花籠

     ★☆★☆★


 その後も数名の元信者をたずねて収集したデータの整理をすませたのち、クレアが帰宅したのは普段より早い時間だった。

 食事をおえたクレアがシュリの介助で紅茶を飲んでいると、インターフォンが来客をしらせた。拡張現実ARに表示されたのは、近所にすむ花屋の青年の姿である。あおいひとみを伏し目がちにするようすは、今日あったメグミとはちがって、彼の繊細さと不器用さがあらわれている気がした。

『こんばんは』

 ARで応じると、セシルはひかえめな笑みをうかべた。

『やあクレア。夜おそくにごめん』

『平気よ。ちょうど食事をおえたところだったから』

『そっか、よかった。あの……、よかったらこれ、もらってくれないかな』

 彼はカメラにうつるようにちいさなかごを差しだした。清楚せいそなしろい花を中心に、穂のような形にあつまって咲いたちいさな花などをくわしたアレンジメントだ。落ちつきがあり、これからの季節を感じさせる。

『すごく綺麗きれいね。でも、いいの? いただいても』

『この花、トルコキキョウっていうんだけど、……なんだかその、にあいそうだなっておもって、君に。それでいろいろいじってたら、アレンジメントになっちゃったんだけど、受けとってくれると……、うれしい』

『ありがとう、いただくわ』

『じ、じゃあ……、これ、ここにおいておくから。またね、クレア』

『まって、いまいくから』

 かがんで籠をおこうとしたセシルを呼びとめたクレアは、シュリとともに玄関にむかい、ドアをあける。

「ごめんね、でてきてもらっちゃって」

「きちんとお礼をいわないと。こんなに綺麗なお花をいただくんですもの」

「き、気にいってくれた……?」

「ええ、とっても」

「……よかった」

 すんだあおい瞳をほそめて微笑んだあと、彼の表情が変化した。繊細な花にふれるときのように。

「あの……、あれから、おかしなことは、……おこってない?」

 記憶の扉が開きかける。迫りくる無骨なパイプとつめたい雨の感触、そして自分ひとりでは何もできないという絶望、心をみたしかけたそれらに、ぴたりと笑顔でふたをする。

「ええ、なにも。あのときはありがとう。本当にたすかったわ」

「いいんだ、お礼はもう、何度もいってもらったから。僕がいいたかったのは、そういうことじゃなくって、……その、こころぼそかったり、不安だったりしたら、いつでも連絡してくれて、いいから……」

「ありがとうセシル、そうさせてもらうわ。いただいたお花もあるし、明日からきっと家があかるくなるわね」

「なるべくやさしい気持ちになれそうなのを、えらんでみたんだ」

 そろってアレンジメントをみたあとは、席を譲りあうような沈黙がおとずれた。

「あ、あのね、クレア」

「なに?」

「先週、駅のちかくにレストランができたんだ」

「どのあたり?」

「郵便局の通りぞい。日本食のお店なんだって。結構人気みたい」

「日本食って、健康によさそうなイメージね」

「そうだね。君はたべたことある? 日本食」

「いいえ。あなたは?」

「僕もないんだ。……じゃあ、もしよかったらなんだけど、い、一緒にいってみない?」

「あなたと?」

「うん。――あっ、ごめん。よ、用事を思いだしたからかえらないと。返事はいつでもいいから」

 早口に言いおえると、セシルはにげるように背中をむけて歩きだした。クレアはシュリと顔をみあわせる。自宅の玄関まえでおそるおそる振りかえった彼は、ぎこちなく手をふって姿をけした。シュリが籠をそっと手にとる。

「この花はどこにおきますか?」

「リビングがよさそうね」

 こたえたクレアは花をみたまま、

「不思議な人ね。私を食事にさそうなんて」

「クレア、あなたは魅力的な女性です。それに彼も。こんな風に綺麗に花をさかせる人ですから、きっと几帳面きちょうめんでやさしいのでしょう」

「そうね、ミシェルやアシュレイおばさまみたい感じ。……なんだかまぶしいわ」

「彼との会食はどうしますか? ミシェルのレッスン以外、いまのところ週末に予定はありません」

「お断りするわ、折角だけど」

「なぜですか? 交友関係をひろげるのはわるいことではないとおもいますが」

「ええ、そのとおりね。とてもいい人そうだし。日本食に挑戦するのもわるくないわ。でも、私はあなたがいてくれればそれでいいの」

「クレア。わたしはあなたの生涯のパートナーだと自負していますが、わたしがカバーできる領域とは別の領域があることはいなめません。わたしはオリジナルでは――」

「――いいのよ。いまがいい。私はいまのままがいいの」

 真摯しんしな視線を真向まむきに受けとめてもなお、菫色すみれいろの瞳は、湖水のごとくいでいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る