花籠
★☆★☆★
その後も数名の元信者をたずねて収集したデータの整理をすませたのち、クレアが帰宅したのは普段より早い時間だった。
食事をおえたクレアがシュリの介助で紅茶を飲んでいると、インターフォンが来客をしらせた。
『こんばんは』
ARで応じると、セシルはひかえめな笑みをうかべた。
『やあクレア。夜おそくにごめん』
『平気よ。ちょうど食事をおえたところだったから』
『そっか、よかった。あの……、よかったらこれ、もらってくれないかな』
彼はカメラにうつるようにちいさな
『すごく
『この花、トルコキキョウっていうんだけど、……なんだかその、にあいそうだなっておもって、君に。それでいろいろいじってたら、アレンジメントになっちゃったんだけど、受けとってくれると……、うれしい』
『ありがとう、いただくわ』
『じ、じゃあ……、これ、ここにおいておくから。またね、クレア』
『まって、いまいくから』
かがんで籠をおこうとしたセシルを呼びとめたクレアは、シュリとともに玄関にむかい、ドアをあける。
「ごめんね、でてきてもらっちゃって」
「きちんとお礼をいわないと。こんなに綺麗なお花をいただくんですもの」
「き、気にいってくれた……?」
「ええ、とっても」
「……よかった」
すんだあおい瞳をほそめて微笑んだあと、彼の表情が変化した。繊細な花にふれるときのように。
「あの……、あれから、おかしなことは、……おこってない?」
記憶の扉が開きかける。迫りくる無骨なパイプとつめたい雨の感触、そして自分ひとりでは何もできないという絶望、心をみたしかけたそれらに、ぴたりと笑顔で
「ええ、なにも。あのときはありがとう。本当にたすかったわ」
「いいんだ、お礼はもう、何度もいってもらったから。僕がいいたかったのは、そういうことじゃなくって、……その、こころぼそかったり、不安だったりしたら、いつでも連絡してくれて、いいから……」
「ありがとうセシル、そうさせてもらうわ。いただいたお花もあるし、明日からきっと家があかるくなるわね」
「なるべくやさしい気持ちになれそうなのを、えらんでみたんだ」
そろってアレンジメントをみたあとは、席を譲りあうような沈黙がおとずれた。
「あ、あのね、クレア」
「なに?」
「先週、駅のちかくにレストランができたんだ」
「どのあたり?」
「郵便局の通りぞい。日本食のお店なんだって。結構人気みたい」
「日本食って、健康によさそうなイメージね」
「そうだね。君はたべたことある? 日本食」
「いいえ。あなたは?」
「僕もないんだ。……じゃあ、もしよかったらなんだけど、い、一緒にいってみない?」
「あなたと?」
「うん。――あっ、ごめん。よ、用事を思いだしたからかえらないと。返事はいつでもいいから」
早口に言いおえると、セシルはにげるように背中をむけて歩きだした。クレアはシュリと顔をみあわせる。自宅の玄関まえでおそるおそる振りかえった彼は、ぎこちなく手をふって姿をけした。シュリが籠をそっと手にとる。
「この花はどこにおきますか?」
「リビングがよさそうね」
こたえたクレアは花をみたまま、
「不思議な人ね。私を食事にさそうなんて」
「クレア、あなたは魅力的な女性です。それに彼も。こんな風に綺麗に花をさかせる人ですから、きっと
「そうね、ミシェルやアシュレイおばさまみたい感じ。……なんだかまぶしいわ」
「彼との会食はどうしますか? ミシェルのレッスン以外、いまのところ週末に予定はありません」
「お断りするわ、折角だけど」
「なぜですか? 交友関係をひろげるのはわるいことではないとおもいますが」
「ええ、そのとおりね。とてもいい人そうだし。日本食に挑戦するのもわるくないわ。でも、私はあなたがいてくれればそれでいいの」
「クレア。わたしはあなたの生涯のパートナーだと自負していますが、わたしがカバーできる領域とは別の領域があることはいなめません。わたしはオリジナルでは――」
「――いいのよ。いまがいい。私はいまのままがいいの」
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