだかる。防御などまるでかんがえていない捨て身の攻撃で敵の足をとめ、ダメージをあたえ、動きをふうじる。どれほど痛烈な打撃をあびようとも決してたおれることなく、さらにちからづよく、すばやく、完璧かんぺきな連携をみせるアンドロイドたちと互角以上に渡りあいつづける。

 クレアは、阿修羅のごとき奮迅からとおく隔絶された世界にいた。飾り羽でとらえたケーブルを通じて、そこにやどるビットの大洋にもぐる。未知の通信方式プロトコルを解析し、システムを構成するコンポーネントの会話ネゴシエーションにくわわる。コンピューターの正確さと速度、人の知的直観と柔軟性をもって、二体のアンドロイドの精神であるローカパーラの深奥へと潜行していく。きらびやかな調べをつむぎながら。

 共有レイヤーを通じてたえなる旋律をききながら、ダニエルはとうに限界をむかえたはずの体のおくそこからきたつ力を感じていた。墜落寸前の航空機をおもわせる無数の深刻なダメージ通知も、動きをにぶらせるだけの痛覚も無効にしてある。一瞬たりとも停止することなく、鋼の意思をもって機械の拳をふるう。背におったまもるべきもののため、死力をつくす。

 やがてクレアは特定する。壁にほどこされた八柱やつはしらの神々のレリーフに仕込まれたカメラを目として、無数に登録された戦闘パターンから最適解を選択し、ふたつの体を操作して侵入者を排除しつづける、神域を守護する者の魂の在り処を。だれより命令に忠実なその存在を、なにより無垢むくなその存在を、人より自分にちかいその存在を、クレアは、消去の炎で焼きはらった。天上の歌声をもって。

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