伏し目がちな女性

     ★☆★☆★


 そのアパートメントは、外部に金属製の非常階段をそなえた伝統的な建築が建ちならぶ一画にあった。煉瓦れんがの外壁をもつふるびた集合住宅には、フロントなどなく、当然ドアマンもいない。ダニエルがエントランスわきにあるインターフォンに部屋番号を入力して呼びだすと、ほどなくして若い男性の声が応じた。

「はい、どちらさまでしょうか」

「こんにちは。連邦捜査局ですが、メグミ・ヨシカワさん、いらっしゃいますかね」

「連邦捜査局ですか? ……いますけど彼女になにか?」

「いやなに、ちょっとお聞きしたいことがあるだけです」

「……わかりました。お入りください」

 ドアのロックが解除される音がひびいた。

 アパートメントはエレベーターをそなえてなかった。当然のようにクレアを横抱きにして五階までのぼろうとするシュリに、かわろうと提案したダニエルだったが、クレアの一存により却下され、折りたたんだ車椅子くるまいすをはこぶことになった。

 五階の一番端にある部屋の呼び鈴をおすと、人のよさそうな白人男性が顔をみせた。ドアチェーンのかかった扉の隙間すきまから、眼鏡のおくの淡褐色のひとみに不安の色をうかべていう。

「こんにちは。僕はショーン・ルーカスです。あの、……なにかのまちがいじゃないですか?」

「どうも。私はダニエル・バードで、彼女はクレア・モーリス。ご安心ください。メグミさんになにかの容疑がかかっているわけではないですから」

「そうですか、ならいいんですけど……」

 と、クレアをみたショーンが目をみひらいた。

「あ、あの。失礼ですが……クレア・モーリスさん、ですか?」

「ええ。そうですが」

「大変だ。本当にクレア・モーリスさん。ちょ、ちょっとまってもらえますか?」

 ショーンはあわただしくドアをしめた。やっぱり知り合いだったか? というダニエルに、クレアは首をかしげてこたえる。

 間もなくドアチェーンがはずされる音がきこえ、戸口にショーンとともに、アジア系の小柄な女性があらわれた。まっすぐな黒髪と一重の瞳が印象的だが、伏し目がちで顔色がわるいため、ひどく陰気にみえる。

「こんにちは……。メグミ・ヨシカワです」

「急に押しかけてすみませんね。すこしお伺いしたいことがあったもので」

 ちらりとクレアをみたメグミは、さらに表情をかげらせて早口な小声でいった。

「マハー・アヴァター・サマージのことですよね? ごめんなさい。私はあの事件のあとすぐに信者をやめましたし、お話できることはなにもありません」

「そうでしたか。確認なんですが、当時、教団から配布された電子データがのこっていたりはしてません?」

「ありません。すべて処分しましたから。あそこに入ったこと自体がまちがいだったんです。……ごめんなさい。お引きとりくださいますか? 今日は体調がすぐれないもので」

「ありゃ、それは申し訳ないときにお邪魔しましたな。では我々はこれで。ご協力感謝します。どうかお大事に」

 会釈したメグミが扉をしめる。クレアと視線が交差した彼女はくるしげに瞳をふせた。


 高速道路をはしる車内には、ロードノイズにまざって、つぎの参考人の絞りこみをするクレアの歌声がかすかにながれていた。

 ダニエルはルームミラーごしに呼びかける。

「なあ、お嬢ちゃん」

「なにかしら」

「メグミ・ヨシカワ。なにか引っかかるんだが、彼女」

「非常に遺憾ね、あなたと意見が一致するなんて。でも、私もそうおもうわ」

「彼女のこと、なにかおぼえてないか?」

「残念ながらね」

 クレアは窓のそとに目をむける。世界でもっとも多様な人々がすむ街の空を、あつい雲がおおいつつあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る